頑張れ弓削田中戦士

去年の今頃であったか。
「弓削田中学校が廃校する」
という知らせを受けたのは。

地元田川市は少子高齢化に伴って異常なまでに地域住人が減っている現実がある。私の住んでいた地域の商店街はほとんどがシャッターで閉まり、空いている店もほとんどなくなった。
あれだけ多かった本屋も残すところ市内で数店舗という状態である。こういう田舎では人口のバロメーター的な要素もあるパチンコ屋がガンガン撤退しているところが悲壮感をさらに誘う。
段々と寂れていく街。それが田川という街である。

そのため少子化が止まらず、地元の中学校は多くが統廃合する事に。
東側になる地域を田川伊田中学校が、西側になる地域を田川後藤寺中学校が一つになり、残り多くの中学校が閉鎖となる。
特に吹奏楽で地元を鳴らしていた鎮西中学校、県道で鳴らした弓削田中学校が消えていくのは改めてこの地域に子供がいなくなったことを実感せずにはいられない。

そんな中、ツイッターである情報を得た。
弓削田中出身の選手が今早稲田大学の野球部で投げている、という話であった。
調べてみると弓削田中から早稲田佐賀を得て現在早稲田大学の投手として投げており、フレッシュリーグでもすでに投球している事が分かった。

プロに入るかは別として、残り二年、いいキャリアを過ごしてもらいたい。

また、社会人でも一人弓削田中出身がいるという話だった。
意外な事に今社会人野球でも勢いのある大阪ガスで同じくピッチャーを務めていた。
名前は秋山遼太郎。

既に都市対抗でも投げており、温水、阪本のいなくなった大阪ガス投手陣でリーダーとしてチームを背負っていく事になる。
年齢的にはプロというのはなかろうが、今一番勢いのあるチームの一つである大阪ガスでリーダーの立場にいるというのは弓削田中出身の野球部員として誉れである。しかし、田川高→福大とは自分も行きたかったルートなので羨ましい。

この二人が恐らく弓削田中所属の野球部員として最後の灯を放つことになるだろう。まだ学校に人がいた最後ら辺りの世代だ。

実際この中学校は野球部がとても強いというわけでもない。
やたら気合が入ってはいたから強かった時代はあるかもしれないが、少なくとも地区予選まで行った記憶はない。県大会も怪しい。
そのくせ私の世代はヤンキーマンガに憧れたかたばこシンナーやりたい放題、みたいなところもあり、そこで非行に走ったやつは何人いただろうか。理由もなく部室棟に近付いてはならない、は当時の仲間内でも合言葉のようなものだった。

そんな中学校が10年以上の歴史を得て変化したと思うと感慨深い。
それどころか日本でも名だたる大学や社会人でプレーを続けるのは誉れというほかない。喜びが勝る。

ただ、一つだけ懸念がある。
彼らが帰る中学校はもうないという事だ。
高校や大学があるから問題はないかもしれない。
だが、どんな記憶が薄い場所でも学び舎が一つ消えるという事はこれほど寂しい事もない。彼らがどれほど活躍しても中学校にその錦を飾りに来ることはもう永劫二度とないのだ。

それは言い換えれば彼らと私の繋がりを失う事にも等しい。
私も彼らも「元弓削田中OB」になってしまったのだ。もう帰る場所はなくなってしまった。
我々はもう校歌を歌いあう事すらなくなったのだ。

学校の横には一本の桜がある。
入学式と卒業式は必ずそこで写真を撮る。
いつも桜が満開に咲き、桜吹雪の中、全員で写真を撮るのだ。

もうその姿が見られないと思うと、すこぶる寂しい。


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