看護師になるきっかけ?
こんにちは
前回のブログでは”看護師Kiyomi”ってどんな人?を自己紹介しました。
読んでいただいた印象から、”看護師を重きにして人生を歩んでいる人”と伝わったのではないでしょうか。
人は親から貰った素晴らしい名前✨があります。それがあなたを示すものですよね。
名前の他にあなたを表現する代名詞があります。
例えば、
〇〇会社の社員
創業50年の〇〇屋の2代目女将
畳職人
エンジニア
警備員
清掃員
自衛隊員
介護士
ペットトリマー
おくりびと
主婦
母
父
長男
長女
末っ子
わたしにとって”看護師”とは、名前の次にくる、わたしを表す代名詞なのです。
これには使命感、生きがい、やりがいが込められていて
この代名詞が削ぎ落とされると、自分の体40%がなくなった感覚になります。
なので、わたし=Kiyomi+看護師+母+妻
こんな代名詞で私を表すことができるのかなと文字にしながら気づきます💡
なぜ看護師に使命感、生きがい、やりがいが芽生えて人格を作り上げてきたのか
を今回はアウトプットします✍️
わたしは母と7歳上の兄の3人家族、シングルマザーの家庭で育ちました。
母は仕事をいくつか掛け持ちし昼〜朝方まで働いてわたし達を育ててくれました。空腹でひもじい思いをしたことは1日もなく、温かいお布団で寝れる毎日でした♡
朝起きて、深〜い眠りについている母を見て学校へ行き、夜は兄と2人で母が作ってくれた夕飯を食べる生活でした。
むろん、母は育児に時間が取れないライフスタイルでしたので、放牧状態🐄で育ってきたわたしは、学校の先生、近所の人、親戚の人、友人の家族にいろいろなことを教えてもらいました。
そんな事が自然に身についたのは放牧育児🐄を選択した母のおかげ!
わたしが高校生の頃、母が喘息を患い、朝方に喘息発作を起こす日が多くなりました。
その瞬間に世界がシーンと静まり返ったような感覚になり、プチっとスイッチが入るようにわたしは冷静になり、119番をならし、淡々と母の状況、住所を救急隊に伝えていました。
救急隊が来てから酸素や呼吸補助をしてくれるのをジーっと見ていました。
そしてふと思い「きっと病院に行ったらお泊まりになるから、着替えと歯ブラシとお財布を持って行こう」と準備をしました。
今思えば、経験もないのに冷静でいられたのは、出会った大人の誰かが、こどものわたしに教えてくれていたのかもです。
その引き出しを開いて行動したのなら、Good job高校生のわたし!と今褒め称えます笑
わたしは商業高校に通っていました。高校3年生の夏、周りのみんなは進学、就職がほぼほぼ決まっている中、わたしは選択肢がまだ見つかっていませんでした。
病院のスタッフに尊敬と憧れを持っていたので、人のケアをする介護士に興味がありました。
とある日に美術の授業中、彫刻刀で印鑑を作っている作業で人差し指をざっくり切り🩸保健室にお世話になりました。保健室の先生(看護師)が進路の事を聞いてくれて、こんな言葉をわたしに言ってくれました。
「介護は人にありがとうって言われるいい仕事よ!でもねぇ、看護師の方がお給料いいから看護学校に行きなさいよー。病院で働きながら、学費を免除してくれるところがあるよ」
その言葉をきっかけに、担任に先生に相談すると、ピッタンコ✨の求人がありました。
看護助手で働きながら、看護学校に通い看護師を目指しませんか?
こうして、自らやりたい職業を見つけ、さらなる価値を重ねていく経験を臨床の場で積んでいき