絵画の見かたの一考察
自分の中になにがわきおこってくるか
ギャラリーや美術館をちょくちょく訪れます。
たくさんの刺激をもらえますし、ただ単に「有名な作品がやってくる」という言葉にひかれて行くこともあります。
はじめはアートの楽しみ方がよく分からずにいました。
特に抽象画となると何が描いてあるかもわからないし、ひとつひとつの絵に解説もないということになれば作者がどんな気持ちで描いたかもわからない。
どう思えというのだ、と怒りさえわきおこることもありました。
また、何とかその作品を正しく理解しようと図書館やネットで調べたり、どこかに作者の言葉は残っていないかをさがしたり…とても疲れてしまうこともありました。
(今でもあります。)
そこで、あるときから美術鑑賞は絵を楽しむことよりも、自分を楽しむ場にすることにしました。
YouTubeの動画でとある美術大学の先生が講義していたのですが…
(どなただったかが思い出せずすみません)
抽象画は作者のからだを支配した感情だとか、うけた感覚をそのまま色や線に落とし込んだものだそうです。
ですから見る側もそのまま目に入れて、自分の中におこる感情を味わえばよいのだそうです。
だとしたら、絵を指して
「これはなんですか?」
と聞くこと自体無意味ではないかとおもいました。
自分がどう感じたのか、
きれい
こわい
つめたい
あたたかい
それが大事なのだとわかりました。
目の見えない白鳥さん
最近
「目の見えない白鳥(しらとり)さんと アートを見にいく 」
(川内有緒さん 著)
という本を読んだのですが、これには共感できる場面がたくさんありました。
「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」
著者 川内 有緒
発行元 集英社インターナショナル
ぜひみなさんにも読んでいただきたいのですが、各地の美術館を全盲の白鳥さんと仲間たちが訪れるという内容です。
同伴した方々は自分の目にうつったものを好きなように表現して白鳥さんに伝えます。
「〇〇に見える」「いや、私には××に見える」とみんな好きなように描写するのですが、それがなんとも面白いのです。
こんなことでは白鳥さんが混乱するのではないか、と思ったのですが白鳥さんはこうやってみんなが「ああでもない、こうでもない」とわちゃわちゃすることを楽しまれているようです。
つまり白鳥さんは正解が何かを求めてはいないのです。
その作品を正しく(なにが正しいのかも分かりませんが)知るのであれば音声ガイドを使えばよいのです。
私はこの本をオーディブル(本を朗読してくれるコンテンツ)で楽しんだのですが、本の中の同伴者の会話を耳できいていると、なんだか白鳥さんと少しだけ状況を共有できたようにかんじました。
仲間たちの口から勝手気ままにくり出される作品の印象を聴いていると、自分の頭の中に作品ができあがっていくのが分かります。
かえって説明してくれる人が困惑して、どんどん目に映ったことを投げてくれる方が作品の輪郭がはっきりしてきます。
この脳内作業がなんとも楽しいのです。
実際の作品の写真が添付資料としてありましたが、結局は見ないままでした。
これで分かったのですが作品を見た時の感情は自分の中でみつめるだけでなく、アウトプットするのがいいのではないかということです。
誰かに話してみたり、文章にしたりすることで自分へのフィードバックになります。
フィードバックすることでまとまりなく散らばっていた感情が整理されていくのです。
白鳥さんの同伴者のみなさんは作品の印象を話しているうちに、ついつい昔の思い出などまで語り合ってしまいます。
けれど白鳥さんは「続けてください」と微笑みながらそれをききます。
もし、自分の中にわきおこった感情を吐き出して、それを黙って誰かが聞いてくれるとしたらすごくうれしいと思いませんか。
自分のことを語りたくない、という方もおられるでしょうが、私はおしゃべりで後先考えずに思いついたことを口に出してしまうたちです。だからそれを「ああそう」と聞いてくれたらすごくうれしくてスッキリします。
そして「あなたは?」と相手の話もきいてみたくなります。そうしてやりとりしていくうちに、相手も自分もだいじな存在になっていくように思います。
おもいを共有する、うけいれる
今度は誰かと一緒に美術館に行って、同じ作品をみながら感想をぶつけあえたら良いのに…とおもいます。
ただ他の方の迷惑になりますから、美術館を出たあとお茶でも飲みながら、図録をみて一緒に語り合ったらいいかもしれません。
でも、もし私のように友だちも少なくてどこに行くにもひとりだ、という方は日記やブログに残すというのはどうでしょうか。
私もAmebaブログの方に作品展の感想を残していますが、書いているうちに自分でも気づかなかった深層心理が浮き上がることがあります。
ロシアの文豪トルストイは
”芸術によって同じ時代の人たちが味わった気持ちも、数千年前に他の人たちがとおってきた気持ちも伝わるようになる
芸術は今生きている私たちに、あらゆる人の気持ちを味わえるようにする
そこに芸術のつとめがある”
…という言葉をのこしています。
思いを共有したり自分のものとはちがう思いをうけいれたりすることは、今よく耳にする「多様性」を認めることつながりそうですね。
それが世界平和の第一歩だ…というのはすこし大袈裟ですが、となりにいる誰かともっとなかよしになるきっかけにはなるかもしれません。
今日も読んでくださってありがとうございます。
ナース刺繍は現役看護師兼、刺繍家として人体、医療をモチーフにした制作をしています。
ホームページでは作品紹介やおしらせをしておりますのでよろしかったらご覧下さい。