球神転生、完結への本音

球神転生

あ~ん、球神転生終わっちゃった~。俺の野球漫画で唯一と言っていいほど楽しみだった球神転生終わっちゃったよ~。残念過ぎる~。
今の日本で大谷翔平、王谷翔兵衛を悪役にする数少ない漫画だったのに~。残念過ぎるぅ~。そんなぁ~。

2024年から始まったトンデモ野球漫画、球神転生。今では死に絶えたと言われたトンデモ野球をこの地球に蘇らせた作品で、知る人ぞ知る野球漫画として俺もしっかり推していたのにぃ~。どれだけ作品を膨らませていくのかな~、ってすごく期待していたのにぃ~。とっても残念。超残念。
ただ、ここで終われば単なる野球&野球漫画好きの戯言。
正直、しょぉ~じき、なんとなく最終回は遠くないなあ~ってのは気付いていたというか、多分長くなかろうなァ……ってのはあったんですよ。
それは野球漫画はほとんどの作家が「それをやってしまった結果飽きられる」事を何個かやってしまっているんですよ。それが俺にはひっかかってしまって、ね。

最終回が終わって大団円というよりは打ち切られちゃったという雰囲気のある球神転生の弔いをここでしたいと思います。

1,最初は本当に面白い。めちゃくちゃ面白い

今の日本でトンデモ野球漫画を復活させるのは非常に難しいのですよ。
それはドラフトキング(ヤングジャンプ/クロマツテツロウ)しかり、ダイヤモンドの功罪(ヤングジャンプ/平井大橋)しかり、どれだけ丁寧に取材をしてきたか、というのが非常に重要な時代なのは知られたところ。最近SNSで騒がれているサンキューピッチ(ジャンプ/住吉九)もどちらかと言われたらこちらですよね。集英社ばっかじゃねえか。
もうほとんどがこっちの漫画です。トンデモ野球というのは漫画という世界では捨てたものです。日本は野球が非常に盛ん故だからでしょうね。マイナーゆえにそこそこ無茶が効いていたスポーツが段々と知名度が上がるにつれてそういう事がやりにくくなるのはサッカーもアメフトも通っている道でしょう。

かといって完全に死に絶えたと言ってもそれは嘘で、どちらかというと現実的な落としどころが見つかったらそこにトンデモ要素を突っ込んでいくという感じがメインです。
素人なのに160km/hが投げられる、才能の塊でありながら一般人に紛れたなどでトンデモとリアルのギリギリを攻めたストッパー毒島(ヤングマガジン/ハロルド作石)やクラッシュ!正宗(アクション/たなか亜希夫・小林信也)などからMAJOR(サンデー/満田拓也)という傑作に落ち着きます。
2000年代にはミスフルことMR.FULLSWING(ジャンプ/鈴木信也)がこのトンデモ野球路線を受け継いでいますが、この時代にもミスフルが野球漫画か、という事はネットを中心に議論になっていたので、2000年代には野球漫画に現実分野に即していないものを野球漫画と呼ぶべきなのか、という疑問が残っていたりします。
この作品以降にトンデモ野球で成り立たせた漫画というのは当方には記憶がなく、バディストライク(ジャンプ/KAITO)の打ち切り最終回でトンデモ野球が展開されたことがモノローグで残るくらいで、もうギャグ描写としての存在になってしまっていました。

球神転生も勿論それを打ち破れるほどではなく「本人たちは真面目にやっているけど滑稽に見えて仕方ない」作品となっています。
ただ彼らのトンデモ野球漫画路線とは違い、トンデモ野球漫画に大切な要素を球神転生は持っていました。
それはトンデモ野球漫画に持っている大技はキャラクター一人一人の血液が流れていることです。

トンデモ野球漫画、と言われると多くの人は巨人の星(講談社/川崎のぼる, 梶原一騎 )を思い出すでしょう。
それこそ魔送球から始まり、大リーグボール、新から登場するスクリュースピンスライディング、から大リーグボール右1号に至るまで現実では行えそうもない魔球、技のオンパレード。勿論ジャコビニ流星打法のアストロ球団(ジャンプ/遠崎史朗, 中島徳博)などもあり、リアル野球漫画中興の祖でもある水島新司ですら少年漫画ドカベン(チャンピオン)では秘打というトンデモ技を殿間にさせているので70年代の野球漫画では欠かせない要素であったと言えます。

ただ巨人の星があれだけトンデモ野球に関わらず現在も野球漫画と言われる要素には大リーグボールなどが超能力などの類ではなく、弱点を突かれた星飛雄馬がそれらを克服するために様々な経験から集約して作り上げたもので、今でこそ「おかしい」と笑いとおせるボールになりこそすれど本作を読めばそれがいかに笑っていいものではないと気づかされます。
その時大リーグボールはおかしい変化球から星飛雄馬の苦労と発想から生まれた変化球と読み取れるように作られています。

