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2024/12/11 回復
起きたときになんとなくまだ気分が重く元気度でいったら20%くらいだった。心なしか胃も痛い。痛み苦しみに耐えている方が体にも悪そうなのでサッと薬を飲んだ。今月2回目。
夫からいくつかタスクを言われる。気が重くて空を見つめたが、布団を洗濯しにいくことにした。なにが気が重いのかって、コインランドリーに行くことではなく、夫が一昨年くらいから使っている重い布団のせいである。本当に重い。家にあるもののなかでベスト3に入るくらいに苦手。
コインランドリーに布団とスニーカーを預け、コンビニに行く。お昼ごはんを買おうと思うが、今日もお腹が空いていない。なんとなくクレープとアイスラテを買った。もしお腹が空くことがあれば、と、梅おにぎりとスープも買っておいた。
スニーカーの乾燥時間も考えて、コインランドリーで読書をすることにした。日記祭で購入した日記本を読む。往復書簡っていいなと思いを巡らせ、それよりまず今書いているやつを終わらせなきゃか…などと読みながら考え事をしていた。
布団の乾燥を終え詰める。やはり重い布団が重い。冬の毛布たちも含めると本当に重くて少し歩いては止まりながら車に運んだ。そういえば昨日のマッサージで左側の腰が痛かったのを思い出し、ヘルニアになりませんようにと思いながら擦った。ぎっくり腰も嫌です。そりゃそうだ。
この日は件の面談があり、しぶしぶ準備する。気が重い。しかし、面談の内容は概ね良好だった。というか、私が思っていた300倍ポジティブだった。感謝。この内容は誰にも言わずに心にしまっておこうと思った。
最近覚えたのだけど、人に話すとエンタメにしてしまったり、評価してしまったり、つまらないものになってしまうことがままある。だからその時の気持ちとか内容とかは私だけが知っていればいい、私の中の思い出箱にしまおう、と考えられるようになった。昔はこういうのを人にぺろっと話してしまい、その人の意見に嫌な気持ちになったり、その人の意見が正しいと思ってしまって自分の感動した気持ちを否定したりしてしまうことがよくあった。こういう当たり前?とされていそうなことが私には欠けている時がある。
面談を終え、少し不安が解消されたのかやや元気になった。元気になったら少しお腹が減ったのでラテを淹れて、遠野クッキーを食べた。
岩手のお菓子は何を食べても美味しい。
そして、部屋の枯らしてしまった観葉植物の葉っぱを取り除いた。このことも心の中に引っ掛かっていた。やっと枯れた葉っぱがなくなる。この子は生き返るだろうか、と思いながら水をあげた。出来ることならまた葉をつけてほしい。
なんだか止まっていた時が動き出した気がした。一時的かもしれないが、この後は気の滅入りもほとんどなく過ごせた。
色々なことがちゃんと過去になったのだろうか。