6【連載】僕の親友は不法滞在6
6 会社の倒産
親友Hがいなくなって数日後、会社に行くと部長から今日は全従業員の朝礼があるから出てくれと言われた。予感はしていたが働いていた会社が民事再生法適用申請をしたという内容だった。ある会社が会社を受け入れるそうだが、社長は辞任、我々はリストラ。約一ヶ月後の12月25日に退職とのことだった。
実は会社と言ってもボーナスもない零細豆腐会社なんですが。
Hがここにバイトに来たのが出会いのきっかけだ。まあその話はいつかするとして。
「年末年始はテレビ見ながら酒でも飲んでおけばいいかな。そのあとハローワークにでも行こう」と思った。
その夜、Hから電話が来た。
愛知県東部のN市にある自動車部品工場で働き始めたとのこと。そして「お兄さん」が住んでいる2Kアパートに住んでるとのことだった。
ベトナム人の「お兄さん」という言葉はくせ者だ。本当の実の兄も、親戚の従兄も、隣人も、知り合いも、少し年上の男性は全部「お兄さん」と言う。しかも親戚のお兄さんだとしても、従兄なのか又従兄なのか叔父なのか詳しいことは気にしないのでベトナム人本人も分からないことのほうが多い。とにかくお兄さんなのだ。そんなことなんて当時知らないので漠然と初めて聞いた従兄だと思っていた。
会社が潰れたことを彼に伝えた。と言っても彼は日本語の「倒産」も「潰れる」も知らない。ましてや「民事再生法」なんて知るわけもない。なのでベトナム語を調べ「ファサン」と言ったら通じた。
これから先、この忌まわしい「ファサン」という言葉は二人の中で頻出単語となっていくが、その時は二人はまだ知る由もない。
ファサン(倒産)したから年末年始は仕事は全くないと伝えた。彼はどこか行くのか?田舎に帰るのか?と僕に聞いてきた。
僕の両親は既に死んでいて年末に誰もいない実家に帰るわけないし、これといって年末年始をすごす友達は東京にはいないし、彼女もいない。誰もいない孤独の生活に戻ってるのだ。そのことを話すと、
「じゃあここに(愛知県)、年末からずっといればいいよ」と誘ってくれた。
「君は年末どうするつもり?」
「ベトナム人たちとパーティーね」
「ベトナム人の中に日本人が一人でみんな嫌がるでしょ?さらに一緒に住んでる人に迷惑だし」
「大丈夫〜!楽しいでしょー!」
大丈夫という言葉は魔法の言葉で、彼の口癖だった。「悩まずやればなんとかなる」という意味なんじゃないかなと思っている。
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