俺と格ゲーの話 10~ウメハラインパクト~
小学生を終えた頃にはもう世間で格ゲーをする機会なんてのはなかった。興味があるものが変わっていくから付き合いの合ったやつは異性や漫画に、部活に。ウチはガラのいい中学じゃなかったから格ゲーではなくリアル喧嘩に明け暮れていくような奴らに変わっていった。思春期を経由して疎遠になった友人も多い。もう友人と呼べる存在は一人くらいだろうか。その彼も仕事と家庭に重きを置いているからかれこれ5,6年を最後に会っていない。
その友人にアングラとして台頭してきた18禁ゲーム、通称エロゲを教わり、現在ではFate/grand orderの礎たるfate/stay night、その製作陣が同人時代伝説となった月姫などを知る、いわゆるアングラ文化黄金時代を経験する事になるのだがそれは別の話。
この頃にはすでに吹奏楽、ジャズをメインにやっていたのでそれと並行して、というような感じになっていた。まっすぐなのか変にねじれているのかよく分からない男だった。
俺が中学の時にはパソコンが家に入っていた。98だったと思う。まだDVDが普及しておらず、エロゲの体験版がエロゲ雑誌に入っており、そのrom媒体がCDだった頃だ。これが途中DVDに移行してかなり困ったりするのだが、今では想像もつくまい。
携帯電話を高校に持っていく事が割と問題視され、インターネットが世間一般に流行るのがもう少し後。wi-fiなんてものまだ普及していなかった頃に俺達はクソガキからオタクへ進化し、大学に行く事になっていた。
1,オタクが大学に行く前くらいまでの話
俺は高校を卒業後、親元を離れて大学生活を開始する。小さな、俗にいうFラン大学というやつだ。そこで人生に関わる数名と会うのだから人生は面白い。近年疎遠になりつつもずっと付き合いのあった友人もいた。
しかし俺はこの頃すでにゲームは卒業とまではいかなくともメインから外れており、時間の大半が楽器の練習に充てられている生活を送っていた。楽器を演奏してプロになりたい、という夢があった。どうやってなるのか、なんかは考えもしなかったが。
現在野球を語る際に技術に対する考え方などを伺う機会があってそれにコメントしたりする瞬間があるが、この辺りの毎日ほぼ楽器を一日中演奏していた経験と挫折がコメントの大きな支えになっている。
閑話休題。
でもゲームはやっていた。厳しい親だったのもあって、クソガキだった頃に朝起きるのにぐずるからゲームをやる事を金土日祝以外を禁止したのだ。厳しい判決と思うがこれが小学生の頃に慣れると案外楽で、俺も弟もなんだかんだ平日は部活に邁進して、そのあまりの日曜日とかにゲームをやるような生活になっていた。
体からゲームをやらないといけない、みたいな癖は抜けていたのだ。
もうこの頃にはゲーセンなんてものは田舎から失われていて、地元にある数少ない本屋の隣でしょんぼりやっていたくらいだ。近所にあったスーパーや駄菓子屋は閉店に伴いゲーム機も排除。地元でゲームをする場所なんかほとんどなくなっていたのもあって誰もがゲームに対して熱を上げていなかった。
ゲームよりは服とかバイトとか、当時本格的に出てきた携帯電話とかに熱を上げる人が多くなっているような、そんな頃だったのだ。
だから親元離れて大学生活を始めてもほとんどゲームをしていなかった覚えがある。
当時やっとPS2が安くなり、そろそろPS3が販売されるか、という頃だったからもうPS2自体も物珍しいものではなくなっていた。俺もその頃はパワプロを弟と遊び倒していたが、それ以外のゲームに触れる事はほとんどなく、その代わり楽器のメンテナンス用品とか買っていた覚えがある。
高校時代ある友人にギルディギアの練習に付き合っていたが、その頃には熱も冷め、友達と遊んでいるというよりは付き合わされているという感覚だからあまりいい思い出もない。ゲームそのものもヴァンパイアからの進化っていう感じで「まだ格ゲーってこんな事してるのか」と呆れているくらいだ。
本当に格ゲー熱は失われていた。
2,大学に入ってからもそんな感じだった
俺がいた別府には大学近くにゲーセンが一つあった。なんだかんだ学生街だったことを考えさせられる。
うちの大学は大抵16時には放課する事が多いから16時からそのゲーセンは人であふれかえっていた。
もう三店舗ほどあったにはあったのだが、そこそこ距離があるのとどちらかというと一店舗のセガはクレーンゲームや大型筐体寄りで、機動戦士ガンダム戦場の絆というガンダム体感筐体はここにあったのでここに集まる面々が一部。もう一つは格ゲーなどもあったが音ゲーが強かったので音ゲーの面々がそこに。
九州横断道路に一店舗あったがそこはスポーツゲーが強く、そういうのを主戦場にしている面々が多かったか。
格ゲーをする奴は学校から近いのもあってそこに集合していた思い出がある。
内容としてはストリートファイター3 3rd strikの2on筐体が二基。(2onとは対戦用に向かい合っている状態を指す)。機動戦士ガンダム連邦vsジオンの2onが二基。naomi筐体で動かされていたサムライスピリッツ零、月華の剣士、KOF2002かなにかの2onが一基ずつ、というような感じだった。
