【連載】僕の親友は不法滞在14
14 南北戦争?
広い長屋には40人くらいが集まった。この長屋は技能実習生の寮らしい。それにしてもよくこれだけベトナム人が集まったもんだ。そしてその中に僕だけ日本人。それを快くみんな受け入れてくれている。ありがたい。ほぼみんな二十代くらい、その中に一人だけ三十代半ばの顔が四角い兄貴的存在がいた。この人は何なのか、奥さんもいるし、車も持っている。日本にどのくらい住んでるのか日本語も上手い。寮長なのか。いまだになぞだ。
親友Hのアパートにはなぜか北部の人ばかりだった。そこで面白半分にHに、この中に南部人はいるか?尋ねた。
すると、一人もいない。いや、あの兄貴の奥さんが南部出身だと。
これには驚いた。どうしてこんなに集まって南部人がほぼいないのだろうか。
おそらくだが、ベトナム戦争のしこりがまだ残っているんじゃないだろうか。 1960年代から70年代、ベトナム戦争というものがあった。日本の戦争が祖父やその前の世代に対して、ベトナム人の戦争体験は父親世代であり、父親たちは全員経験している南北戦争(シビルウォー)だ。
アメリカが南部を支援し、南北に分かれて戦い合った。1975年まで約10年続き、民間人だけで200万人とも言われる人たちが犠牲となった。北部人にとって南部人はアメリカに付き従い同胞に弓を引いた売国奴だという認識であってもおかしくはない。
ちなみにその後もベトナムはカンボジアのポルポト政権を攻撃し、同時に中国から北部を攻撃され、さらにタイまで進軍していった。やっと収まったのが1989年。ずっと軍とともに生活があった。
実際、南北は仲が悪いのか聞いてもそんなことはないと必ず返って来る。
本当かなあと思いつつ、仲が悪い説が違うのなら、ただ同郷が集まりやすいというだけなんだろうか?日本人だって県人会などある。しかし外国でここまで固まることはないと思う。まあ中国人は南部の香港人などは北京とは言葉も違うし固まらないかもしれない。
では南北で言葉は違うんだろうか?どれだけ違うのだろうか?
ベトナム語には標準語のようなものがない。政治と歴史の北部首都ハノイと経済と商業の都市で人口最大である南部の都市、ホーチミンではそれぞれ話される言葉が違う。そうは言っても北京と香港の差はなく、東京と大阪程度の差か、よくいって青森と大阪の差しかない。
抑揚(声調)の種類が違うのと、北のザ行が南ではヤ行になったりするのが大きな違い。よく言われるのは、北のアオザイは、南ではアオヤイと呼ばれる。
文化の違いもあるっちゃあるが、これも東京と大阪の違い程度で、一緒に正月を迎えないまでになるのは、考えにくい。
これは永遠に外国人の自分には謎かもしれない。
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