野球バカを生んだのは誰なのか

元巨人ドラ1松本竜也容疑者を逮捕、清掃受託住宅で腕時計2個窃盗か 15年野球賭博関与で追放(日刊スポーツ)

プロ野球選手、は多くの人があこがれる職業だ。
カクテル光線の中、多くの観客に見守られマウンド、打席、守備位置についていく。彼らの結果が多くの人間を一喜一憂させる。そしてそれが金銭となるものだ。日本の興業では古い位置にあたる。それが親会社の広告塔的扱いだった時代を含んだとしてもだ。
ある意味でそれが価値観の全てになってしまった人間というのは一定数いる。いつしかプロ野球は子供の頃から有名ボーイズなどで鎬を削って甲子園常連校に行き、そこでスタメンに名を連ねて名前を売っていく。そんな世界にもなった。
それの是非に関しては今はおいておこう。そんなものは玉葱の芯を探すようなものだ。答えはないのだから各々の心情で勝手に決めればいいと思う。

しかしながらドラフト一位だった男の転落人生を見ているとなんとも言い知れぬ気持になる。

一方でこんな記事を見つけた。

巨人・松井颯の盟友、元明星大の159キロ右腕・谷井一郎はなぜ野球界から姿を消したのか(webスポルティーバ)

谷井一郎のことはよく覚えている。
SNSの普及によりアマチュア野球好きが総スカウト時代に突入し、もはや隠し玉という存在はいなくなりつつある現在、彼の159km/hが大騒ぎされたことは記憶に新しい。
しかしその後の話は知らなかった。恐らく独立辺りでやっているのだろうと勝手に推測していたが一般企業に就職していた。
同大学の育成ドラフト入りをした松井颯の名前がきっかけで巨人、という名前が躍っているが、同じ巨人の名前が出て、本指名と育成指名の違いながら一位という妙な共通性を得た二つの記事はその明暗をきっかりと分けている。

我々一般人でも何かしら野心のようなものはある。
男ならヒーローに、女ならプリンセスに憧れるのは誰もが記憶の片隅に眠っているだろう。そのヒーローやプリンセスは現実にあるものか否かは問題ではない。
ある子は仮面ライダーになりたいといい、ある子はリトルマーメイドのアリエルになりたいという。ある男児はパイロットになりたいといえば、ある女児はお嫁さんになりたいという。そんな輝く将来への淡い期待というものがあったはずだ。
それが学校や社会を受ける事で変化していく。仮面ライダーが部活のエースになり、アリエルがキャリアウーマンになっていく。そうやって現実との妥協点を模索し、各々の日常を歩いていくものである。そしてその日常ですら「なにかしら実力を見せつけてやりたい」と野心の炎を燃やしているものなのだ。それが自己成長のきっかけになったりするのだから悪いことではない。

ではプロ野球はどうであろうか。
小学生の頃プロ野球選手に憧れる球児は少なくないだろう。キャリアの在り方はいかんにせよ、漠然と甲子園に出てドラフト一位で指名されてその球団のエースとなる。このような将来像を浮かべているだろう。
自分がやり始めたか、または親にやらせられたか、いかにせよその道に進んだらそれが大成することを望むものである。

一方でそれは自分の視野を狭窄させるところもある。
この世界で生きていくからこそその世界に必要な技術を身に着けておけばいい、技術が誰よりも高ければ必ず誰かは見ていてくれている、それに従えばよい。こうやっていわゆる野球を知らない大人が出来上がっていく。
「(過保護すぎるあまり)電車のチケットも買えない」という笑い話があるが、そういう人間を醸成していまう環境があるのも確かだ。実は世界には自分の信奉する世界にも多くの魅力的な世界があるというのに、それに触れる事もせず、もしくはすることもままならず大人になっていく人もいる。
世間はそれを「野球バカ」という。

松本被告の記事を読むとどうしてもその「野球バカ」を思い出してしまう。
野球ばかりしか知らず、その世界ばかりで光を浴びてしまったばかりにそれを失った後どうするのか、という所をうまく纏めることができずに落ちぶれていき、最後には犯罪にすら手を染めていく。
彼ら「野球バカ」には「野球」以外のアイデンティティを創造することができなかった。野球こそが自身の至上価値であり、それを失う事はつまり自身の存在価値を失う事に相違ならない。
事実今回の事件に対し松本被告に対してかなりの誹謗中傷が見受けられた。犯罪の養護をするつもりはないがそれでも彼がプロ野球から追放された理由と今回の犯罪を安直に結びつけてしまうのはためらう。確かにプロ野球選手としての道は絶たれたかもしれないが、彼の人生はどこで捻じれ歪んでしまったのかを考えないと、それは野球ができていた頃の彼を無条件に誉めそやす無責任な人々と何も変わらない。

こういう「野球さえ出来れば何でも許され、結果を残せなければ役立たずのような扱いをし、犯罪者になっても『やると思っていた』と言ってしまうような環境」こそがこういった事件の根源に関わる一端のような気がしてならないのだ。

