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心に沁みる1冊 ー鏡の孤城ー

私はかつて、心が揺さぶられる本に出会った。
本のタイトルは、「かがみの孤城」
この本は、2018年の本屋大賞をはじめ、9冠を獲得した辻村深月さんの代表作だ。
話題になった本だけに、多くの人が一度はこの本を目にしたり、タイトルを耳にしたことがあるだろう。
私自身、本の存在が気になり購入していたが、気づけばいつの間にか、当初は自宅で積み本の一冊と化していた。
しかし、本を読み終えた後は、「なんでもっと早く、この本を読まなかったのだろう。」読んだ後も心に残る、この余韻は一体何なのだろう。というものだった。
この本の素晴らしさは、既に年齢を問わず、幅広い世代に支持されベストセラーになっている。
それゆえに、今更という気もするのだが、きっと、この本を必要とする人はいるし、そういった人が、この本で救われることがあるのではないかと思う。そうした思いから、私は今、こうして記事を書いている。
今日は、この本の魅力について、皆さんにお伝えしていきたい。

作品に登場する主人公は中学生の女の子、 こころ。物語はこころを中心に、取りまく周囲の人間関係によって展開されていく。
こころは学校でのいじめが原因で不登校になり、
自室にこもる日々を送っていた。
学校で居場所をなくしたこころは、苦しい胸の内を誰にも明かせずに、一人で必死に闘っていた。  

城に集められた仲間達

ある日、自室にあった姿見の鏡が突然光を放ち、気になり手を伸ばすと、そのまま鏡の世界へと入り込むことに。
するとそこへ、オオカミの仮面を被った女の子が現れ、案内されて着いた先は、断崖絶壁の海に囲まれたお城だった。
お城に入ると、こころと歳が近い6人の少年少女達が集められていた。
彼らはこのお城に、ゲストとして招かれたのだという。
オオカミの仮面を被った女の子(オオカミ様)は全員に、皆がこの城に集められた目的と、城のルールを説明した。

願いの部屋

お城の奥の部屋には、何でもひとつ願いを叶えてくれる「願いの部屋」がある。その部屋には鍵が必要で、部屋に入れるのは一人だけ。
そして、その鍵はこの城の中のどこかにある。
鍵を見つけた者だけが、願い事を一つだけ叶えられる権利がある。期限は今日から3月30日まで。
誰かが願いを叶えた時点で全ては終了し、この城は閉城となる。そして、城での記憶は、全員から消えてなくなる。
反対に、誰も願いを叶えなかった場合は、閉城後も全ての記憶は皆に残る。
次に、城でのルールについて。
城に来られる者は選ばれた7人だけで、入口は自宅にある鏡からとなる。
城に居られる時間は日本時間午前9時から午後5時まで。それ以外の時間は城には入れない。
また、午後5時を過ぎると、お城のどこかに潜んでいる狼に喰われてしまい、午後5時以降に城内にいた者は、全員が連帯責任をとらされる。
城へ来るのは自由で、強制はしない。
ルールさえ守れば、城での過ごし方は自由。
遊んだり、勉強したり、お菓子や本、ゲームを持ちこんでも良い。
お城には、各自それぞれの部屋も用意されていた。
城に集められたのは、こころ以外に、フウカ、ウレシノ、マサムネ、スバル、アキ、リオンの中学生だった。

〈登場人物の紹介〉

こころ:物語の主人公、中学1年生。
大人しく内気な性格。
同級生の真田からいじめを受けて、中学校に入学してから早々に、1ヶ月で不登校になった。
母親の勧めでフリースクール「心の教室」に通う予定だったが、初日にストレスから腹痛をおこしてしまい、行けなくなっていた。
両親は共働きのため不在であり、日中は一人で過ごしている。
城で他のメンバーと知り合うも、当初は城に行けなかった。次第に城のメンバーとの交流を通し、仲を深めていく。
物語終盤ではピンチに陥った仲間を助けるために、奮闘する。

フウカ:中学2年生。幼い頃からピアノを習っている。コンクールではランキング圏外になるなど伸び悩んでいる。

ウレシノ:中学1年生。小太りの男の子。
城に来る時は、お菓子を持ってくることが多い。
恋愛気質で惚れっぽく、次々とアキ、こころ、フウカに告白していく。結果、女子には呆れられ、男子にはからかわれている。また、発言にもズレているところがあり、からかわれたり馬鹿にされたりすることが多い。

マサムネ:中学2年生。生意気で理屈っぽい性格。
口が悪く他人と衝突しやすい。
ゲームオタクで、ゲームに対する愛が強すぎるが故に、ゲームに対する基礎知識や理解がないメンバーには呆れ、時にはケンカになることもある。
両親の方針で公立の中学校には通わせないということもあり、中学校には通わずに学習塾に通っている。

スバル:中学3年生。紳士的で優しい。
両親が離婚し、父方の祖父母のもとで兄と暮らしている。名前は父親がつけてくれ、スバルはとても気に入っている。
マサムネとは仲が良く、城では一緒に彼が持ち込んだ携帯ゲームや詰将棋で遊んでいる。
最初のころ、ずっと城に来ていなかったこころを温かく迎え入れた。

アキ/(井上晶子):中学3年生。明るく気が強い。
気が強く思ったことを遠慮なく口にするため、彼女の発言がもとで険悪ムードになることもある。
しかし、初対面のこころに真っ先に声をかけ、こころとフウカをお茶に誘い、紅茶と可愛いナプキンを用意するなど、女の子らしい気遣いができる一面もある。

リオン:中学1年生。明るく穏やかで、誰とでも平等に接する仲間思い。
学校の関係で城には夕方から来ており、メンバーと過ごす時間を大切に思っている。
姉を病気で亡くしている。

オオカミ様:  狼の仮面をつけた少女で、城の案内人。
常に尊大な口調で話す。
メンバーと常に一緒にいるわけではないが、呼べばすぐに現れ、読んでもいないのに姿を現すこともある。

