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”神化”する大谷翔平と荒川事件

大谷グローブがあまりにも世間に影響を与えすぎている。

大谷グローブ「キター‼」と市役所に展示した市長に批判 いろいろアウトと言えるこれだけの理由(東京新聞)

大谷翔平の小学校への寄贈グラブがまさかの〝転売騒動〟「こんな出品はやめて」と批判が殺到(東スポ)

彼が素晴らしい選手ではあるのだが、今回のグローブにおける騒動は正直逸脱している印象を受ける。それほどまでに素晴らしい行動だというのか。
大谷グローブに関して私は「ニューバランスの広告戦略」の一環として見ているために「大谷翔平のプレゼント」という風には見ていないのは記した。(大谷翔平のグラブプレゼントとニューバランスの戦略/拙稿)
「選手の奉仕」という体裁を見せればそれだけで十分な広告戦略になるし、実際それを受けた子供や管理者も”適切に”管理できれば誰もがよし、という結論に至る。まさに三方よしな戦略でもある。

しかし、段々と泥沼の様相を呈している。

1,教育現場から大谷グローブの現実を考える

前回野球文化學會研究大会にて中間茂治氏の話を出したが、印象的なことを話されていた。グローブが学校に来ることが決定した際、丁重に扱うように教員に徹底させたということだ。
教員たちは「野球好きの校長だから」と苦笑いで受けられたということだが、現状様々なニュースを見ているとあまり笑いごとにもならなくなりつつある。
それこそ粗雑に扱いもすれば現状のようなニュースで取りざたされ、多くの批判が集中する事態になってしまう。図らずも氏の行った行動は正しいことを証明してしまった。元々高校野球で顧問をしていた氏ならではの手先感覚だったのかもしれない。なるほど野球とはここまで人を狂わせるものなのか。

これ以外にもX(旧ツイッター)上で小学校教諭と思われる男性が「大谷グローブの管理が大変。無償だからとなんでもかんでも小学校教員に押し付けるのはやめてほしい」と愚痴のようなものをこぼしたところそこに大量の”野球ファン”が群がり彼を攻撃。阿鼻叫喚の雰囲気を打ち出していた。

ちなみに私はこう思った。
確かに対岸にいる我々にとっては素晴らしいチャリティ精神であるかもしれないが、これを扱う当事者たちにしたらしゃれにならない。そうでなくても前述したとおり多くのバッシングが起こる世の中だ。その扱いの難しさは尋常ではないだろう。
しかもそれを「仕事」で行わなければならない。
趣味や興味のあるものであれば多少楽しんで管理も出来るだろうが、今回の大谷グローブなどは野球に興味がなければよくわからない、様々な意味で扱いの面倒な牛革のグローブが三つ送られてきたも同然だ。なんなら職員室内での教員間での決定だろうから、当然希望で小学校に送られる大谷グローブに反対した人間がいてもおかしくない。そうなればその煩わしさはさらに加速させるだろう。

野球に興味のない層にとっては「面倒な仕事」が舞い込んできたわけであり、なんなら野球に多くの関心を寄せている私ですら私の職場に同様のものが送られてきたら「面倒くさくて扱いたくない」「なぜこんなことをせねばならないのか」「これを管理して給料や休みが増えるわけでなし」と愚痴を漏らすだろう。
昨今は教員人口減が叫ばれているが「子供相手には無償奉仕の精神でなければいけない」という押しつけがましい傾向も拍車をかける要因ではなかろうか。

2,神棚に奉られる大谷翔平

ここ数年で大谷翔平という人間がどんどん”神”としてまつられているように感じる。
これは別段彼が素晴らしいという事ではない。彼を取り巻く環境が野球選手以上の評価を与えようとしているということだ。

確かに彼は素晴らしい選手であるし国際大会やチャリティにも積極的であることが2023年の行動で証明された。それは我々一般人も見習うべきことである。
一方でそれを過剰に信奉することは意味が全く異なる。
言ってしまえばなんだが、過去あったオウム真理教のようなカルト臭すら覚えるのだ。

松本死刑囚、“胡散臭いが憎めないキャラ”でテレビ出演 そのメディア戦略(yahooニュース)

勿論カルトと呼ばれる宗教と大谷翔平とは全く同じ点があるわけではない。
大谷翔平は単なる野球選手だ。どれだけ野球で記録を残してもMLBの記録記事の外から出てくることはない。オウム真理教や松本智津夫はその線を踏み越え、テロリスト集団と成り果てたのだから。
ただ、オウム真理教の教団内での過剰すぎる教義、いや、自分の信じているものへの過剰すぎる自信と妄想にも等しい狂信感はかなり似ている。
大谷翔平にあらずば人にあらず、と言わんばかりだ。彼の行動全てに共感を覚えることが「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」とでもいうのだろうか。

