ボットが引退すると聞いて
ジョーイ・ボットが現役引退を表明 2010年レッズでMVP イチロー氏と親交深くドーナツ差し入れに…(スポニチ)
遂にこの日がきたか、という気持ちが先に出た。
1シンシナティ・レッズファンにおいてずっとファーストを守っていた彼がダイヤモンドの土から去る日がくるのは寂しさがかなり先立つ。
勿論近年は正直見る影もなかった。完全に打線のストッパーとなっていた。2022年などは「どうしてそこまでしてボットを使いたがるのか」と思うほど使われた。もはや誰もがレジェンドでありながらもメジャーで戦える力のない男としてみていた。
だから正直ブルージェイズに出された時は少しほっとしたものだった。来年もいたらファーストに彼がいるのではないか。「復活するかも」と淡い期待を寄せながら彼が三振や凡打でアウトを積み重ねる姿に肩を落としていた可能性もあった。それがなくなっただけでも安心したものだ。そうでなくとも巷を騒がすエリー・デラクルーズをはじめ、多くの若手が台頭してきたころだ。怪我しながらとはいえマット・マクレイン、ジョナサン・インディアといった力強い選手が出ていたから正直お荷物になっていたのは否めなかった。
それでもやはりボットがシンシナティの赤いユニフォームを脱ぐというのは一抹の寂しさを催したものだ。GABPのグラウンドに彼がいなくなったのを見るようになって久しいが、それでも彼がファーストを守っている姿は目を瞑れば思い出せる。
実は彼が登場した時はまだ私もメジャーは観ていない。
2007年という事だから丁度私が二十歳前後だ。まだPS2が全盛期でスマートフォンというものがなかった。無線LANというものがまだ生まれたてだったから多くが有線LANでインターネットを楽しむのはなかなか大変だった時期だ。
2007年のスタメンを見てみると懐かしい名前が並ぶ。
まだケン・グリフィー・ジュニアがいたころだ。もう年齢的にも精彩を欠き始めた時期ではあったがそれでもビッグ・レッド・マシーンの一翼を担った男の息子がレッズのライトを守ってくれたのは嬉しい記録だ。
三振かホームランかの極端な打撃が有名だったアダム・ダン、2010年代までレッズのセカンドを守り続けたブランドン・フィリップス。ブロンソン・アローヨがバリバリ投げていた。テキサス・レンジャーズで開花するジョシュ・ハミルトンが守っているのもなんだか近年のアダム・デュバルを思い出す。どうしてレッズの外野は外に出たら活躍しだすのか。こういうところにシンシナティの香りをさせていた時期にデビューを果たしている。
翌年には選手が思い切り入れ替わりファーストに起用。
強力な打線を形成していく一翼を担うジェイ・ブライス、エースとして成り上がっていくジョニー・クエトも加入してくる。2010年代の香りがし始めた頃にボットはメジャーに定着したのだ。
その彼らが中心となった2010年にナ・リーグ中地区で1位通過。
ポストシーズンではロイ・ハラディ、ライアン・ハワード、シェーン・ビクトリーノのいるフィラデルフィア・フィリーズになすすべなく敗北しているが.324、37本塁打、113打点でシーズンMVP。シンシナティを沸かせた男の一人であった。
特にボットは四球の選べるであった。
2012年の打線における中核はボット、ブライス、そしてザック・コザートであったがブライス、コザートは100三振が当たり前の中、85三振であった。一方でフォアボールは94という数字をたたき出している。
正直に言えばこれでも調子が悪いほうで毎年四球を100以上とり、毎年ナ・リーグの四球王になっている。打率も.337ととにかく選んで打てる選手だった。本塁打は10本であったり30本であったりと波があるものの、いつも必要な場面で高打率をマークする選手であった。
打線だけでいえば2013年は本当に豪華だ。サードにトッド・フレイジャーが定着し、秋信守が外野を守った。投手陣にもアロディルス・チャップマンが登場し話題をかっさらったものの先発が崩壊し3位。思えば元々シンシナティの投手事情があまりよくないのは歴史的にもそうなのだが、本格的に先発に苦しみ始めるのはこの時期からか。
ボットもこの年初めて全試合出場している。文字通りレッズの顔になった瞬間でもある。