ミオ:  リオンの姉。リオンが6歳の時に亡くなっている。

喜多嶋先生/(喜多嶋 晶子):フリースクール「こころの教室」の先生。こころを優しく見守っている。
後に夫となる、喜多嶋の患者であるミオに勉強を教えていた。

こころの母: 当初は、こころの気持ちがわからず悩んでいたが、フリースクールの喜多嶋先生の支えもあり、こころの気持ちに寄り添い、理解者となっていく。

伊田先生:こころの中学校の担任教師。
こころのいじめに対し、当事者同士の話し合いを優先し、真剣に向き合っていない。事なかれ主義者。

真田:  こころの同級生。
こころを一方的にいじめた主犯格で、クラスの中心的な存在。表向きは明るく社交的だが、本心は自己中心的かつ傍若無人な性格。
真田がこころをいじめるきっかけになったのは、小学生の頃、こころと同級生だった男子と真田が付き合いはじめたことだった。その男子がかつて好きだった相手が、こころだった。
そのことを知った真田はこころを恋敵にし、いじめの標的にした。そこからいじめはエスカレートしていき、クラス全体で、こころを孤立させていった。
他の生徒と共に取り巻きを引き連れて、こころの家に押しかけたこともあった。
この件は、こころに恐怖心を植え付けて、不登校の決定打になった。

東条 萌:  父親の仕事の都合で転入してきた同級生。
こころにとって、唯一の友達。
家が隣で、学校で配布されたプリントを毎日ポストに投函してくれている。
父親が大学で児童文学を教えているため、転校が多い。物語終盤では、萌がこころに貸した本がヒントとなり、こころは仲間のピンチを救うことが出来る。

城で過ごす仲間達

城に集められたメンバーは皆、なぜ自分達が城に招かれたのか、口にこそ出さないが、何となく見当がついた。
それは何故か。城の開城時間は、日本時間の午前9時から午後5時迄と決められている。
通常であれば、多くの中学生はこの時間、学校で過ごしていることになる。
指定された時間内に城へ来られるということは、学校に行っていない者。
それはつまり、不登校を意味するのだろう。
きっと、それぞれに何か事情があるはず。
メンバーは皆、お互いに詮索するわけでもなく、ただ一緒にお菓子を食べたり、話をしたり、ゲームをしたり。共に時間を過ごしていくなかで、相手を知り、少しずつ仲を深めていった。
特別ではない、だけど、ここでは不安や恐れといった感情から離れられる、唯一、心穏やかに過ごせる場所。日常のなかで、そういった時間が皆にとっては大切で、必要な時間だったのだと思う。
それはいつしか皆にとって、仲間は心を通わせる相手となり、心の拠り所になっていった。

   
ある日、アキは珍しく制服姿で城に来ていた。
顔を見ると、 今にも泣きそうな顔をしている。
聞くと、今日は祖母のお葬式があり、制服を着用したのだという。 
仲間達は初めて目にしたその制服姿に、ふと、あることに気がついた。
それは、リオンを除くメンバーは皆、同じ中学校だということだった。 (リオンは親元を離れてハワイに留学しており、寄宿舎から学校に通っていた。 留学していなければ、リオンも同じ中学校に通うはずだった。オオカミ様が当初、開城時間を日本時間と説明していたのは、日本とハワイで生じる時差を考慮してのことだった。

マサムネの提案

それから月日は流れ、年の瀬が迫ったある日、マサムネは意を決して、皆にお願いがあると話を切り出した。
「三学期の始業式の日に、みんなに一日だけ学校に来てほしいんだ。」
理由は、両親がマサムネを三学期から別の学校に通わせることを検討しているからだった。
皆と離れるのが嫌なマサムネは、三学期から学校に通えるところを親にみせて、転校をせめて二年生になるまで引き延ばそうと考えていた。

マサムネの心の内は、こうだった。
たった一人で学校に行くのは怖い。
でも、もし、そんな時に皆が一緒に登校してくれたら心強い。たとえ、同じ教室で過ごさなくても、姿形が見えなくても良い。保健室や音楽室、午前中だけでも良いから皆に来てほしい。
心のなかで、少しでも皆と繋がっていることが感じられたのなら、不安な気持ちが安心感に包まれて、勇気が出せそうな気がする。
マサムネはきっと、仲間の存在を感じることで、心の鎧を身につけようとしていたのかもしれない。

だが、そんなマサムネの言葉を聞いた仲間たちの心はざわつき、言葉がでてこなかった。
しかし、思い悩んだ末に皆は決心し、始業式の日に登校することを決めた。

マサムネとの約束の日

約束の日、こころは始業時間に遅れて学校に登校した。
建物の中へと入り、下駄箱に向かって歩いていくと、萌と遭遇した。
萌は、こころに気づきながらも、なにも言わずにそのまま建物のなかへと入っていき、姿を消してしまった。
こころが下駄箱を開けると、真田から手紙が入っていた。
手紙には、担任からこころが登校することを聞き、登校日にあわせて手紙を書いたと記されていた。
そこに、真田からこころに対しての誠意はなく、心がえぐられる思いだった。
こころは足がすくみ、正気を保っていられなくなった。心はいまにも壊れてしまいそうだった。
しかし、こころは仲間との約束を果たすため、マサムネを救うため。
保健室に行けば、きっと誰かが待っていてくれるはず。
こころは一縷の望みをかけて保健室へと向かい、ドアを開けた。
だが、そこに仲間の存在はなく、居たのは保健室の先生、ただ一人だけだった。
こころは先生に、仲間の名前を口にし存在を確認したが、先生からは、そのような生徒は知らないと告げられ、在籍すら確認できなかった。
それを知ったこころは激しく動揺し、そのまま倒れてしまった。

ベッドで休んでいたこころは、自分の名前を呼ぶ声に目を覚ました。
目を開けると、そこには喜多嶋先生の姿があった。
こころは、喜多嶋先生に事情を説明した。
すると、喜多嶋先生からは、面識のあるはずのウレシノやマサムネを知らないとの返答が返ってきた。
それを聞いたこころは、自分の妄想が生みだしたのかもしれないと思い、疑いをもった。
一方で喜多嶋先生は、こころが倒れてしまった時に手紙の内容を目にしていたことから、こころの辛い気持ちに寄り添い、声をかけてくれた。
萌がこころのことを心配してくれているということ、また、学校のことに関しては、無理して闘う必要はなく、最後は自分のしたいことだけを考えればいいと伝えてくれた。

こころはずっと、学校に行けないことに対して負い目を感じていた。焦燥感と閉塞感を募らせながら毎日を過ごしていた。そんなこころに、喜多嶋先生の言葉は、初めて学校だけが全てではないことを教えてくれ、視界が開けたような気がした。
そして、こころはその日、喜多嶋先生と一緒に自宅に帰った。
一階では、母親と喜多嶋先生が話をしていた。
その間に、こころは城へと向かった。

