日記:領域を越えるための理由
夢で「鷹の一本羽根」という言葉をしきりに聞いて、目が覚めてから調べてみたけどそんな言葉は存在しなさそうである。しかし夢の中では全然違う領域の知人が揃って「鷹の一本羽根」の話をしていたものだから面白かった。自分だけが知らない言葉。
夢では、小学生の頃の友人と社会人になってから知り合った人が同時に登場して会話していたりする。自分の記憶を攪拌して見せているのが夢だとすれば、時系列がめちゃくちゃになるのは普通のことなのだけれど、それはそれとして本来関係ないはずの知人が並んで話しているという世界はいいなと思う。もちろん世界はそう簡単には交わらない。自分の友人は自分に似て内向的な人間のほうが比較的多いので、コミュニティを越えた交流をよしとはしないだろうし、それは自分もそうだと思う。況してや、小学生の頃の友人とは自分ですら没交渉だ。会いたい気持ちがないわけではないが、それを越える会うための理由がない。
漫画やアニメだと、主人公の別々の知り合い(直接の面識はない)同士が、主人公のいないところで顔を合わせるというシーンがたまにある。ああいうシーン(主人公のいないところで巻き起こる事象)がかなり好きなのだけれど、実際にそういうことが現実で起こりうるかというとそんなことはない。異なるコミュニティの存在が混ざるにはそれなりの理由が必要で、フィクションの場合は主人公という共通の知人の存在がこれ以上ない物語上の理由になったりもするのだが、現実ではそうもいかない。私は主人公ではないからだ。あるいは、誰もが主人公であるから、その特殊性は平らに均される。そうとなれば偶然それらの人が一堂に会するというイベントを期待するしかないのだが、それこそ現実にそのような偶然性の高いイベントは起こりえない。
この曲めっちゃかっこいいな……
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