辰巳涼介の「未来から来ました」を受けて
過去WBCの二の次くらいの扱いをされていたプレミア12がこれほど注目される日が来るとは誰が思っただろうか。
過去あまり野球の話をしていなかったSNSのフォロワーが国際野球に触れて欧州野球のことを事細かに調べていて今では自分より多くのことを知っていたりして、今回の出場で多くを話していたりする。アメリカと日本、韓国、キューバくらいの盛り上がりと思っていた野球が段々と形を変えていることを実感せずにはいられない。
私も2010年代後半から国際野球に対して興味を持っているが、過去調べていたことを簡単に超える量の情報が入る時代になった。軍司貞則のもう一つの野球もまた古き書籍になってしまったことを思えば時代の変化をまさに目の当たりにしている。
そんな国際野球への関心が増えつつある時代の今、プレミア12は日本が優勝候補でありながら台湾が優勝することに至った。
過去嘉儀農林高校が甲子園の土を踏み、優勝まであと一歩だった時代を思えば台湾にとっては遂に「その日」がやってきたのだ。1955年のドジャースワールドシリーズ制覇など比にならない「This is the next year!」だ。
様々な意見があるが、日本とアメリカとその周辺以外興味がないスポーツと言われた野球がまた一歩変化の兆しをしていると思うと素直にこの優勝を称えたい。日本としては痛い敗戦ではあるかもしれないが、国際野球という点でみれば大きな一歩だ。欧州や中央アジア、西アジアに中東といったところも出てくればまた野球の在り方も変わってくると思うが。それは私が死ぬまでのおおよそ3,40年以内の楽しみとしておこう。
しかし日本代表の敗北、というの日本ではショックだったようで多くの意見が散見された。
考えてみればほぼ全敗であった第二回日米野球から負けないのが当然と思われるような国になっていったのは感慨深い。歴史的に見れば日本だっていつも強かったわけではない。それこそ歴史の醸成というものだろう。
その中でとりわけ扱われたのが楽天ゴールデンイーグルス辰巳涼介選手であった。
明るくひょうきんなキャラクターを前面に押し出す彼は多くの珍言を残した。
負けたら投手宣言や試合前円陣声出しでの「未来から来ました」発言など。
試合に負けた結果、手痛い批判が彼にも飛んでいる。お調子者は狙われる性か。
しかし、私はこれが強い批判にさらされていることにかなり違和感を覚えている。負けたら投手宣言は批判されるのも仕方ないと思う反面、未来から来ました発言は別段無茶な内容とも思えないのである。
全文はこうだ。
「どうも未来から来ました。未来といったら、今日の夜の12時ぐらいから来たんですけど。もう、答え言っていいですか? 優勝しています。なので道中に先制されようが、逆転されようが、気にしなくて大丈夫です。焦ることなく、自分が出せる力をみなさんが出し切って下さい。優勝おめでとう! それでは行きます! さあ、行こう!」
最初に訳の分からないことを言って混乱させ、その訳の分からないことを後半で説明するのは飽きさせない会話方法としてセミナーなどでよく使われることである。
この話の主体は「優勝した」ではなく「我々は優勝するのだからどんな状況になっても焦らずいつも通りに行こう」というものはきちんと読めばわかるだろう。
全文を書き表すと中々に悪くない。これを驕った発言と揶揄されているが別段そうも思わない。むしろそれは結果論有りきだ。
というよりも多くの書籍でそんな言葉を見てきた記憶がある。
ある高校は甲子園出場でガチガチになったチームメイトに監督が「相手の方が強い。負けて当然なんだからのびのびやりなさい」と言って勝ち続けたといえば、巨人の監督は国民的行事とされた試合で「俺たちは勝つ」と連呼して本当に勝ったり、巨人でも別の監督や、巨人を追われて九州のチームの監督になった男はある日本シリーズで負けた時「相手が強いんだから(負けてもしょうがない)」と言って安堵と共に明日への注意を強めたり。
試合前にどういう発言をするかでモチベーションを作る事は決して真面目な発言だけではないのだ。好きなチームの選手自伝を開いてみればいい。きっと日本シリーズやここ一番での試合では監督が何を言っていたか必ず書いている。
しかし不思議とそういう発言は選手たちも信じてしまうもので、それがそのまま試合へのモチベーションに繋がってしまう事も少なくない。
実力伯仲していればちょっとした差が勝敗を分けてしまう。
では辰巳選手の発言はモチベーションを落とすものか。
そうではないだろう。前述したとおり目的は「選手をリラックスさせること」に主眼を置いている。その裏には日の丸、国旗を背負う重みと戦う選手たちの姿がある。
「勝てる勝てる。ヨユーヨユー」
と心の底から思っているわけではない。そう思わなければ潰れてしまうリスクと戦いながらの発言だ。
何かを背負って戦う、というのはあまりにも重い。それに決勝まで打ち勝ってきたからこそ「いつも通りに戦えば勝てる」と思っての発言だ。
結局、その日本に台湾が打ち勝った、というだけの話なのだ。
辰巳選手がもっとまじめな発言をしていても負ける時は負けているし、もっとおちゃらけた発言をしていても勝っている時は勝っていた。もしかしたら巨人の監督のように「俺たちは勝つ」を連呼しているだけのほうが結果勝っていたかもしれない。
しかし台湾が勝ったのだ。
台湾が日本を上回った。それだけが事実なのだ。
熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
私は学生時代萬葉集を研究していたのでこういう時この歌を思い出す。
新羅と戦争になった百済への援軍のために出た大和国が熟田津に船を止めている時に額田王が詠んだとされる歌だ。萬葉集に触れた事のある人ならば一度は触れただろうし高校の教科書でも春秋判別歌と共に頻出される歌だ。
この後の歴史が語るように、この遠征の際に天皇であった斉明天皇が朝倉宮(現在の福岡県朝倉市)にて崩御、そして白村江の戦で大敗を喫した。
この歌ののち、大和国は大打撃を追い、のちに即位した天智天皇(中大兄皇子のほうが聞き覚えがあるか)が近江へ遷都を行うほど大和国が荒れた。
しかしこの歌が詠まれた時はそのようになると思っていなかったはずだ。
言霊、ではないが、潮もかなひぬ、海の流れすらかなわないというほど軍勢があるのだから負けるはずがない、という気持ちで詠まれているはずだ。
この歌の言霊が通じなかったから白村江で大敗を喫したのではない。もっと別の要因だ。白村江の大敗は額田王の詠んだ歌に責任を追えるのであろうか。そうではなかろう。
だからあまりにも加熱する辰巳選手への「未来から来ました」批判をあまり快くは思っていない。負けたという結果論から犯人捜しをした結果、この発言がやり玉に挙げられているように映るのである。
それはまるで「巨人はロッテより弱い」とマスコミに発言を脚色された加藤哲郎が「そのようなことを言っていない」と本人の発するまで、多くの野球ファンが「虎の尾を踏んだ愚か者」扱いした過去と同じ行為だ。
どうか正義の名のもとに「魔女に与うる鉄槌」を下すような真似はやめてほしいと願うばかりである。