誰かの何かに成りたかったわけじゃない

小学低学年頃読書感想文の課題で「かわいそうなゾウ」を読んだ。今でも覚えてる当時の感想は、「戦争のない時代に生まれてよかった」だった。それを聞いた親は「お前みたいな奴がいるからせんそうやいじめがなくならない」と一蹴した。だからそれがどうってわけではないが、当時はいけないことなんだと思っていたと思う。今思えばそう言った感想が出てくるのは何もおかしくないと思うし、親は親なりに教育に対して考えを持っての発言だったと思う。積み重なる経験や発見、驚きや様々なものがまた違う感性を養っていく。どれが正解なんてものは存在し得ないが、所謂普遍的な正解というのは存在する。現代における倫理観や道徳心は多数派が正しいよね正解だよねと思って培われていったものでしかない。だから天動説が昔は正解だったし、余裕がない世界では略奪が正解になる。何もおかしい事じゃないのに、おかしな事だと認識される。大切な人が死んだ時涙を流せないのは何もおかしなことではないし、介護に疲れて温情殺人をすることも、通り魔が存在することも、自分と違うと思う人間を排他することも何もおかしくない。正常かどうかなんて各人の指標でしかないのだから。「あの人ちょっとおかしいよね」「あなた変わってるよね」「初めて出会うタイプの人」全部その人が推し量ってるだけでしかない。社会を構築する上で、マイノリティは排斥しないと和が乱れてしまうため、そういった感覚を持ち合わせることもおかしくない。改札で突然立ち止まる人も、ぶつかりおじさんも、妊婦が目の前にいて席を譲らない人もおかしくないのに人は皆揶揄する。それもおかしくないのだが。おかしいこともおかしくないし、おかしくないこともおかしくない。だからそれを歌いたいって話でもないが、バンドをやっていると良く聞く言葉で「あなたたちを歌っている」とか「背中を押す」とか「あなたの辛さに寄り添えるように」とか沢山聞く。それはもう沢山、数多。歌詞やメロディなんてモノはその人が経験してきた指標でしか書けないと思っている、だから映画や本は自分の得れなかった人生の追体験だとも思う。だから私は誰の何かに成りたいとも思わないし誰かの為にも歌ってないし、強いて言えば自分の為だろうか。言わば歌は吐瀉物と変わり無いのだ。自分の感覚、自分の経験、自分の世界、全部自分。かわいそうなゾウを読んだ時みたいに、人生の読書感想文を書いている。それも原稿用紙1枚分くらいにしか満たない稚拙で幼稚な自分の為だけの感想文。何もおかしくない。

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