城にはリオンだけがいて、こころは皆と会えなかったことを報告した。
すると、リオンは自分の考えを言った。
オオカミ様は自分達のことを赤ずきんちゃんと呼ぶが、あれはフェイクではないかと。
そして、リオンは自身の願いを教えてくれた。
「姉ちゃんを、家に帰してください」と。
リオンの姉は、彼が小学校に入った年に、病気で亡くなっていた。
それを聞いたこころは、自分の願い(美織に消えてほしい)の小ささを知り、リオンの願いが叶うことを願ったのだった。

学校で再会できなかった仲間達

学校で会えなかった仲間達。マサムネが城に来たのは、一ヶ月経ってからのことだった。
マサムネは、ひとつの推理をたてた。
それは、自分達はパラレルワールドの住人同士だから、住む世界が違う。現実の世界で会うことができなかったのは、そのためだ。
だから、同じ中学校には通っているけれど、周辺のお店や学生数も違う。
それを聞いた皆は、それぞれが感じていた違和感を口にし、始業式の日のことを確認した。
すると、始業式の日付と曜日は個々によってバラバラだったことが判明した。
城の外で仲間達は会えず、助け合うことはできない。一同は、その事実に愕然とした。
しかし、それを聞いたオオカミ様は、外でも会えないとは言っていないと否定した。

迫りくる城で過ごせる時間

時は流れ、3月は終わりを迎えようとしていた。
当初は互いを知らない赤の他人同士の集まりで、皆、どうしたら良いのかわからずに、ぎこちなかった。
しかし、今となってはお互いに絆を感じるようになり、大切な存在へとなっていた。
これまで共に過ごした時間が愛おしく、このまま閉城しなければ良いのに。そんな風に、願いにも近いような思いを、皆は心に抱いていた。
閉城の前日には、皆で記念にお別れパーティをすることになった。
こころが鏡の中へ入ろうとすると、ちょうど窓の外に、萌の姿を見つけた。こころは萌の家に行き、そこで、仲違いしていた萌と和解した。
そして、萌の家で目にした童話『狼と七匹の子山羊』から、鍵の在り処のヒントを得た。

仲間達が抱える、それぞれの思い

家に帰ると、こころの部屋の鍵が割れていた。
鏡の向こう側から、リオンの声が聞こえた。
「アキがルール違反をした。鍵を見つけて、アキを助けてくれ。」
そして最後にリオンから、「赤ずきんじゃない。オオカミ様は……」という声が聞こえてきた。
一体、何が起こったのか。アキは割れた鏡の中を通り、城に向かった。
城のなかでは、午後5時を過ぎても城に残っていたアキだけでなく、その日城内にいた仲間達が連帯責任で狼に喰われてしまっていた。
狼と七匹の子山羊の絵をヒントに鍵を探していると、子ヤギが隠れた場所に、それぞれ✖︎印があった。
このゲームのモチーフは、『赤ずきん』ではなく、『七匹の子山羊』で、‪‪✖︎は子ヤギ達が隠れた場所を表していると確信を得たこころは、仲間たちの✖︎印を集めて柱時計の前に立った。
すると、眼前に大きな階段が現れた。
こころは柱時計の中へと入っていった。
願いの部屋では、仲間たちの現実世界での記憶が映し出され、こころはそれらを目にした。
なぜ、仲間たちは城に来ることになったのか。
こころは、それぞれが直面している問題や、悩み葛藤している姿、胸に秘めた思い、そこから抱いた願いの意味について、初めて知っていった。

マサムネ:  マサムネは嘘をつくことから、友達から『ホラマサ』と呼ばれていた。
仲間外れにされたのは自分のせいかもしれないのに、そのことが言えず、いつしか周りのせいにするようになっていた。
三学期の始業式の日、マサムネは保健室で仲間を待っていた。マサムネは泣きすぎて、上手く呼吸ができずにいた。そんなマサムネを見守り、横で優しく背中をさすっていたのは、喜多嶋先生だった。

ウレシノ:  ウレシノは中学で仲良くなった友達に頻繁に奢っていたことから、金ヅルとして利用されるようになっていた。
次第にそのことは両親にも知られ、友達は叱られた。
その結果、何もかもが嫌になったウレシノは不登校になった。 
ウレシノは以前、城で、あそこのフリースクールの先生は自分の話を聞いてくれて、良い先生だったと話していたが、それは、喜多嶋先生のことだった。不登校になった後、ウレシノは母親に連れられて、喜多嶋先生のいるフリースクールを訪れていた。
その後、ウレシノはフリースクールに通うようになるも、二学期を前にして、父親から学校に行くように言われて、学校に登校した。
そこで、久しぶりに会った友達は、奢ってくれないならウレシノに用はないと相手にせず、頭にきたウレシノは手を出し、そのまま喧嘩に発展した。 
ウレシノが以前、二学期が始まってから、顔にガーゼを当て、腕に包帯を巻き、顔を腫らした状態で城に来たことがあったが、それはこの時の怪我によるものだった。

スバル:  母が家出した後に両親は離婚し、スバルは父方の祖父母の元に預けられ暮らしていた。
一方で父は再婚し、新しい家庭を築いていた。
祖父母宅での暮らしは居心地が悪く、兄は非行に走り、その影響で弟のスバルは周りから白い目で見られ、転校した中学校ではクラスに馴染めずに、不登校になっていた。
夏休みのある日、スバルは髪を茶髪にし、ピアスをして城に来たことがあった。それは、兄と彼女の影響を受けて、自分で脱色したからだった。

スバルの生活には、家庭に温もりがなかった。
血の繋がりのある祖父母だったが、口を開けば祖父はスバル達を邪険に扱い、まるで、スバル達はお荷物のようだった。
スバルは中学校三年生に進級するタイミングで茨城県から引越してきて、雪科第五中学校に通う予定だった。
当初から、知り合いのいない土地に転校したくなかったスバルは、学校に行く気になれず、サボり続けた結果、学校に行きづらくなり、学校に通えなくなっていた。
学校に行けていないことは、両親から問題児として見られるだけで、心配して声をかけてくれることはなかった。
両親はそれぞれいるのに、一緒には暮らせない。
肉親もいる。
しかし、その誰とも心を通わせることはできない。
城の仲間達の親は、何かあったら子どもを心配し、一緒に考えてくれたり、気持ちを汲みとってくれたりしている。
けれど、自分の親は、そうじゃない。
みんなには、家という帰る場所があるけれど、自分にとって家は、帰りたくない、居たくない場所。
どうして、みんなにはいるような親が、自分にはいないのだろう。
どうして、自分の親は、ああなんだろう。
どうして、自分はあの親の子どもなのだろう。
自分なんか、居てもいなくてもいい存在なんだ。
誰からも必要とされない。
もう、どうなってもいい。そんな風に考えて、投げやりになっていた。

