日記:言葉は流転する

「ノベルティ」という言葉を小説の亜種か何かと思っていた。ラジオで「メールが採用された方にはノベルティを差し上げます」という言葉を聞いて、限られた人にしか読むことのできない掌編のようなものがあるんだろうなと誤った憧れを抱いていた。ちなみにラジオに投稿をしたことは一度もない。

勿論その認識は間違いである。ノベルティとは何らかの機会に配られる記念品のことを指す。検索してみるとノベルティという言葉はどうやら「新しい」という意味を表すnovusなるラテン語から派生しているようである。

nova(新星)を連想するとなんとなくわかりやすい。しかしそもそも、自分の勘違いの発端となったnovelという単語にも、形容詞として使われた際には「新しい」といった意味合いを含むようである。知らなかった……。

同じ語源に端を発するというなら、「小説」という意味でのnovelにも「新しい」という意味合いが含まれるはずだが、いまいち思い当たるつながりがない。なぜ「新しい」という言葉から「小説」という意味が派生したのだろうか。

そうして検索してみると、「新しい話」=「小説」ということでつながっていったようである。なるほど腑に落ちる。虚構の世界を物語るということはすなわち、この世に存在していなかった新しいものを生み出すことに他ならない。だから小説とは「新しい」。


最近「ゆる言語学ラジオ」を聞き始めて、なんとなく語源について興味が向いていた。何気なく扱っている言葉でも、その起源を掘り下げていくと意外なところに辿り着いたりするのは面白い。まだ触りしか聞いていないので少しずつ聞いていきたい……。


インターネットを見ていると使われる言葉の流行り廃りのようなものが見えて面白い。自分の観測範囲では、「それはもう○○なのよ」というような表現をよく目にするのだけれど、これはお笑いコンビの千鳥さんの流れを汲んでいるのかなという気がする。

いわゆる流行語やミームのようなものには、その源流となったものがある。経緯がわかりやすい特徴的な言葉ならば解説もつきやすいのだけれど、そうではない微妙な言い回しの傾向というのは、明確な影響があるものばかりではなく、ゆるやかに変化していく。その変化を捉え続けていたいたいとは思うものの、どこから流行りだしたのかわからない由来不明の表現というのはたくさんあるんだろうなと思ってしまう。それこそ、疑問を抱けないほどに。そうした変化がたくさん積み重なると、言葉が時代の断絶に曝されることになるのかなと思ったりする。諸説あり。

昔のインターネットの言い回しというのは、どこか今とは違っている。明治時代の小説を読むと文章がどこか固く思えたりするのだけれど、そうした時代による文体の変化というものは今もなお起こり続けているのだと思う。




今更ながら聞いていたYOASOBIの「Into The Night」という曲。かの有名な「夜に駆ける」を英詞におこしたものらしいのだが、この言葉の使い方がすごい。

そのすごさを自分の精一杯の表現で表します。


「You wanna 酔わない ウメッシュ」みたいなことをめちゃくちゃやってる……!




『魔法使いの夜』をやっていました。

『Fate/stay night』で有名なTYPE-MOONが2012年に発表したPC向けのノベルゲームである。

上のノベルティ云々、の話はノベルゲームという単語を出してみて思い出したことで、ゲームの感想を書くまでの枕として軽く記すつもりだったのだけれど、思った以上に長くなってしまった。

とりあえず番外編を除いては最後まで辿り着いたようなので良かった。何が良かったのかというと、明日(もう今日か)がTYPE-MOONの新作『月姫 - A piece of blue glass moon-』(以前のゲームのリメイク)の発売日だからである。別に直接つながりがあるわけではないのだけれど、せっかくなので関連作を踏まえておきたいと思った。

『魔法使いの夜』の時代設定は1980年代後半とされていて、現代から見ると少しだけ人間が「自由」な空気感がある。それは自分が子供の頃に憧れていた「大人」の世界の表象と重なる。あの時見ていた未来の形は、自分が過ごしている現在とは違って、楽しいだけの自由で満ちていたように思う。その姿を時代としては過去の作品にみてしまうのも悲しくはあるけれど。これも一つの郷愁だろうか。存在しない架空の郷愁。

現実と魔術世界が入り交じる伝奇ストーリーでありながら、作中の人物の価値観の交錯や変化が他の奈須きのこ作品と同様に巧みに表れていて、魔術という超常の力を扱っていながらもその世界が普通の人々の現実と地続きであることを実感する。そして彼らが一つの極限の状況にあって、それでも何に手を伸ばすのかという姿が、そのまま人生の意義への問いかけに映る。そういう意味でとても通俗的で距離の近い物語なのだと思う。

噂に聞いていた演出面のレベルの高さにも圧倒されてしまった。物語の進行が自然に入ってくるような視覚効果が、非常に丁寧に作りこまれている。文章を進めるたびに切り取る場面が適切なものに切り替わる。迫力のあるシーンの演出も、語られる言葉に呼応するかのように激しいものになっていく。これでもゲームの形態としてはキャラクターボイスの存在が加わっていないのだから凄まじい。

主題歌はsupercellの「星が瞬くこんな夜に」で、supercellは昔めちゃめちゃ聞いていたのでそれもありなんだか懐かしいような気分になった。主題歌の使われ方も仕掛けがあって驚いた。同じくsupercellの楽曲「ラブミーギミー」が『うーさーのその日暮らし』の1期エンディングで使われたときもトリッキーだったけれど(たしかsupercellのryoさんがそういう使い方の提案をされたみたいなことをうーさーがTwitterで言っていたような……でも調べても出てこない……)、それを彷彿とする。

『空の境界』が好きなので、それに似た空気感のある『魔法使いの夜』も非常に楽しかった。『月姫』も楽しみですね……。

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