日記:レシートに埋もれた足跡

私の仕事納めは明日です。

そういえば経費の精算のために領収書を提出する必要があることを思い出した(正確には、iPhoneのリマインダーが教えてくれた)。しかしこの前の土曜日に財布の中身を整理したばかりで、そのときは経費のことなどすっかり頭から抜け落ちていたので雑多なレシートごと机の上に積み重ねてしまった(それを整理とは言わないと思いますよ)。

さてどうしたものか。私の記憶は非常に曖昧なので、目的の領収書をどこに入れて管理していたものか皆目見当がつかない。もしかしたら、オフィスの机の抽斗に入れていた気すらする。しかしその記憶をあてにしていざ机を開けてみたらもぬけの殻だった、というのでは仕方がない。とりあえずは人事を尽くしてみようと、自室の机を範囲に捜索をはじめることにした。

ここ2、3ヶ月のレシートが大量に発掘される。レシート以外にも、買ったまま読んでいない本だったり、とりあえずは対応することがないと判断して放置している郵便物だったり、予約したゲームについてきた特典だったり、映画館で貰った入場者特典だったり、特に使うこともないまま片隅に転がっている文房具だったり……。そうしたものがまぜこぜになって同居しているのが自分の机であり、その中から1枚の領収書を見つけ出すのはなかなかの難行である。

目的の領収書はなかなか見つからない。段々と、オフィスに置いてあるという公算が高まってくる。それでも一応はと机の上を探し回り、レシートらしき紙片を収集したものの、探し物は見つからなかった。振り返ってみると、かき集めたレシートが小高い丘を作っている。それだけ自分が消費活動を営んできたという足跡でもあり、感慨深いような(金額に)背筋が凍るような心向きになる。


自分はなにかと物を捨てられない人間なのだが、その延長線上にある感覚として、レシートもとりあえず貰って保存するようにしている。保存といっても、特に記録をつけているわけではなく、ある程度の枚数が溜まったら適当なクリアファイルに突っ込んで部屋の片隅へと追いやるということを繰り返しているだけだ。それでも、そこに記録が残されているという事実が、自分の心を安らかにする。もしレシートを捨ててしまったとしたら、そこにあったはずの自分の時間が、経済活動が、人生が消えてしまうような気がして、半ば恐怖に突き動かされるように私はレシートを収集している。

しかし改めて振り返ってみるとかなりの量になっていて、なるほど自分の出費が嵩んでしまうのも頷けてしまう。理由は単純明快で、ただただ買い過ぎているのだ。それも、上述の「なにかが消えてしまうような恐怖」が限定と銘打たれた商品を買わずにはいられなくさせてしまうので、正直そこまで活用しないものまでもとりあえず買ってしまうという悪癖がある。予約限定特典だとか、期間限定販売だとか、会期を逃せばもう見られない展示だとか、その場に行かなければ二度と味わえないライブとか、それを逃せば世界から失われてしまうであろう恐怖は出費による痛手を悠々と上回ってしまう。ある種の買い物依存症なのだと思う。


そんなサイクルをいつまでも続けることはできないので、ちゃんと出費を管理しなければと思うようになったのが最近のこと。とりあえず、新しい本を買う前に積んだままの本を読もうという意識になったり、不要な出費は避けようという気になったり、身近なところからはじめようと思っている。そんな折、目の前に積み重なった大量のレシート。これを活かさない手はないのではないだろうか。とりあえず、昔に登録したままのMoneyForwardへとレシートの内容を入力してみようと試みる。

しかし、以前に口座やカードは登録してあるので、大まかな収入と支出は自動で入力されている。ここに、例えばカードで支払った金額をそのまま入力してしまうと、支出が二重に計上されてしまう。それを避けるための入力方法があったはずなのだが、どうにも思い出すことができない。その上、銀行から直接チャージしているPayPayの扱いはどのようにするべきかとか、楽天カードを登録しようとしたら連携がうまくいかないとか、そういうあれこれに苛まれているうちに「今日は無理だな……」と思ってしまった。対処方法はあるはずなので、また後日整理することにしよう。こうしてタスクは積みあがっていく。目の前のレシートのように。


一応、領収書がないかどうか最後にもう一度レシートの山をひっくり返してみる。

あった。

あるんかい!!


こんな調子でちゃんと年は越せるのでしょうか。どんな人にも平等に時の流れは押し寄せてくる。師走の慌ただしさはなかなか消えてくれなくて、1年が終わってしまうことに対して悲しくなる暇もないのは、少し嬉しいことかもしれない。

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