フウカ: 幼少期からピアノを習ってきたフウカは英才教育により、全国コンクールにも出場するほどの実力の持ち主だった。
幼くして父を亡くしており、母が女手一つで必死に育てていた。
レッスン費用は家計を圧迫し、生活も決して楽ではなかったが、母にとってはフウカが全てで、自慢の娘だった。
母親は娘に夢や希望を託し、才能を信じて疑わなかった。その為、フウカには過剰な期待をかけていた。
フウカも、そんな母の苦労を知り期待に応えるべく、練習に打ち込んできた。
しかし、コンクールでは思うような結果が残せなくなり、フウカは自信をなくしていった。
また、それだけに限らず、現実は容赦なく残酷な事実をつきつけてきた。 
フウカはこれまで、ピアノと共に人生を歩んできた。全てはピアノの上達の為、仕方がなかった。
だが、それ故に沢山のことを犠牲にしてきた。
気がつけば、友達との遊びを我慢してきたフウカには、仲の良い友達はおらず、学校の勉強にはついていけない。また、コンクール直前に、学校で指運の練習をしていたら、同級生にからかわれた。
ピアノは、フウカに音楽の楽しさや、人に誇れる自信を与えてくれた。
 これまでは、ピアノの世界で評価されることで、自分の存在意義が感じられ、心が保っていられた。
ピアノが全てだった。
しかし、そんなフウカからピアノを奪ったら、何も残らなかった。 
母親が娘の為と思ってしてきたことは、いつしか歪んだ愛情となり、条件つきの愛情は、フウカを苦しめるようになっていた。

フウカはきっと、母親から、このような言葉をかけてもらいたかったのではないか。
「ピアノのコンクールで賞がとれなくてもいい。
 もう、無理して頑張らなくていい。貴方は私の子。ありのままの貴方がいてくれれば、それでいい。」 
もし、母親が、このような言葉をかけてくれたのならば、フウカは精神的に楽になれだだろう。
しかし、現実は違う。
母親からは、常に高みを目指して努力することが求められる。
母ひとり子ひとり、共に夢に向かって、二人三脚で頑張ってきた。
しかし、それはいつしか、母の夢や希望を背負わされた、操り人形としての生き方になっていた。
そんな生活に、フウカは息苦しさを感じるようになっていた。
母に認められる人間でなければならない。
結果が出せない自分は、より一層努力をしなければならない。
母を喜ばせることができない私には、価値がない。母を悲しませてしまう。
母に見捨てられる、そんな恐怖心を抱えていたのだろう。 
ピアノを辞めることもできず、かといって、続けていく自信もない。そんな八方塞がりの状態だったフウカにとって、城で仲間と過ごす時間は、唯一ピアノから離れられる、忘れることが出来る時と場所だった。
 親の期待に応える自慢の良い子としてのフウカではなく、素のフウカで居られる場所。
フウカは城で仲間と過ごすことによって、同じ年頃の子どもにとってはごく普通の日常を手にすることができた。

 フウカと喜多嶋先生の出会いは、皆から聞いていたフリースクールに、一人で訪れたことだった。
喜多嶋先生はフウカに、ピアノと勉強どちらも頑張ろうと声をかけてくれた。 勉強はやればやるだけ結果が出るローリスクなものだから。絶対に無駄にはならないと。
勉強に遅れをとっていたフウカだったが、喜多嶋先生に勉強を教わっていくうちに、徐々に心の落ち着きを取り戻していったのだった。

リオン:リオンには姉がいた。
リオンが五歳の時に姉のミオは十二歳で、入院していた。姉が大好きだったリオンはよく病室に遊びに行き、ミオから物語の読み聞かせをしてもらっていた。
治療の副作用で髪がなくなったミオは、帽子をかぶった姿で、弟のリオンに『七匹の子山羊』を読み聞かせていた。
なかでも、『七匹の子山羊』はリオンのお気に入りで、ミオにねだり、何度も読み聞かせをしてもらっていた。
そして、ミオはリオンに、いつまでもママのそばにいてあげてほしいと願いを伝え、自分がいなくなったら神様に頼んで、リオンの願いを一つだけ叶えてもらうと言っていた。
するとリオンは、ミオと学校に行きたいと言い、ミオも一緒に行きたい、一緒に遊びたいと言っていた。

ミオの死後、リオンはミオの願いを叶えようと、母のそばにいるが、母親の関心は、リオンが物心ついた頃から常に、姉ミオに対して強く向けられてきた。それはミオの死後も尚、ずっと続いていた。

リオンは、ずっと母と二人で過ごす時間を夢みてきた。
リオンは、母が姉ミオに対して向ける愛情を、自分にも同じようにかけてほしかった。ずっと、渇望していた。
しかし、それは叶わなかった。
母は、リオンは姉ミオと同様、同じ我が子でありながら、次第にリオンを遠ざけるようになっていった。
そして、サッカー留学を口実にし、リオンを寄宿舎付きの学校へと追いやった。

皆から見たリオンは、好きなことや得意なことを伸ばす為に、理解のある親からサッカー留学をさせてもらっていると思われていた。
だが、実際の留学は、本人が望んだことではなかった。リオンは内心、皆と同じ中学校に通うことを望んでいた。
異国の地で家族や知り合いと離れて暮らすリオンは、不登校なわけではなく、問題なく学校に通えている様子から、なぜ、城に来ているのか、皆から不思議に思われていた。
リオンは心のなかで、慣れ親しんだ日本での生活を懐かしく思い、自分も皆と同じように、日本の中学校に通う生活に憧れをもっていた。

かつて城で開いたクリスマスパーティの日、リオンは日本から来た母が手作りしてくれたと言って、ケーキを持ってきてくれたことがあった。
リオンは、母が自分を思い、ケーキを手作りしてくれたと思うと、嬉しかった。
誰よりも一番に、一緒に、ケーキの感想を言いながら食べたかった相手は、母親だった。
しかし、リオンが母と一緒にケーキを味わうことはなかった。
食事は、誰と同じ空間で時を過ごし、味わうかによって、同じ食べ物でも、美味しさの感じ方が変わってくる。
味がより美味しく感じられて、その時の記憶が残るかは、その場の雰囲気によっても左右されるからだ。
一人で食べても、ケーキの美味しさは、そんなに感じない。誰かと一緒に、母が手作りしてくれたケーキを味わいたい。リオンには、そのような思いが隠されていたのだろう。
また、リオンは以前から、オオカミ様の正体を、亡くなった姉ミオかもしれないと考えていた。
リオンは当日、クリスマスパーティにオオカミ様も呼ぼうと声をかけ、プレゼントも用意していた。
オオカミ様はケーキを勧められると、その場で断るかと思いきや、「持ち帰る」と返答していた。
そんなオオカミ様の一連の反応を見て、リオンは自身の考えを、より一層強めていた。

