日記:先延ばしの悪性

iPhoneのSafariのタブが上限の500に達してしまった。

この日にタブを全消ししてしまって以来なので、自分は1ヶ月と経たずにタブをいっぱいにしてしまうようだ。軽く調べものをしたときにいちいちタブを閉じないためにそうなる。なのでそういった一時的なものを消して新たに開くための余剰を確保するのだが、それもいずれ埋まる。そのとき500も何のページが開いているのかというと、それは「面白そうなので開いたけどちょっと読み切る時間がなさそうなのであとで読もうかな……」と思ったものが蓄積されていった結果である。

なので解決法としては「あとで読む」ブックマークを作ってそこに放り込んで行けばよいことになる。今までそれをしていなかったのは、「まあ近いうちに読むだろう」という自らに対する過剰な期待であって、それが果たされないということはこれまで幾度となくタブをいっぱいにしてきたことからも明らかである。ならばそれのためのフォルダを作ってしまった方がよい。

問題は、果たして「あとで読む」に放り込まれたページに立ち返ることがあるのだろうかということである。経験上、Amazonのほしいものリストにとりあえず放り込まれた本が省みられる確率はゼロに等しい。「近いうちに読むだろう」という期待が、「いつか読むだろう」というような、より性質の悪いものにすり替わっているだけである。タブがいっぱいになるという現象を回避してはいるが、先延ばしという問題の本質はなんら解消されていない。

対応として最善のものは問題の根本を解決すること、すなわち「タブを開いたらそのときに読む」ことである。しかしその対応をとることができない場合も存在する。現代は情報に溢れていて、人は限られた時間の中で何を取り入れるのかの取捨選択をする。そこに選ばれなかったものを忘れてしまうのはどうにも忍びない。だから次善の策として「あとで読む」という選択肢が浮上してくる。

だから、あとになってそこに立ち返るための仕組みがあればよいわけである。ブックマークを見返しやすいように整理するとか。とりあえずNotionに放り込んで行くというのはどうだろうか。なにか良い方法を探していきたい。

しかし、本やゲームも積んでいるのに、比較的短時間で読めるはずのWebページですら積んでいくのか……。とりあえず気になるものは集めて積んでおきたくなるという悪癖が自分にはある。前世はカラスだったのかもしれない。



自分が書いた日記もたまには振り返ったりしたい(そして過去に通ってきた思考をもう一度なぞるということをしないようにしたい)のだけれど、継続日数も120日を越えてきてなかなかそれも難しかったりする。しかし、これに関しては一度自分の思考を通して書くというプロセスを経由しているので、比較的内容を思い出しやすくはなっていると思う。最近は昔書いた内容があればそのページへのリンクを貼ったりして、自分が読み返すときに関連するものも引っ張ってこれるようにしている。それができるのも、過去の日記をある程度覚えているからだ。

要するに、一度自分で考えて書いたものは記憶に残りやすいということである。これを利用してなんらかの記憶術に活かせないだろうか……とは思うものの、基本的に自分の知らなかったものを咀嚼して言葉へと変換する作業はめちゃくちゃ時間が掛かるので、逐一それをやっていては記憶は遅々として進まないであろう。だからある程度トピックのまとまりごとに体系的に理解して、それを言葉に吐き出すとした方がよさそうである。シオランの本を読んでいたときは一つの章を読み終わるごとに自分なりのまとめのようなものを書いたり書かなかったりしてきたが(ここにまとめてあったはず)、そうやって理解を深めていく方法はありかもしれない。自分の言葉で書くということは、換言すると自分の理解できる範疇に物事を落とし込むということなので、それができれば自分の中には呑み込めたということになる気がする。

ちゃんとした理解のためには、下手に安直な解釈に逃げることなく、なるだけ誠実に対象と向き合う必要があるとは思うし、そこにどれだけ気を配ろうと「自分の理解」になってしまうということは忘れてはならない。自分が変換した言葉はあくまで記憶を呼び覚ますためのトリガーに過ぎず、ちゃんと振り返りをしたいときは元の文献にあたらなければならない。

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