そうです。
トンデモ野球というのは「その本人の生きざま」がきちんと流れていればその表現方法としてそれが許されるのです。そのキャラクターに血が流れ、考えの理解が共有できたときにトンデモ野球で出されるものは「その登場人物の生き方を表現したもの」に切り替わります。

これが球神転生は非常に上手いのです。
第一話の波場が非常に上手く描かれています。波場は生活のすべてを野球に捧げているからこそ先生すら黙らせるプレーを行えるし、様々な人生に進みたがる人を「野球至上主義の世界で真面目にやらない怠け者」として扱い、傲慢な態度をするヒールとして登場します。
しかしそれは野球にすべてを注いだからのものであり、これがそのまま主人公永遠嶋への尊敬に代わっていくのです。まさに球神転生はその一話が上手く、それこそ巨人の星で星飛雄馬が苦労の末大リーグボールを生みだしたように、今までの波場の人生への決別と永遠嶋に会った後の未来を予想させる一話の終わりとなっています。

そして波場に怠け者扱いされた雨宮が永遠嶋のバッティングを「ピカソ」といったように雨宮の人生もまた絵画で表すような人生と永遠嶋と出会ってからの未来を思わせる作風となっているのです。

2,「登場人物の多さ」という懸念も……

波場を認めさせた永遠嶋を見る男女二人、女性からかッちゃんと呼ばれるそれが誰なのか、野球史に詳しくなくてもピンとくる人でしょう。なんでその人の亡くなった日に書いてるんやろ……

という事は長嶋茂雄と野村克也の関係がごとく、永遠嶋とかッちゃん、能占との闘いが始まることになるわけです。(女性はもちろんサッチー、離婚したほうじゃないです。
能占が連れてくるのは野球に門外漢だらけのアスリート集団、零坂選抜!
永遠嶋の所属する投京選抜と熱い戦いが繰り広げられるだろう!

……という熱い展開が二話でされるのですが、正直に言ってここで「大丈夫かな」という印象を得ました。
なぜなら、大抵の売れなかった漫画は「ネームドの選手が多すぎて試合が動かずに視聴者離れを起こしやすい」をほぼもれなく失敗しているからです。

皆さまは「ボール一球投げるだけで一週間」という単語を聴いたことあるでしょうか。これは野球漫画の一番弱いところを口にしたものです。
野球は他のスポーツと違って時間制ではなく、先行の攻撃が終了したら後攻が攻撃に入るイニング交代制です。そのために試合の時間が長くなりがちなのはなにも野球漫画のみならず野球というスポーツそのものの弱点でしょう。
それがキャラクターの気持ちなどを書いていると紙面が足りなくなってしまい、相手の打者にボールを一球投げるだけにそうとうのページ数を使ってしまうのです。一試合が半年以上かかる場合も少なくなく、その漫画に試合が増えてくると自然と客離れを起こしてしまう特徴があります。

そのため野球漫画に慣れている人はその辺りをかなり工夫します。
例えば巨人の星は戦う相手を花形満、左門豊作に固定し、さらなるライバルとしてアームストロング・オズマなど、一つの戦いに参戦する選手をとことん絞ります。星飛雄馬と花形満の勝負をメインとするなら左門豊作も星に負ける要因となり、あくまで星を破るのは花形、という構図で進めます。
またドカベンなどはそのチームの主体となる選手を一人に固定します。例えば白新高校の投手は不知火守のみにして、原則明訓五人衆含む明訓ナインが彼をどう攻略するかにスポットを当て、白新高校の打撃陣は触れません。
不知火守を倒すことがそのまま白新高校を倒すことに繋げるんですね。二人以上出すことがあっても三人を越えません。徳川監督率いて影丸隼人、ジョージ・フォアマンをつけたクリーンハイスクールか、犬飼兄弟と犬神了をつけた土佐丸高校くらいか。それくらい選手を多く出さないようにしているんです。

これが多く出してしまうとどうなるかというと、どの選手にもスポットライトを浴びせないといけなくなるので試合の流れが渋滞するんです。全員に活躍させないと作った意味がないから、と全員活躍させようとするんですね。
味方はそこそこいてもなんとかなっちゃうんですが、ライバルとなると本当に難しくて、なんでこいつが勝ちたいのかのバックボーン説明、それを打ち砕く主人公たちを登場人物分やる必要性が生まれてしまうんです。