リオンの記憶を見終えると、オオカミ様が現れた。
これは彼女(アキ)の望むことではないが、仕方ないとして、みんなは✖︎印の下に埋葬されているという。
そして、アキは願いの部屋にいると告げた。
願いの部屋に入ったこころは、アキの記憶を見た。

アキがルール違反をした理由

アキ: アキは中学校で、バレー部に所属していた。
アキが学校に行けなくなった理由は、バレー部で孤立してしまったからだった。 
運動神経の良かったアキは、日頃からミスをする仲間に苛立ちをぶつけ、相手を責めていた。 
また、後輩を一人ずつ呼び出し、先輩達と一緒になって、できない後輩の反省会をするなどもしていた。 
その結果、いつの間にかアキだけが悪者にされ、バレー部でイジメをしているのも、部活の雰囲気を悪くしているのも、全てアキのせいにされた。 
そのような状況に追い込まれたアキは、退部せざるを得なくなり、学校に行けなくなってしまった。

 一方で家庭でのアキは、離婚した母親と再婚した義父の三人で暮らしていた。 
祖母の葬式の日、アキは母親の再婚相手から性的暴行をふるわれそうになった。
しかし、オオカミ様が機転を利かせ、アキは寸前のところで城に逃げ込むことができた。 
それは以前、アキが城で泣いていた、あの日の出来事だった。
また、アキには彼氏がいたが、その彼氏とはテレクラで知り合っており、相手は大学生だった。
 アキはある日、彼氏が他の女性と一緒に歩いているところを目にし、ショックを受けた。 

始業式の日、アキは学校へ行くと、仲間には会えず、保健室の先生からは、冷たい対応をされた。
また、他の仲間の元には必ず訪れていた喜多嶋先生も、アキのところには姿を現さなかった。
アキは、またもや彼氏だけでなく、仲間にも裏切られたと感じた。
アキは、唯一信じていた仲間にも裏切られたことが、ショックだった。
そして、学校にも家にも、居場所がないと思ったアキは絶望した。
アキの願いは、母親をまともにしてほしいことと、義父に消えてほしいこと、バレー部の仲間に嫌われていなかった頃の自分に戻してほしいことだった。
行き場をなくしたアキはルールを無視し、当日、五時になる前にクローゼットの中に隠れ、ウレシノが自分の名前を呼びながら探していることを知りながらも、城に残り続けた。 
すると、狼の雄叫びが響き渡り、クローゼットの扉が開くと、狼の顔と口がそこにあった。


アキの記憶を見終えたこころは、願いの部屋で、アキのルール違反を無かったことにしてほしいと願った。
そして、こころはアキに向かって、逃げないで。
手を伸ばして。と叫んだ。
こころは手を伸ばし、アキの手を掴んだ。
そして、こころはアキに、こう語りかけた。
「未来で待っているから」
「2006年。アキの、十四年後の未来で、私は待ってる。会いに来てね」
                                          引用元:小説『かがみの孤城』


手を介して、みんなの気持ちがアキに伝わったのだろう。
アキは、伸ばした手を握られる感触があり、こころが引っ張った。
すると、背後からみんなの声が聞こえ、六人でアキを引っ張りあげた。
アキが戻ってくると、みんなはアキを怒り、アキは涙を流した。
みんなはアキが無事だったことに安堵し、喜びを噛みしめた。
すると、どこからともなく拍手が聞こえてきて 、オオカミ様はお見事だった。と言った。
こうして願いは叶い、仲間達は再会を果たすことができた。

城の仲間達が生きている時代

その後、城の仲間達は、それぞれが生まれた年代が明らかになった。
スバル:1985年
  アキ  :1992年
こころ、リオン:2006年
マサムネ:2006年
フウカ:2020年
ウレシノ:2027年
城に集まった仲間達は、『七匹の子山羊』になぞらえた、七年ごとに生きる子ども達だった。
願いが叶い、一同は現実世界に戻る支度をした。
一人ずつ、鏡をくぐって戻っていくなか、リオンだけが残り、オオカミ様に向かって、「姉ちゃん」と
声をかけた。
だが、オオカミ様は、なにも答えない。
城が三月三十日で閉まる理由。それは、ミオの命日と同じ日だった。
リオンはオオカミ様に向かって感謝を伝え、みんなのことを、姉ちゃんのことを覚えていたいと願った。
すると、オオカミ様は「善処する」とだけ答えた。
オオカミ様は最後に面を外し、リオンに向かって
微笑んだ。

オオカミ様の正体

オオカミ様の正体は、リオンの姉ミオだった。
城に集めらた仲間達は皆、七年間隔で集められていた。
だが、アキとこころ・リオンの年代には、十四年もの開きがあった。
それは何故か。実は、この抜けていた七年(1999年)は、ミオが生まれた年だった。
ミオもまた、城に招かれた仲間の一人だった。
仲間達がいた城。それはかつて、生前のミオの病室に置かれたドールハウスにそっくりだった。
リオンの目の前にいるオオカミ様。
それは、現実世界では病室のベッドで寝ているミオの姿。
オオカミ様は、現在のミオよりも幼い姿をしていた。それは、まだ元気で髪があった頃を再現しているからだった。
ミオは年長の時に病気が発覚し、闘病の末、中学生で亡くなった。学校には、一度もいけなかった。
そしてミオもまた、亡くなっていなければ、城の仲間と同じ中学校に通うはずだった。


ミオは、リオンに対してこのような思いを抱いていた。
「どうか理音と一緒に遊びたい。日本の学校に残りたがってたあの子に、出会うはずだった友達を作ってあげたい。」
                                          引用元:小説『かがみの孤城』