弱いころのシンシナティ・レッズは本当に勝てないながらも面白いチームだった記憶がある。
筆者も調べていて分かったのだが2017年にセカンドがブランドン・フィリップスからスクーター・ジェネットに変わっている。私は結構フィリップスの印象が強いのでこの時期からシンシナティを追っていることになる。むしろスクーター・ジェネットの印象のほうが弱いくらいで、成績を見てかなり爆裂しているのに驚いている。サードにヘウレニオ・スアレスが入り、外野にアダム・デュバルがやってきた。今年帰ってきたタッカー・バーンハートもマスクをかぶり始めている。
2000年代に還ってきた盗塁王ビリー・ハミルトンことハミルトンもすでにセンターを守っている。我ながらこんな時期から見ていたか、と驚いている。クエトもチャップマンもいないからなおのこと印象がつながる。ジャイアンツで活躍するクエトを見ながら「帰ってきてくれないかなあ」と思ったものだった。
この頃にはボットは完全に中心であったように思う。確かにデュバルなど打てる選手はいたのだが段々とフィリップス、コザートが落ち着き始め、デュバル、スアレスも安定感に欠ける。ハミルトンは足は速いが打撃が上手いかと言われると口をつぐむ。
確かに打てる選手は増えていくのだが、では勝てているかというとこれが全くだった記憶の方が強い。これは現在まで抱える問題になっていくのがなんというか歴史のつながりを思わせる。
ただ、段々とボットが輝きを失い始めたのもこの時期だったように思う。
いわゆるレジェンド枠に片足突っ込んだ時期であり、言い換えれば選手としての力が落ち始めてきたのを実感するのが2017年以降だったように思う。
打率はよくないものの思い切りのいいデュバル、スアレス。さらにジェシー・ウィンカーも入ってきており若き力が出てきたころだ。
丁度大谷翔平とエンゼルスが騒がれていた頃であり、ザック・コザートが出ていき、エンゼルスで活躍できぬまま消えていったのを記憶している。
2019年にヤシエル・プイグ、マット・ケンプが加入したときはちょっとした騒ぎになったものだった。打撃の華になれそうな一方でボットの性格と合うのか、と疑問に思われていた。
結果としてやっぱり相性はよくなかったようで両者とも成績を落としていく。一方でスアレスが49本と大ブレイクした年でもあり、日本でも色々話題になったアリスディリス・アキーノが期待の若手として登場したときでもあり、少しずつ世代交代の足音が聞こえ始めた時期でもあったように思う。
そんな彼も一気に老け込んだのが2022年だったというのは強く記憶している。2021年も調子こそ悪かったものの後半に息を吹き返したが2022年は怪我で出遅れるともう復活できなかった。奇しくもこの年前年新人王のジョナサン・インディア、タッカー・バーンハートに代わる新しい若手捕手のタイラー・スティーブンソンが怪我をしたりととにかく荒れに荒れた一年だった。
ブランドン・ドゥルーリー以外見るものがなかった記憶がある。しかもその年トレードに出したから余計見るものがなくなり、シーズン100敗という記録を残したのを今でも記憶している。
この時期のボットの印象は「三振」だった。
とにかく三振する。三振の文字が成績に踊っていた。あれだけボールを選べた彼がこれほどまで三振するとは、と思ったものだった。ふと引退という言葉が横切らずにはいられなかった。
23年になると余計それが目立ち、なぜDHに彼が立っているのか、というような状況になってしまった。
ただ本人もそれを自覚していたのか、この年活躍し始めたマット・マクレインを後継者指名しながらチームから去り、地元カナダのブルージェイズに行った。
結局ボットはメジャーに戻ることが出来ず、引退を宣言したのだ。
今思えばブルージェイズへの移籍は地元カナダに錦を飾りに行ったのだろう。最期はカナダで、という気持ちもあったのかもしれない。結果ロジャースセンターの土を踏めずにアメリカのマイナーリーグで終わりを迎えたのだが、それでもカナダの球団に自分の文字を入れたかったような気概を覚えずにはいられない。
とはいえ、正直に言えば。
昨今ほとんど見なくなったフランチャイズプレイヤーとして終わってほしかったな、とシンシナティファンの私は思うのでした。
ありがとう、ボット。