日記:知識を信じる
クリスマスイブのイブって「前夜」という意味はないらしいですね。単に「夜」という意味だけがあり、そしてかつてのキリスト教圏では夜から1日がはじまると数えるから、24日の夜がクリスマスの夜、すなわちクリスマスイブなのであって、25日の夜はもうクリスマスではないのだとか。
そんな風にWikipediaには書いてあったのだけれど、それが本当のことかどうかはわからない。大学のレポートでは「Wikipediaを引用するな」と言われるけれど、しかし記載が真実かどうかなんて、正直それがインターネットの片隅であっても分厚い書籍の中であってもわからない。知識とはただそこ独立して存在しているように思えて、それを支える基盤の部分が自分には見えていないから、それが正しい場所にあるものなのかどうかを判別することができない。自分の持ち合わせている情報と照らし合わせて、その正当性を検証したりするけれど、その試みによって真偽が明らかになるということはあまりなく、結局よくわからないまま飲み込んでいる知識がたくさんある。
例えば、上述のイブの言説を確かめるのならば、キリスト教で用いられる教会暦が本当に前日の夜を1日の起点としているのかといったことを調べる必要がある。そのためにはいくつかキリスト教の文化について書かれた本を読む必要があるだろう。そして対象の本を選定する基準はといえば、正直わからないので権威のようなものに頼るほかない。いくつかの書籍を比較してみて、そこに書かれていることが共通しているのならそれは真実と言えたりしそうだが、しかしそれらの記述が同一の根拠に基づいて綴られている場合もあったりして、そうなると別の角度から切り込んだ視点も欲しくなってくる。
結局、どこまでいったとしても、自分にはそれが正しいかどうかなんてわからないままな気がする。最終的にはどこかで信じるしかない。ただし、その信仰は無知からくる諦念ではなくなっており、調査と推察を重ねた末に導かれる1つの可能性である。そしてそれは、1つの知識と呼んで差し支えないように思う。大切なのは、そこに根拠があるということだ。
見たり読んだりしたもので感想を書いていないものが溜まっているのだが、それを書き起こそうとするのになかなか腰を上げることができない。そもそも感想を書くのは、日記を書くよりも大変なことだ(自分にとっては)。日記なんて所詮自分の考えたことをつらつらと書き連ねるだけなのだからいくらでも胡乱な言葉を続けられるのだが、作品に対する感想はそうもいかない。それが避けられないものだとしても、できるだけあからさまな誤読はないように触れつつ、同時に自分の考えも組み立てていかなければならない。
そしてこの2つを組み合わせるのがかなり難しい。ただ作品の内容を説明するだけではただのあらすじにしかならないし(それはそれでまた価値のあるものだとは思う。文章で要点を説明するという技術はかなりの高等テクニックで、自分にはできない)、もし自分の意見の主張が強過ぎてしまえばそれは独り善がりな文章にしかならない(それもそれで突き抜けていると面白かったりするのだけれど)。綺麗な感想文を書くということはなかなかに難しく思えるし、それができる人を尊敬する。
とはいえいつか向き合わなければならないと思うので、そのうち映画や短編の感想を書く回をやりたい。具体的には2日後くらいに。そう宣言することで自分を追い詰める。別にこういう宣言を自分は普通に破ったり忘れたりしてしまう人間なので、それが果たされるという保証はどこにもないのだが、それでも言うだけ言っておいて、ちゃんと果たされたのならラッキーくらいの気持ちでいる。この日記を書いてきて「これをやろう」と宣言したもののうち、1割も達成されていないと思うのだが、しかしこれくらい近視眼的な目標くらいならなんとかなるのではないかという淡い希望を抱きつつ、今日はもう遅いので眠ることにする。
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