ミオが亡くなった時、リオンは六歳だった。
まだ母親を必要とする時期で、本来ならば、まだまだ甘えたい盛りの年頃だ。 
リオンが物心ついた時から、母は姉ミオの側にいた。
母親からしてみれば、いつ、目の前からいなくなってしまうか分からない最愛の娘と、一分一秒でも同じ時を過ごしたいと思うのは、母心だろう。
しかし、それ故に、リオンにとっては、甘えたい時、側にいてほしい時に、母親がいないことが多かった。
リオンは幼少期から、寂しい、母親に甘えたいという気持ちを抱いてきた。
今まで手にすることが出来なかった、家族で過ごす時間を、やっと手にすることができたかもしれなかった。
リオンの本音は、家族みんな、ひとつ屋根の下で暮らしを共にし、一緒に食卓を囲んだり、日常の些細な出来事を互いに話をしたり、そんな、日々の生活のなかでのささやかな幸せを噛みしめるような、そんな生活が送りたいと願っていた。
だが、サッカー留学という形で、家族は離れて暮らすことになってしまった。
ミオは、リオンが望まないまま家族がバラバラになってしまわないように、リオンの願いが叶うようにと、オオカミ様の姿になってリオンの前に現れた。
そして、リオンに伝えたかったメッセージは、こうだろう。

いつだって、私はリオンを見守っている。
もう、目の前に姿を現すことはできないし、辛い時に声をかけて、身体に触れることもできない。
けれど、いつだって私達は会えるよ。
それは、貴方と一緒に過ごした時間(過去の記憶)のなかで、私はずっと生き続けているから。ということなのではないかと思った。
ミオは、リオンの揺れ動く繊細な心の傷みを感じとり、リオンの力になるべく、オオカミ様となって現れた。

人が持つ力                                                  

私は、時に手には、不思議な力が宿ると思っている。
人は、誰かを心配する時に、背中をさすったり、手を握ったりする。これは、手を介して相手に気持ちを送っているのだろう。
相手の心に直接触れることができない代わりに、身体に触れて、安心感を与えている。
皆、これまでにかつて一度は、不安や悲しみといった感情に襲われた時に、人から同じようなことをされた経験があるだろう。
例えば、子ども時代に悲しいことがあったとする。
そうした時、母親が強く抱きしめてくれた。
それだけで、もう何もいらない。
相手が自分の気持ちを受けとめてくれたと感じる。子どもの心は充分満たされて、ほっとする。安心する。
行動は、言葉よりもダイレクトに自分の心にスッと入ってくる。
手のひらから伝わるのは温もりだけでなく、不安や寂しさ、苦しみ、悲しみといった負の感情を、慰め癒してくれる。
それはまるで、「大丈夫だよ。」と語りかけてくれているかのように。
自分は独りじゃない。味方がいる。
人は誰か一人、自分の存在を必要としてくれる存在や居場所を見つけられたのなら、悲しい気持ちも、前を向けるようになるのだと思う。

アキはきっと、本当は死にたかったんじゃない。
ただ、現実の苦しみから解放されたかっただけなのだ。
この苦しみは、一体いつまで続くのか。
終わりの見えない毎日。すごく苦しかったし、悲しかった。 アキの周りには、アキを傷つける人が沢山いた。
誰にも打ち明けられず、相談できず、ずっと辛い気持ちを押し殺して生きてきた。
アキにとっての毎日は、ただ時間が過ぎ去っていくだけ。ご飯を食べて寝て。その間に少し時間を過ごしたら、勝手にまた時間が流れて明日という日が規則的にやってくる。
どうして、時間は止まってくれないのだろう。
時間が止まれば良いのにな。そうしたら、城にずっといられる。なんで、城にいられる時間にルールなんてあるのだろう。家に帰ったら、地獄なのに。
ただ息をして、惰性で生きていた毎日。
毎日を生きるのに精一杯なのに、将来のことなんか、考えられなかった。 
将来とか、未来とか、もうどうにでもなれという感じだったのだろう。
だが、こころの真剣な思いはアキに伝わり、「生きていても良いことなんかない。苦しいだけ。」という考えから、「生きてみるのも悪くないかな。もう一回、生きてみよう」という心境に変化させ、アキは再び生きることを決意した。
こう思えてから、アキは、ずっと変えられない、どうしようもないと諦めてきたアキの人生は、救いの手を差し伸べてくれた人物の存在と、アキ自身の行動によって、アキは自分の人生を生きられるようになった。
そうして、アキは後に、城の仲間を支える存在になっていくのだった。

明らかになる喜多嶋先生の正体

喜多嶋先生の正体は、大人になった未来のアキだった。
アキの運命の流れが変わったのは、祖母の葬式で、祖母の友人である鮫島先生と出会ったことだった。
鮫島先生は、生前アキの心配をしていた祖母から、何かあったら面倒をみてほしいと頼まれていた。
鮫島先生は、勉強ができず、そのせいで学校に行かなくなった子ども達を集め、安い月謝で勉強を教えていた。その塾に、アキも誘われた。
勉強についていけず、不登校だったアキだが、中学校の先生達は、卒業させることを考えていた。
しかし、鮫島先生はアキの将来のことを考え、もう一年ちゃんと勉強して高校に進学するか、アキに決めさせた方がいいと、中学校に掛け合ってくれた。
そして、先生達を強引に説得させ、アキは留年が決まった。
アキは当初、どうせ留年したって何も変わらないし、高校なんかどうでも良いと考えていた。
しかし、二度目の中学三年生が始まる頃には、ちゃんと勉強したいと思えるようになっていた。
そして、鮫島先生を頼れるようになったアキは勉強をし、その後は大学院を卒業するまでになった。

アキは大学生の頃、教育学部に通い、当初、教員を目指していた。
そして、この当時、鮫島先生に誘われて、フリースクール『心の教室』の設立に協力していた。
心の教室での経験は、将来の仕事に役立つと思ったからだ。
アキがミオと出会ったのは、この頃だった。
アキは大学三年生の時に、病院でケースワーカーとして働いていた喜多嶋先生と知り合った。(後にアキの夫となる人)
そして、その流れで喜多嶋先生から紹介されたのがミオであり、週に一回の授業が始まった。
出会った頃のミオは薬の副作用で髪が抜け、帽子をかぶっていた。
学校に行きたいけれど行けなかったミオだが、悲観的ではなく、学びたいという強い意志にアキは励まされ、救われるような思いだった。
ミオは、アキが大学四年生の時に亡くなった。
そして、リオンとアキは、この時のミオのお葬式で出会っていた。
アキはかつての自分がそうだったように、学校に溶け込めずに通えない、はみ出してしまう子ども達の気持ちを理解できていると思っていた。
しかし、一人として同じ子どもはいないと気づかされた。
そして、アキは『心の教室』で活動していくなかで、自分がなりたいのは教員ではないと気づき、その後『心の教室』に携わるようになっていく。
そして、フリースクールの先生となり、様々な事情を抱えた子ども達に寄り添う存在になっていった。

