日記:振り返ることができる距離

別に終わることなんて望んでいないのに、時の流れは無情にもあらゆるものを連れ去っていく。だがそこにあるのも本当は終わりなどではなくて、ただ私たちがそうであると錯覚しているに過ぎないのだ。今年が終わり、そして次の年が始まる。


年末だし折角だから振り返りでもしようかなと考えた。例えば、今まで書いた日記を読み返してみて、一言ずつコメントを入れていくのだ。しかしどうだろう、今までに積み重ねてきた日記はまだ1年分にも満たないとはいえ、それでも200を超えている。1つに対して1分と見積もったとしても、3時間は掛かる計算だ。思いつきで取り掛かろうにも少し怯んでしまう物量である。

思えば師走はなにかと忙しかった。仕事が少し忙しなかったというのもあるけれど、休日も忘年会と称してあまり会えない人と話していたり、合唱の練習をしていたり、いま公開している映画を見にいくためにまずはドラマのシリーズを走破したり、シャニマスのライブがあるものだからと溜め込んでいたシナリオを追いかけたりしていた。

どれも性質は異なるとはいえ、一定の時間制限を伴うものであったから、とりあえず「やりたいけどいつでもできること」を後回しにして予定の優先順位を組み替えていた。もはや身体に染みついてしまった日記をとぎれさせることは一応なかったが、以前と比べるとかなり勢い任せに打鍵していたことが多かったように思う。昨日の日記に何を書いたのかということを普段からあまり記憶している方ではないが、近頃はその性向に拍車がかかっている気がする。

最後の土日を終えて、ようやく予定も一段落した。さて、では今年の振り返りでもしようかなと、事ここに至ってようやく思案したものの、気づけば残りも指折り数えて事足りるところになってしまった。一応、最近見た作品の感想を振り返りでもしようかなとは考えているものの、それで1日を使うとなれば残る日数は4日。今日はもうそんなことを書ける気もしないから、あと3日。明日はきっとFGOの更新を読んでいるだろうから、2日。大晦日は流石にそんな余裕はないだろう。1日。残る1日は、知人と通話する予定が入っている。あれ?もう振り返るチャンスってない?

1年の振り返りともなればそれなりに時間がかかる。だからこそ、ゆっくりと落ち着いて取り組みたいものだが、しかし師走と称されるほど誰もが駆け回るこの季節に、そんな余裕を持つことができる者はどれだけいるのだろう。いるとしたら、その人は計画性を持って日々を送っている優れた人物であるように思う。少なくとも、明日の予定もうまく立てられない自分にとっては、12月が忙しいことを想定しつつそれに合わせた生活を過ごすという偉業はあまりにも困難な試みに映る。

だからせいぜい、この私に許された振り返りというのは、ここ1ヶ月に見た作品の感想をまとめるというのが精一杯なのだと思う。1年という距離を振り返るために必要な時間を用意できる計画性など私にはない。そもそも計画性があったら、4月27日という中途半端な日に日記を書きはじめないような気もする。毎日続いている日記という営みは、確固たる意志に基づいてるわけではなく、衝動とそれに続く惰性でなんとか形を為しているに過ぎない。なにか目的があって書いているわけでもないし、ちゃんと構造を決めて綴られているわけでもないのだ。だからいつか振り返る日が来るとして、それはきっと年の瀬という区切りではなく、やはりはじまりと同じように衝動的にもたらされるのだと思う。



残った時間で「2021年買ってよかったもの」をやります。

日本語配列で無線接続(有線でも接続可能)のHHKBという高いキーボード。実はこれの前に英字配列のHHKBを持っていたのだが、方向キーがないことに最後まで慣れることができなかった。なのでメルカリで手放し、新しく日本語配列のものを購入した。すると非常に使い勝手がよい。方向キー1つでここまで変わるものなのかと驚いた。

HHKBはキーの数が少なく、いま使っている日本語配列のものも方向キーはあるがファンクションキーがない。Fnキーと数字キーを組み合わせて入力することでそれに代えている。