野球史をやっていると記録から様々な出会いに巡り合う。
例えば元広島のマイク・デュプリーがメジャーでも投手として登録されながら代打などもこなしていた二刀流の原型みたいな男の一人であったこと、ベーブ・ルースが二刀流としてやっていたシーズンはどちらかというとレッドソックスの人材不足の側面があったなど、多くの伝説や物語に出会う。
だからこそ大谷翔平という存在は野球史では特異点の一つにはなるだろうがそれ以上にはなっていない。
むしろメジャーではあまり活躍しなかった男が阪神で三冠王になり、アメリカに戻ったのちオクラホマ州上院議員として活躍した選手や、メジャーはおろか3Aにもいけなかった落第野球選手がプロレスの舞台では”マッチョマン”の名でハルク・ホーガンなどとWWFを支えた男のような、違う世界で活躍した男ではないのだ。(両者調べていてハッとなったが名前が同じランディなのは妙な偶然だ)

彼は野球選手であってそれ以上ではない。
彼が野球をやめても私たちの生活に変化はないし、彼が勝利投手になろうがホームランを打とうが明日の仕事は減らないし、なんなら経済波及効果次第では仕事が増える可能性がある。
それを「アメリカで活躍する日本人」と神棚にやってありがたがろうとする。それはまだしも、一野球選手である彼に対して様々な思いを持つ人々を「大谷翔平をリスペクトせずば人にあらず」と言わんばかりに攻撃し非難する姿勢というのはいかんせん理解しがたい。

3,荒川事件は昭和の事件ではない

ここで私は荒川事件を思い出す。
荒川事件を存じている人もだいぶ少なくなっただろうか。早大屈指のホームラン打者でありながら王貞治、榎本喜八を育てたといわれる荒川博が義理の息子とした荒川尭を大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)ファンと思わしき暴漢二人に襲われ右後頭部と左手中指に亀裂骨折をした、というドラフト史でも大きな事件である。
元々荒川博のいる巨人か神宮球場が本拠地のサンケイアトムズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)以外入団拒否の態度をとっていた荒川尭が大洋からの指名に対して入団拒否。それに非難が殺到し、遂には事件に発展したものであった。

この時の大洋ファンの心情いかなるものか、とたまに考えることがある。
巨人サンケイ以外は入る予定がないと言った荒川に対し大洋は足蹴にされたと思ったか。それとも元々彼が嫌いだった不特定の誰かが今回のバッシングをきっかけに襲ったものか。それを知るすべはないものの、今回の大谷グローブを取り巻く環境と非常に似ている。
確かに荒川事件のような手荒な事件は起きていない。
しかし大谷グローブを取り巻く周囲のメンタリティはかなり荒川事件における不特定多数の心情に近いのではないか。

勿論全ての大洋ファンが荒川事件の際のようなメンタリティを持っていたという話ではない。大人になればなるほど人を見る機会が増え、メディアの話していた内容も多角的な面から捉えるようになっていく。その中では荒川尭の姿勢に一定の理解を示す人間もいるだろう。特に荒川尭は博の実子ではないからこそ義父への筋を通すためとも捉えられる。
また今のように12球団がみなプロ野球として盛り上がっていたわけでもない。パリーグのようにリーグそのものが収入にあえいだり、巨人戦のあるセリーグでさえも他チーム同士の試合は「巨人戦以外」と揶揄された時代だ。
巨人戦とそれ以外、という時代から脱却するにはかなり長い時間を要している。だからこそ阪神、大洋のように判官贔屓的な意味合いでチームを応援する、いわば”アンチ巨人”のメンタリティで応援していたこともあった。
社会における様々なことに思いを巡らせることはできる。

だが、荒川事件は起きてしまった。
まるで荒川尭の入団拒否を「野球文化に対する冒とく」と言い切ってしまうかのように。

このメンタリティが非常に似ている。
「大谷グローブを雑に扱う者は全て断罪せねばならない」と言わんばかりに批判を行い、あらゆる罵詈雑言を吐きかける態度は攻撃手段を手や武器から言葉に変えただけのものでしかない。
心はどれだけ傷つけてもいい。身体には傷は残らないのだから。という精神性なのだろうか。
とかく理解しがたい。

総人口批評時代と言われるような世の中になってしまったが、改めて今の時代も昭和的な「気に入らない行動をする人間にはなにをやってもいい」というようなメンタルを個々が宿している時代を改めて表面的にしているような感覚がある。

最後にもう一度言っておくが、大谷翔平は野球選手だ。
メジャーやWBCで活躍しようが、小学校にグローブを送ろうが、それは一野球選手のやれること以上のことはやっていない。
彼のチャリティ性を褒めるのは素晴らしいことだ。

しかし、それに伴う多くの事象について批判を煽ったり、当事者を殴りつけるようなことをやっていいわけではない。それは手であっても言葉であっても。

彼は野球選手であって現人神ではない。

それを忘れた瞬間、自分たちが妄想で作り上げた大谷翔平という神のために第二の荒川事件や挙句の果てにはカルト宗教のような行動になってしまうことを理解し、自分をいさめていかなければならない。

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