大学院を卒業し、結婚し、苗字が変わり、『心の教室』も携わりながら、いつしか心に、ある思いが芽生えた。

今度は私の番だと。

どうしてそんなふうに思ったのか、わからない。
けれど、昔から、胸に、一つの光景が焼きついている。
腕に強い、痛みの感覚が残っている。
それは、誰かに強く腕を引かれる記憶だ。
私は、助けられた。
震えながら、命がけで、私の手を引っ張って、この世界に戻してくれた子たちが、どこかにいる。

大丈夫だよ、アキ。

大人になって。

未来で待ってる、と。そう叫んで、私をここに繋ぎとめ、大人にしてくれた子たちがいる。

はっきりと見えないその子たちの顔の中に、なぜかあの美生(ミオ)の面影も重なる。

どうしてかわからない。けれど、腕に痛みが蘇るたび、晶子は思う。
今度は、私がその子たちの腕を引く側になりたい。


以下は、こころが喜多嶋先生と初対面する時の場面。

安西こころちゃんが、部屋の中に入ってくる。
唇が青ざめ、不安そうに目をおどおどと動かし、ゆっくりとこの部屋に入ってくる。

その姿を見て、とうとう、この時が来た、と思った。

どうしてかわからない。

けれど、ずっとこの時を待っていた気がする。

この子がどんな暴力に曝(さら)され、闘ってきたのか。わからない。

わからないはずなのに、考えると、胸がいっぱいになった。

大丈夫だよ、と心を込めて思う。

「安西こころさんは、雪科第五中学校の生徒さんなのね」

「はい」

「私もよ。私も、雪科第五の生徒だったの」

大丈夫だよ、と胸の中で呼びかける。

待ってたよ、とアキの胸の中で、声がする。
大丈夫。
大丈夫だから、大人になって。

                                      引用元:小説『かがみの孤城』


誰もが日々、直面する人間関係

本のなかで、こころの願いは真田に消えてほしいことだった。
こころは自分を傷つけた真田に対し、怒りや憎しみの感情をもっていた。
これは、こころが中学生だから、思春期で多感な時期だからということではない。
状況次第では大人も、こころと同じような考えをもつのだ。
大人だって、職場に嫌いな人や自分にストレスを与えてくる人がいたら、居なくなればいいのに。と考える。これは素直な感情であり、自然な流れだ。
内心、嫌いな人とは顔をつきあわせたり、口を聞きたくなんかない。
一日という限られた、自分に与えられた貴重な時間を、長時間、嫌いな人と同じ空間で時を過ごすのなんて、真っ平御免だ。
相手が酷ければ、次第に自分のなかで怒りの沸点を越え、怒りに身を震わすこともあるだろう。
そして、自分にも、こんな感情があったなんて。と、驚くような瞬間があるかもしれない。
快・不快といった感情は子供だけでなく、大人も敏感なのだ。そういった感情のセンサーに、衰えはない。

私が子供時代に想像していた大人というのは、色々なことが分かり、精神的にも強い人間になっていることだと思っていた。
しかし、実際に歳をとってみて感じるのは、年齢的にも見た目にも、大人といわれる身になった今、心のなかには今もなお、子供時代のままの自分が存在しているということだ。

子供の頃は皆、素直に感情を表現できていた。
無邪気に喜んだり楽しんだり、悲しくて泣くことも、それは素直な感情、子供らしいとされて許されていた。子供時代にしか許されない、特権のようなものだった。
それが、いつからだろう。気がつくと、大人になるにつれ、素直な感情が出せなくなっていた。
いや、正確には大人になることを求められるようになってからは、人は人前で感情をだすことがはばかられ、感情に蓋をして生きるように、いつしか変わっていったのだろう。
大人と子供の境目って、一体どこからなのだろう。人は、いつから大人になるのだろうか。
大人だって、悲しい時は泣きたい日もあるし、あまりに辛かったら、声を出して泣くことだってある。
そんな日があっても良いと思う。
子供時代にみていた大人は、難しい言葉を使って話をし、仕事という、なんかよくわからないけれど、大人にしかできないことをしているのだと思っていた。
けれど、大人というのは、実際には一生懸命大人のフリをしているだけなのかもしれない。
誰しもが、心のなかには子供時代の自分が存在し続けている。
周りを見渡すと、敬語を使いこなして仕事に精を出し、すました顔をしている大人がいる。
しかし、それは頑張って社会に溶け込もうとしている、大人ぶっている大人で、世の中には、そういった大人が多いのではないかと思っている。


生きていると、人は少なからず、時に落ちこんだり悩んだりする。傷ついたり悲しい感情にでくわす時、そこには大人も子どもも関係ないのだ。
そして、それらの原因の多くは、人間関係によってもたらされることが多いと感じる。
世の中には、あまりにも鈍感な人が多い。
そして、そのような相手からの無神経な言葉や態度に傷つき、信頼していた人から裏切られたり、悪意を持って近づいてくる者、偽善者を装い平気で騙したり、貴方を雑に扱ったりと、世の中には色々な種類の人間がいて、こちらの意に反して、遭遇してしまうことがある。
世の中には、必ずしも誠実な人ばかりが存在する訳ではないのだ。
また、人が困っている様子を目にして気がついていながら、見て見ぬふりをし、救いの手を差し伸べようとしない。
自分には関係のないことだから、別に知ったこっちゃない。どうでも良い。こういう人もいる。
こういった人は、人として大事なものが欠落している。人としての温かさや優しさは、どこに行ってしまったのだろうか。
でも、そんな時は、どうか思い出してほしい。
かつては皆、子供だった。
子供時代を経験して、大人になっている。
子供時代を経験しないで大人になった人など、誰一人としていないのだということを。


これまで生きてきたなかで、沢山の出会いや人との関わりのなかで、人からされて嬉しかったことや悲しかったことは、自分のなかにストックされている。
過去に自分が傷ついた経験は、今度は人を支える力に変えることができる。
かつての自分が救いを求めていたように、もし、目の前で助けを必要としている人がいたら、相手がどうしてほしいか、どんな助けを求めているのかがわかるだろう。
人によって傷つけられた心の痛みは、人でしか救えない。
それは、相手を心配する真剣な気持ちや真心というのは、機械では替えがきかず、生身の人間にしか持ち合わせていないからだ。
アキは、それぞれの年代ごとに仲間と出会いを果たし、支えた。
アキの優しさは、苦しい時期を乗り越えたからこそ身についた優しさだ。
仲間は、アキの言葉や行動で優しさに触れるたびに、救われた。