もともと英字配列のものを買ったのは、iPadで接続する際にキーボードがどうしても英字配列になってしまうという現象があり、そして自分はiPadに接続したかったためである。実はこれを書いているいまも日本語配列のHHKBをiPadに繋いで書いているのだが、接続がBluetoothで非常に簡単なのに対して、入力は英字配列として認識されてしまうのでいささか不都合がある。それでもこの心地よい打鍵感を手放すことはできなくて、すぐに立ち上げることのできるiPadと合わせて自分の生活に欠かせないものとなっている。値段が値段なので強くオススメはできないけれども、もし良いキーボードを探しているのであれば考えてみてもいいかもしれない思います。他にも
ファンクションキー付きだとREALFORCEとか、最近知って気になっているのはKeychronというキーボードとか、色々と調べてみるとかなり沼に嵌ってしまいそうな予感がある領域ですね……。


あとは……なんだろう……買ってよかったもの……すぐには思いつかない……すぐに散財してしまうくせに、買ってよかったものをすぐに思い出せないのはかなり悪癖であるような気がする……ここのところ何度か言っているけれど、ちゃんと節制するようにしたい……


noteの機能で振り返りを作ってくれるものがあった。ありがとうnote……。振り返りはこれでいいか…………。



よく読まれた記事として上がっていたこの日記は、投稿時間を見ればわかるように月曜日の朝になって慌てて書いている。「ほかの誰もが救われたあとで自分を救ってほしい」という感覚は、もう少し掘り下げてみてもいいかなと思って下書きを作っていたものの、朝になってとりあえず日記を書かなければということでかなり簡単にまとめたものになる。しかし自分の日記にしては多くの反応があり、なんとなく良いものが書けたのかなという感覚と、もう少しちゃんと書けばより良いものになったのかもしれないという後悔が混ざり合っていた。だが時間をかければ良いものが書けるというわけではないし、追い込まれた精神状態で書いたからこそ贅肉が削ぎ落とされた簡潔な記事に仕上がったという側面もあるかもしれない。

<物語>シリーズなどの作者として知られる西尾維新という小説家の2作目である『クビシメロマンチスト』という作品は、2日か3日で書き上げられたものらしい。1作目の『クビキリサイクル』の方が圧倒的に時間がかかったらしいのだが、編集者の方に評価されたのは『クビシメロマンチスト』の方であったらしい(自分もこの作品で西尾維新作品にさらに嵌った記憶がある)。それについては思うところもあったようなのだけれど、それを経て「いいものはそれにとって最速で仕上がる」というスタンスを持つようになったらしい(というのも15年前の本に書かれているものだけれど。詳しくは<戯言>シリーズを読んだ後に、『ザレゴトディクショナル』の「クビシメロマンチスト」の項を参照してほしい)。

要するに、時間をかけたからといってそれが評価されるとは限らないということだ。小説家の感覚に自分を重ねようという気は毛頭ないが、しかし頑張ったからといって必ずしも良いと言ってもらえるとは限らないし、そのことで一喜一憂することのないのだと思う。よいものを書くことと、よく見せるということはまた別だったりするし。言葉という不確かなインターフェースは、自分の考えをそのまま相手に伝えられるわけでもないから、その伝達効率も中身と同じくらいに大事だったりするし、中身にしても書く側と読む側で興味の向かう先は微妙に異なっていたりする。自分がよく書けたと思ったものを誉められたとして、相手が指すそれは自分の思うところとはまた違っていたりすることも往々にしてある。

やっぱり自分の書いた日記に反応が多くつくとかなり嬉しいわけだけれど、しかしそれのみを拠り所にしてしまっていては、他者に承認されたいという欲求ばかりが肥大して結果として自分を苦しめてしまうのだという気がする。そりゃあ公開されている場所で日記を書いている以上、承認欲求が人一倍大きいことは否めないのだけれど、精神をそちらに傾かせすぎないように、かといって独り善がりにならないように、それでいて無難なことだけを書くようなものにはならないように、しかし尖ったものを求め過ぎないように、どうにかしてちょうどいいところで日記を続けていけたらいいなと思う。

なんだかんだで振り返りができたような気もするな……。

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