割とアーケードゲームに特化していた。
そこに俺は張り付いていたか、というと全然そんなこともない。
ゲーセンで遊びに行くなと教育されたかつ「今更格ゲーはねえ」となっていた世代。わざわざ行く理由もないのだ。
だから1年ほどは格ゲーに触れる事もなく、下宿していた指定寮にしかれていたインターネットをずっとやっていた印象がある。
3,レッツゴージャスティン! 格ゲーの印象が覆った瞬間
そんな時にある動画と出会う。
当時はまだスマホではなく二つ折りの携帯電話の頃で大学生となると大抵が通信料定額制のパケホーダイというものに入っていた。電話代と別途通信料を払えばどれだけ携帯電話でネットにつないでも値段が変わらない、というシステムだと思ってくれればいい。
現在のwi-fiが携帯についていて、携帯電話限定でインターネット使い放題、みたいなイメージだとわかりやすいか。言い換えたら携帯電話のインターネット使い放題なんてその程度であったし、実際1GBを超えるくらいが大学生の使っているパケットの平均値くらいか。10GB超えるとそこそこ使っている、みたいな感じだった。
その当時は性欲さかんなエロオタクだったから当然そういった動画を集めていたのだが、ある時格ゲーかなにかの動画を見つける事になる。
これがどういうタイミングだったかは記憶に浅い。ただ、18の頃であったのは記憶している。まだインターネットがパソコンで繋げる事が出来たから。
その時に観た動画が、誰もが知る「背水の逆転劇」であった。
Daigo vs Justin Evo 2004 in HD(EVO 公式アカウントより)
これを観た時の衝撃は今でも覚えている。
というかいやー、今でも心躍る。
ここで少し格ゲーのシステムについて簡単に説明せねばならない。
基本的に格ゲーとはボタンを出して攻撃を出すのだが、それのダメージをなくす、または軽減する方法としてガードというシステムが与えられている。
大抵の格ゲーの場合は相手の向いている方に反対のキーを押す事で攻撃をガードできるのだが、これは全ての攻撃には当てはまらないのだ。
例えば格ゲーの必殺技たる波動拳。これをガードした場合、直接ダメージを受けた時よりはダメージそのものは減る。だが、食らったものは通常攻撃ではなく必殺技としてカウントするため、削りというダメージを蓄積するようなシステムが混ざっているのだ。
なので上についているHPがほとんどない状態で相手の必殺技をガードすると削りダメージが入ってHPゼロになり負ける、という事が起こりうる。
そしてこのゲーム。ストリートファイター3には逆にタイミングよくガードと反対の方向キーを押すと相手の攻撃ダメージを0にするブロッキングというシステムがある。
言ってしまえば防御してダメージを軽減するのではなく、相手の攻撃をタイミングよくはじくシステム、と覚えていただければいい。これがストリートファイター3最大の特徴である。
勿論オタク生活をしていたらスト3のブロッキングシステムなんかは情報として手に入っているのだが、格ゲーをクソガキの頃にやり込んでいたからこそその難しさがわかる。
相手の出した攻撃をタイミングよく合わせて止める、なんて一、二発は出来ても連続する攻撃や、攻撃を重ねた超必殺技なんかは不可能と考えていたのだ。
しかしそれをやっている動画がある。
ギャラリーが大騒ぎしているから恐らく第三者の多くが観ている試合で。
それがウメハラこと梅原大吾のプレーした「背t水の逆転劇」だった。
一応当時の2ちゃんねるでは格ゲー板にもいたのでウメハラの存在や格ゲーの全国大会である「闘劇」、世界大会である「EVO」の存在自体は知っていたが、初めて観た時はこれが何の試合だったとか、誰が何をしたのか、とか分からないまま大盛り上がりしたものだった。
今改めて調べるとストリートファイター3は格ゲーでも斜陽に差し掛かった時期の作品で、2000年にはストリートファイターを出したカプコンと餓狼伝説などを出していたSNKがキャラクターを出し合って作った「CAPCOM vs SNK」という当時のクソガキにはまばゆいタイトルも出ていたのだが、もうクソガキ達には格ゲーは遠いものでほとんど知られていなかったし、この辺りでカプコンも格ゲーをたたむことを検討していた。
そして一時日本を揺るがしたバーチャファイターもイマイチ盛り上がりに欠け、ぎりぎりバンダイナムコが出していた鉄拳だけが一人気を吐く状態だった。
その死にかけたストリートファイターを復活させたのがあの「背水の逆転劇」だった。あれからほとんどいなかったユーザーが一気に増えて、ストリートファイター人気がまた爆発した、という話を聞いたことがある。
まさにオタクはその一人だった。
前述のゲーセンに週一は通うようになり、PS2で出ていたストリートファイター3のゲームを買い、ほぼ毎日格ゲーを一時間はやる日々。
オタクのどこかにクソガキが帰ってきた瞬間だった。
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