なので零坂選抜は9人全てが野球以外からやってきたネームドなので一つの試合で9人全て倒さなければならないのです。
そうなると試合が段々とダルくなっていくんですよね。誰かを倒しても試合は終わっていないから負けたアイツがまた出てきてなんなら主人公以外にリベンジしてしまう。決着のついた奴が評価を上げに戻ってくる。これはいただけません。
だってそうでしょう。アカギ(近代麻雀/福本伸行)で最初の強敵市川を倒してアカギと市川の強さの相関が付いたのに次回のニセアカギ戦や浦部戦、鷲巣戦で市川が出てきたら。その場にいたニセアカギや浦部の存在感が薄まって試合がぐだぐだになってしまうじゃないですか。浦部なら浦部、鷲巣なら鷲巣をラスボスにしてきちんと倒してほしいじゃないですか。(その鷲巣戦も伸びに伸びすぎて飽きられたんですけどね
こういう戦う漫画では「負けたやつは引っ込む」をしてもらわないと締まりのないものになってしまうんです。

なのでふとした瞬間に最新話を読んでも未だに投京vs零坂やっている。代り映えしないメンツが一発勝負のトンチキ合戦をやっている。それはやはり読む側にとっては大変ですよ。折角「トンチキ合戦はその選手の人生を現したもの」というトンデモ野球漫画の最も大切にせねばならない王道をきちんと掴んでいるのに、そこで足を引っ張る可能性があるのは非常にやばい印象を受けていました。

3,案の定打ち切られるように終了

ただ内容は面白くなかったかと言われると面白かったんですよ。
特に俺はボウリングからやってきた沢屋敷乱子がなんであれほどメンタルが強いのか、それが野球にどう活かされるのか、にはグッとくるものを感じましたし、ゴルフ出身の鋼川凶がホームランを打つ時の理論は野球やスポーツが好きで、それゆえにルールやテーマにがんじがらめになってしまう俺たちには出せなかった理屈なので好きなんですよね。
作者お気に入りの「永遠嶋ァ……」を生んだ鶴田太興が野球をライバルとしつつも野球や永遠嶋の魅力に染まっていくのは丁寧で、我々野球好きがピンとくる長嶋vs野村以外の新たなライバルを予想させました。
特に俺は雨宮というキャラが大好きで絵を描くことが大好きで野球にはこれっぽっちではあるものの、絵から野球を受け取って活躍するシーンなんて「一見するとトンチキだけれども野球を表現の場としたらこれ以上の回答もない」活躍をしてくれたりするんです。本当に雨宮の活躍シーンはこの漫画でも屈指の名シーンだと思いますよジェントルメン中村先生。

野球をするのではなくて「野球は登場人物の人生表現するための場」として描かれた球神転生は本当に魅力的で、現在の野球漫画を見渡してもこれほどの躍動感を持った野球漫画はなかったのではないでしょうか。野球というものにがんじがらめにされず、漫画から野球を解き放ち、それでもって野球の魅力を残したまま描ききるジェントルメン中村先生の球神転生は久しぶりに心を踊った漫画でした。本当に芸術的な思想の野球漫画だったと思います。

でも、野球漫画の野球がやはり足かせになってしまったのも事実で、投京選抜vs零坂選抜があまりにも長すぎた。これ選抜同士にしないで敵側のエース二名を中心とした選抜チーム5つとかにするだけでもかなり読みやすいものになったんじゃないかなあ。そのうち投京選抜に行ったり「もう野球はしない」と言って去ったりさせて、最後は能占・鶴田の二人+秘密兵器選手(ブラジルの奥地からやってきたバーリ・トゥードのフィジカルモンスター、アントンとかでよかったんじゃないかな。馬場いるし)vsニュー投京選抜とかだけでもあと五巻くらい伸びた気がします。
そして最後はやっぱり王谷を倒さないといけないので投京零坂メンバーvs王谷個人軍とかでもよかったんじゃないかなって。個人軍とかめちゃくちゃだけど「野球のすべて、ミスターという名前すら独り占めしたかった王谷」と「野球は皆でやるものだとその身で示してきた永遠嶋や仲間、ライバルたち」でイイ対比になったと思うんです。
あとなんだかんだ言っても今なにやっても良く報道される大谷翔平をラスボスに置いたのはもっと評価されていいと思うんですよボカァ……。

なんか、そういう野球漫画の弱点に足元ひっかかり、身動き取れずにこのまま終わっちゃうのは、俺としては非常に惜しいです。ホンマ残念。
終わり方が続編とか作りにくそうな見事な形で〆たから続編も期待できなさそうでホンマもったいないと思うんですよ。

でもそんな野球好きで多くの文献やら書籍、漫画読んでいる俺がここまで「いいなあ」と思った漫画なのでぜひ読んでください。本当に続いてほしかったなあ……。

でも永遠嶋ァ……推しはう~ん、そういう推し方かあ……って思ったので永遠嶋ァ……は言いません。ごめんね先生。

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