日記:眠い頭の感想
眠いぜ……今日はそこまで早く起きたわけでもないのだけれど……でも眠いことはいいことか……少なくとも眠れずに夜が遅くなってしまうよりは……
今日は映画を3作品見た。『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』をDisney+で見て、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の総集編と劇場版が再上映されていたのを見に行った。
以下、最近見たMARVEL作品のものも含めて、感想を書いたりしています。ネタバレご注意!
『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』は時系列が遡る形になるのだが、自分はそういう前日譚的な話が大好きだ。『メタルギアソリッド3 スネークイーター』とか『キングスマン:ファースト・エージェント』とか。少し毛色は違うが『Pokémon LEGENDS アルセウス』もそうかもしれない。現代の物語に地続きな過去の人間の想いがそこにあるのを見ると嬉しくなってしまう。なぜならそれは人が生物としての寿命を超えて存続できることの証明であり、そうやって想いを受け継いでいくことが死という逃れ難い悲劇に抗う唯一の術だと信じるからだ。時を超えて受け継がれる想いとか、そういうのに弱い。新章に突入して次の世代の人間たちの物語がはじまるのでもよい。
『アベンジャーズ』は、これが噂に聞くアベンジャーズか……!とテンションが上がりながら見ていた。しかしいきなりヒーローたちが団結して仲良しこよしするのもなんだか違うよな……みたいなことを思っていたから、ちゃんと(?)衝突していて少し嬉しくなってしまった。出自も価値観も違う人間が、正義という生半ではいかない重荷を背負っているのだから、譲れないところもたくさんあるだろう。倫理道徳なのか、合理的な科学の積み重ねなのか、根底にある目的は同じでもその表出に違いはあって、そこが衝突しながらも強大な敵に向かっていく様は手に汗握る熱いものがあった。ヒーローが多いぶん、立ちはだかる敵もなんだかめちゃくちゃ凄いことになっている。
『アイアンマン3』は、アベンジャーズでも存在感を発揮していたトニー・スタークが大きな戦いを経て苦悩を抱える部分が描かれており、そうしたある種の弱さと向き合う姿に等身大の人間像を感じてますますキャラクターに惹かれていった。単に自分がトニー・スタークが好きなだけかもしれない。技術者で富豪で飄々としていて確固たる信念があって鮮やかに勝利するのだから、魅力的でないわけがない。ともすれば魅力的すぎることがかえってやりすぎ感を覚えさせることにも繋がりかねないのだが、しかし今作で描かれた苦悩はその完璧さを損なわせたことでキャラクターとしての魅力を増加させているようにも思える。
『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』は、人格的な成長を遂げたソーが更なる危機に立ち向かっていく姿に胸が高鳴る。やはり世界を渡る神々の話なのでスケールが大きくなり、戦闘の迫力もすさまじい。ロキはその出自からどうしても悲劇性を見出してしまうのだけれど、それを持ちつつも悪としての巧妙さを滲ませるキャラクター性が鮮烈だ。たしか人気のキャラクターだったような気がするのだけれど、それも頷ける。悪戯っぽく笑みを浮べるところとか可愛いものな……。
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は、総集編も劇場版も3回目なのだが、「そういうことだったのか」とはじめて理解するところがたくさんあり、自分がいかに雰囲気で作品をみているかが改めてわかる。特に家で見る映画はながら作業で見ることも多く、話もちゃんとわかっているかどうか怪しい。
要するにこの物語における葛藤は、「自分で見つけた理由」と「他人に与えられた理由」の対立に集約される部分があるのかもしれないと思った。舞台に立つ理由として、「自分がそうしたいから」と「誰かのために立つ」という2つの在り方がある。それはどちらにも長短があり、前者は他人に左右されないが自分が折れたら終わりで、後者は他人に依拠している部分があるものの外部にエネルギーがあるのでそこから受け取ることができるという特徴がある。しかし最終的には、自分1人で歩いていくだけの強さを獲得していく……そういうジュブナイルの終わりのような見方をすることができるかもしれない。
レヴューのシーンが本当にすさまじい。何度見ても圧倒される……。
それから本も読んだ。『わたし、二番目の彼女でいいから。』という小説。めちゃめちゃ面白かった……!
お互いに二番目に好きな相手と付き合う、というところからはじまる物語。それが一番の恋ではないことが、恋人同士のやりとりに切なさと苦しさをもたらしている。割り切って二番目の恋を続けているつもりが、次第に変化も生じてきて、お互いの一番の相手も含めた多角形の錯綜する想いがどう転がっていくのか、その行末が気になって読み進める手が止まらず一気に読んでしまった。また、章題に相対性理論の曲名が入っていたので嬉しくなるなどもした。
男性の主人公が複数のヒロインに囲まれる、いわゆるハーレム的なラブコメに対しては、「なぜ主人公だけが複数の矢印を向けられるのか」という疑義が生じる余地がある。単にそれだけ魅力的な人物だから、として片付けるのは容易なのだが、別の解決手段として「主人公にとっての恋のライバルを追加する」というものがある。しかしこれは簡単ではない。こういった小説はヒロインを攻略していくギャルゲーの文脈を多分に含み、主人公に読者の視点を重ねる余白を持たせることでヒロインとの交流を楽しませるという意義がないではない。そこに他の男性が挟み込まれることは、少なくともギャルゲー的な文脈ではあまりないように思える。主人公の親友ポジションは、恋のライバルたりえぬ三枚目であることを要求される。
しかしそこで「二番目の恋」という言い訳をお互いに持たせることで、恋の多角関係が自然に成立するのである。ヒロインには別に懸想する相手がいるのだとしても、こちらも同じなのだからおあいこだ。この構造が、個人的にはとても新鮮に感じられて、とても楽しく読み進めていた。
眠いのにそれなりに分量のある日記になってしまった……しかし感想を書きはじめたら書ききらないとどうにも居心地が悪くなってしまうので……
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