日記:放課後と未来

連休が終わる。残酷な月曜日に立ち向かう方法は2つあって、それは「週刊少年ジャンプを読む」か、「別の予定を夜に詰める」か、だ。今週は前者の手段を取れないため(先週が合併号なので1週空く)、必然と対応は後者に絞られる。今日はアイマス関連の配信がいくつかあったため、その力を借りることにした。


時間の都合で2回目のみでしたが、シャニマスのリリイベ配信を見ていました。毎回、楽曲の収録時の裏話や歌唱の際に込めた想いなどを聞くことができて非常に楽しい。


(以下は個人的に考えていたことです)

今回の楽曲で『拝啓タイムカプセル』というものがある。この曲が以前の同ユニットの楽曲『よりみちサンセット』をメロディの面でも歌詞のテーマの面でもかなり参照しているというか、明確に一続きの思想が感じられる(作詞や作曲・編曲の担当の方も共通している)。

歌唱する「放課後クライマックスガールズ」というユニットは、メンバーが小学生から大学生までバラバラな年齢のアイドルで構成されており、それぞれが「放課後」というコンセプトのもとにまとめられている。メンバーの中で持つ「放課後」がそれぞれで一致するものではないことから、その言葉は多重の意味を持ち、多くの人が自らのそれを重ねるだけの揺らぎを許容している。固定の時間を指すものではない故に、間口の広い概念となっている。

それぞれにとって違う表象を持つ「放課後」という言葉の、しかし万人に共通する特徴として、その不可逆性が挙げられる。時間とは得てしてそういうものであるが、その中でも特に学生時代の時間はかけがえのないものとして扱われることが多く、そのように想起する風潮も人口に膾炙するものではある。「放課後」は戻らない。だから、一度きりの時間を大切に。そのような言葉はたくさん聞いたし、実際その通りだと思う。でも、「放課後」が終わってしまった大人は、過去とどのように向き合えばいいのだろうか。

『拝啓タイムカプセル』は、「放課後」の時間を振り返る視点を持ちながら、それでも前を向く未来への志向性を語っている。楽しかった過去を心に抱きながら、すべてがぴったりと合うわけではない現在を受け止めながら、不確定な未来へと一歩を踏み出していく。その言葉は、かつての「放課後」という時間の郷愁や呪縛に足をとられて動けなくなってしまった人間の心に届く陽光であるのかもしれない。

「放課後」の時間は熱量と郷愁という2つの側面を持ち合わせている。その両義性を前向きに体現するのが「放課後クライマックスガールズ」というユニットであり、パワフルでアップテンポな楽曲と静かでノスタルジックな楽曲はそれぞれを補完的に表している。それは時間が過ぎ去っていくという大河の流れの性質に抗うことのできない、人類という存在すべてに対するエールであり、年代的なバックグラウンドが均一ではない放クラの持つ力の一つでもある。


リリイベの中で「拝啓逆タイムカプセル」というコーナーがあり、キャストの方々が過去の自分に向かってメッセージを送るとしたらというテーマでそれぞれの想いを語ってくださっていた。それぞれの人生を感じ、自然と涙腺が緩んでしまう。人はそれぞれの「放課後」があり、その延長線上としての今に立っている。



夜にはアイマス16周年の配信があった。自分はシャニマス以外はあまり明るくないのだけれど、昨年の15周年で他のブランド(アイドルマスターにはいくつかのシリーズで分かれていて、そのことを「ブランド」と呼んだりするらしい)のライブ映像などに触れた結果、少しずつアイドルマスター全体に興味を持ち始めている。しかし時間との兼ね合いもあってなかなか本格的には手を出せずにいるのが現状だ。

発表としては全体のコンセプトムービーなどのニュースがあり、15周年という大きな節目を越えたいま、さらにその先の未来を見据えているかのような意志を感じた。765PRO ALLSTARSの単独LIVEの発表もあり、展開が続いていくことに喜びを覚える。長く続くシリーズを、時代に合わせながら盛り上げ続けることはとても難しいものだと思う。だからこそ、こうして新しい展開の知らせに心躍る自分がいる。

シャニマス以外のブランドにも触れてみたい。この喜びを傍観者ではなくその渦中にいるものとして感じ取りたい。まずは最初の765PRO ALLSTARSの面々が登場するゲームから入っていこうかな……。

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