どうも日本は結果を残したことに対し過剰すぎるくらい甘く、結果を残せなかったことに対し過剰に厳しい。結果を残せば何をやってもいいし多少の素行不良が許される、という風潮が強い。一方で品行方正にやっていても結果が残せなければその人への扱いはひどい。下手をしたら人格否定にまで至ってしまう。
過去どれほどの時代の寵児を身勝手に持て囃し、それが堕ちると掌を返したように唾を吐きかける人々を見たか。勿論マスメディアもそれに手を貸してきたが、同じくらいにそれを見た我々一般人がそれに喜び群がった結果でもある。

例えば斎藤佑樹などは過去どれほどの人物がハンカチ王子の名のもと彼を誉めそやし、彼がプロで活躍できなかった時に白い目で見てきたか。報道番組での発言を取ってカイエン青山という仇名をつけられていた時期もあった。
こういう部分が多くある。
こういった民意に振り回された結果のように思えて他ならないのだ。

光を浴びるだけ浴びて王道を走らせた挙句、その道からこぼれると冷たい目で彼らを見る。それで価値観を醸造されてきた野球選手はその王道に戻ろうと焦るあまりさらに大きなしくじりを生んでいく。
そして飽きて捨てられる。その価値観に縋って生きてきた選手は自分の存在価値を失ってしまい、どんどんと墜ちていく。それで野球が出来ればまだ縋れるところはあるが、下手をしたら今回のような案件に至ってしまう。

だからこそ谷井一郎氏の言葉の重さがうかがえる。彼はインタビューでこう答えている。

「自分の場合は性格的にどこかで区切りをつけないと、30歳くらいになってもバイトをしながら野球を続けて......という生活になりそうだなと思ったんです。みんな『もったいない』と言ってくださるんですけど、野球を続けるのもギャンブルなところがありますよね。大学を卒業したあとも、野球に賭けるだけの気力もなくなっていました。やめるならここが一番いいタイミングじゃないか、と思ったんです」

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/hs_other/2024/05/08/159/?page=3

22の若者がこれだけ大人の意見を出していると改めて思う所も出てしまう。
22でプロの道も十分にあると思えばドラフト指名漏れなど心を折るにたやすいだろう。しかも同僚は指名されているとなればなおさらだ。
世間では独立リーグからのプロ出身者も増えつつある。最後の一望みをかけて勝負する、なんてある方が普通ではないか。少なくとも私ならそうするかもしれない。
その未練を断ち切ってその道を選んだ。それは野球選手ではない、普通の若者としての判断ではなかろうか。
谷井一郎は確かにプロ野球選手の夢は続かなかった。
しかし「野球バカ」ではなかった。一人の若者として自分の道を歩き始めた。これがどれほど素晴らしい足取りであろうか。野球以外の道を自ら決め、しっかりと歩き始めているのだ。

記事はその後、心の中にあるわだかまりを描いている。
150km/h出て自分の中に未練があることに気付いてしまったり、応援されていたという言葉へのわずかばかりの反発があったり、その世界で精いっぱい生きた男の苦しみもつづられている。

果たして、松本竜也にそれはあったのだろうか。
今でも「あの事件がなければ俺はプロ野球選手だったのに」とでも思わせてしまうような価値観しかもっていないのではないか。
そして、それを考えるきっかけを我々観客席側の住人たる我々は少しでも提供できたのだろうか。

「勝てば官軍、負けたら賊軍」という、あまりにも手前勝手な価値観を野球をしているだけの若者に、我々は押し付けてないだろうか。

前述したように犯罪そのものを擁護するつもりはない。
私の弟が働く工場では元プロ野球選手が勤勉に働いている、という話も昔聞いた。プロで活躍しなくとも一人の若者として生きている例はたくさんある。

この手の「野球バカ」の話をするとき私は過去ロッテからドラフト一位指名された柳田将利を思い出す。

 取材が終盤に差し掛かると、柳田さんは長年、胸につかえていたものがとれたように安堵した表情を浮かべた。

「今までの取材って、どこかまだ(自分に)プライドが残っていて、あの3年間を怪我のせいにしていたんです。でも、実際のところ、それは言い訳でしかない。やらなければいけないことを疎かにしたから、怪我が生じたんだと自分でも分かっているんです。それをこれまでは言えなかった……。

 でも今回、自分の口から言えてスッキリしました。これまでは、ファンの人に素直に話したらガッカリされるのが怖かったし、中には『やっぱり一生懸命やっていなかったんかい』と思う人もいるじゃないですか。それに『怪我がなかったらもっと(上まで)行ってたのにな』と言ってくれる人もいたんで、そういう人を裏切るぐらいなら嘘をついたままの方がええな、とかね。それがずっとしんどかったです」

あのドラ1は今…「当時の自分をボコボコに」“二刀流”候補だった元ロッテ柳田将利、わずか3年のプロ人生で最初についた嘘とは(Number Web)

野球バカはいつでも辞められる。
ただ、それには本人だけでなく周りの環境も関わってくる。
それを我々はきちんと提供できるのか。SNSで誰もが評論家になった時代、改めてそういう社会的な力が求められるのではないか、と思うのだ。

「野球バカ」を生むのは誰だ。
我々は一度見直す時期にきているのかもしれない。

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