私は、人生に無駄なことはないと信じたい。
それは、過去の自分を否定してしまったら、なにも残らずに終わってしまうからだ。
あの経験があったからこそ、気がつけたこと、学んだことがあると思いたい。
過去を振り返った時に、自分の歩んできた軌跡を振り返り、こんなこともあったな、上手くいかない時もあった。でも、自分は自分の人生を歩んできた。
そんな風に思えたら、良いなと思っている。
自分が死を迎える瞬間は、そうでありたいと思っている。
人生は、自分が経験したことでしか、築き上げられない。
人生のなかで様々な体験を通し、喜びや悲しみ、様々な感情を抱きしめ、人はその人だけのオリジナルの生き方をしていく。
人生は、トライアンドエラーを繰り返しながら、歩んでいくものなのかもしれない。
気持ちが落ち込んだ時、悩んだ時、皆、どこかに救いを求める。それが、人によっては音楽だったり、文学だったりの違いであって、曲の心地良さや言葉の響きから、元気をもらったり、励まされたり、勇気をもらったりする。
現代では、信じられる人やものというのは数少ないが、人の心を動かす作品には、単に文書の技術や音楽理論などの計算だけではない、その人自身が考えたり、体験したことが元に出来上がっている。
作品はその人自身であり、魂が宿っている。
過去に出会ってきた沢山の人や言葉、音楽などの作品に触れて、それらの影響を受けて、作品は生まれているのだ。
人それぞれ生き方は違えど、そうした作品に触れることで、自分と同じ考えや感覚をもった人がいる、私が探していた世界があるということを知る。
そうした時、自分の心に居場所が見つけられたような感じがする。
だから、私達は人が創り出す作品に、こうも強く心惹かれるのだろう。
元気がなくなった時、自分の心を慰め、癒してくれるものをもつことで、「よし!また頑張ろう」と思える。そういったものを身につけると、生きることに疲れたり、嫌だな。と感じた時に、生きやすくなる。
それは、自分自身が社会という戦場で、自分なりに生きやすくなる為の術や処世術を身につけるということだ。
心が辛くなった時、苦しくなった時に、自分の心に安全基地をもっておくということは、自分自身を保つうえで、とても大切なことだと思う。

 私達は日々、様々な出来事に感情が反応し、自己と対話している。
自己のなかに湧き起こった感情は、他人や外界によってもたらされるものだが、自分が死んでしまったら、それらの感情はなくなり、感知しなくなる。    自分の感情は、自分にしかわからない。                    自分の感情というのは、自分が今、この瞬間を生きているからこそ感じられるのであって、自分が死んでしまったら、この世から居なくなってしまったら、それまで生きてきた自分の世界は終わるのだ。
社会と接点を持つということは、人と関わるということでもある。
この記事を読んでいる人のなかには、学校や職場で自分の居場所がないと感じている人がいるかもしれない。
しかし、今いる場所が全てではない。その場から離れても良い。
辛かったら、一人で抱え込まなくていい。 時には人に助けを求めてもいいし、勇気を出してSOSをだしたら、力になってくれる人もいる。
 貴方自身が、自分を生きることを諦めなかったら、力を貸して応援してくれる人がいる。
きっと、居場所は見つけられる。
この本が伝えたかったメッセージは、自分を犠牲にするのではなく、もっと自分を大切にしてね。ということなのだと思う。
なぜなら、この世で自分という人間はたった一人で、かけがえのない存在なのだから。

記事を書き終えた今、思うこと

今回、私がかがみの孤城について記事を書こうと思ったのには、理由がある。
それは、私自身が小さい頃から、特に人間関係に関して、生きづらさを抱えながら生きてきたからだ。
私自身には、登場人物にでてくるような背景や実体験はなかったが、幼い頃から割と、人の嫌な部分が透けて見えるような子どもだった。
子供相手に、大人が本音と建前を使い分けていても、本音を察したり、人の悪意を敏感に感じとるような子供だった。
それ故に、私はこういう気質によって、これまでに人と関わることが時に苦痛だったり、ストレスを感じやすく生きてきたように思う。
過去には、自分は人と違って変なのではないかとか、社会生活を送るうえでは、人との関わりは避けて通れないのに、なんでこんな面倒臭い感覚をもっているのだろう、もっと神経が図太ければ生きやすくなるのかなとか、真剣に悩み考えたことがあった。
もしかしたら、今、この記事を読んでくれている読者の方にも、私と同じような感覚を持ち、悩んでいる人がいるかもしれない。
そういう人は、どうか、この本を読んでみてほしい。救われるところがあると思う。
私は今回、このような経緯で記事を書いた。

私は毎回、一つの文章を書き上げるのに、かなりの時間を要し、エネルギーを消耗する。
書いている最中は、一向に終わりが見えず、一体いつになったら書き終わるのだろう。という思いで書いている。
今回も、なんで、こんなに苦しくて辛い作業をしているのか。どうせ書けないんだし、もう止めようか。と、何度も思った。
なかでも、この記事は特に、これまで書いてきた記事のどれよりも書くことが辛く、苦しい作業の連続だった。
あまりに辛すぎて、長いこと放置していたくらいだ。
書いていると涙で目が霞み、途中で文字が上手く見えなくなって、何度も手を止めた。
しかし、どうしても、この記事は自分なりに納得のいく形で、丁寧に書きたかった。
そして、何とか書き終えた今思うのは、自身のなかに散らばった様々な感情を拾い集めて整理し、それらを言語化して、文章にぶつける。
そうすることで、私自身、普段は気がつかなかった、これまで無意識に追いやっていた、抑圧していた感情が解放され、そうすることで私の心は救われて、慰められていることに気がついた。
この経験を通し、自己のなかの内面を見つめるということは、自分と真正面から向き合う作業であり、時に苦しみや辛さを伴うものだと知った。
そして、世の中にひとつの作品として存在するものの多くは、作り手が経験する、様々な生みの苦しみの過程が形となり、誕生しているのかもしれないと思った。
これからも私は自分の思いを、このnoteに綴っていきたいと思う。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回の記事も読んでもらえたら嬉しいです。

※最後に、かがみの孤城は原作の小説だけでなく、アニメ映画化もされています。
以前、テレビ放送されたことがあるので、見たことがある人もいるかもしれませんね。
監督は、原 恵一さんという方でした。
調べてみると、過去の有名作品には、『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』←当時は監督名を知らずに見ていたけど、この作品素敵だな~。と思って見ていた。
『河童のクゥと夏休み』『カラフル』などがありました。
これらの作品を見て好きだった人は、映画で見てみるのもお勧めです。












































 



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