日記:ミーハーな私は中空を漂う
競馬を見ている。「ウマ娘」にハマった影響だけれど、ゲームの方は進行が疎かになっていて、競馬の方もちゃんと知識があるわけでもないけれど(同時期にハマった人と比べて明らかに自分の含蓄がなく、新しい知識を吸収する土壌が無いのかもしれない。ミーハーなのに/だから)、日曜の午後になると普段はめったに見ないテレビを点ける。馬券を買うこともなく、テレビで放送されるレースを見ているだけなのだけれど、なんとなく習慣になっている。
今日の北九州記念で勝利したヨカヨカのことを知ったのは、4月の桜花賞だったと思う。ヨカヨカは熊本県産馬なのだが、いままで重賞(ざっくり言うと、すごいレースのことらしい)で熊本県産馬が1着になったことはないとのこと。そう言われると応援したくなってしまう。競馬の知識が浅い自分は、そういう属性に判官贔屓のような視線を送るという楽しみ方をしてしまう。
なので今日もヨカヨカを応援していた。最後の直線で追い上げを見せ、ゴール前でトップに躍り出て1着でゴールした。別に自分は熊本出身でもなんでもないのだけれど嬉しくなってしまった。
今日の札幌記念を勝ったのはソダシ。桜花賞を制して白毛馬初のクラシック(めっちゃすごいレース)勝利を上げた馬である。白い馬体が美しく駆ける様に心惹かれたという記憶がある。白毛の競走馬が滅多にいないということで、自分が彼女を応援したくなってしまうのも判官贔屓のような感情から来るものなのだろうか。
クラシック競争は牝馬と牡馬に分かれてそれぞれ3つのレースがあり、3つのレースを制した馬は三冠馬と呼ばれる。牝馬クラシックの最初のレースである桜花賞を無敗で制したソダシは、その次の牝馬クラシックであるオークスも注目されていたのだが、距離が伸びたことや周囲からマークされていたこともあったためか8着となった。
そこからの本日の札幌記念。1番人気は2019年のオークスを制したラヴズオンリーユーだ。途中で先頭に立ったソダシはそのままトップを維持し1着でゴール。白い馬体が強さを見せつけた姿にまたしても心奪われていた。
ミーハーで知識もない故にふんわりとした応援しかできなくて、それがちゃんと競馬に向き合っている人からするとうっとおしいんじゃないかなという気はある。本当はその馬の適正や前走からの変化、レースの状況などを考慮して予想を立てるのがファンとしてあるべき姿なのかなとは思う。自分はそういうのをすっ飛ばしてただなんとなく応援したい馬を応援しているだけだ。
競馬に限らず、どの領域でも自分は門外漢で、ちゃんとしている人からするとてんで的外れなことを言っている気がする。いつかそれを糾弾される時が来る気がして怯えている。でも、それを楽しいと思った自分の気持ちは嘘ではないと思いながら、それをちゃんと言葉で語れるようになるまでミーハーであり続けている。変なことを言っていたらすみません……。そういう控えめな姿勢は忘れないようにしたい。もうこんなことを書いている時点で控えめでも何でもないと言われたら首肯するしかないのですが……。
まだミーハーな話は続くぞ!すみません!
夜になって、FUJI ROCK FESTIVAL '21を少しだけ見ていた。音楽のことは何もわからないのだけれど、なんだかみんな見ているなという気がして。ミーハー……。配信ページを開いたときにはもう殆ど終わりだったけれど、点けたチャンネルで演奏していたOAUというバンドに魅了されて聞いていた。いいな……。ケルティックって言うんでしょうか。アコースティックの優しさや楽しさが伝わってくる感じだった(どんな感じ?)。
4s4kiさんもいいな……。なんていうか、こう、声が世界のどこかに届けようと叫んでいる感じが……(どんな感じ?)。DJブース?が金属的な鳥居を成しているのもとても良い……。電子的なサウンドっていうんですかね?その響きが自分にはどこか寂しげでありながら切実なものに聞こえて、それが好きです。去年、MOGRAさんがオンラインで配信していたDJイベントを聞いたときにそんなことを思った。電子的というか、自分の中の「インターネット」のイメージをそこに重ねて見ているのだと思うのだけれど。
自分は歌を聞くときになかなか歌詞が入ってこなくて、言葉としての破壊力をうまく受け取れなかったりする。何度も聞いている歌でも、「こんな言葉を言っていたんだ」とかなり後になって気付いたりする。
以前(もう記憶が朧げなほど以前)、「音楽は既知のものが再生されるという形態としての性質がある」みたいな話をどこかで読んだ気がする。ライブなどでは、観客はそこで演奏される楽曲を知っている前提で臨む。だからこそ曲の盛り上がる場所でコールを打てたりする。映画や小説などの形態では、基本的に初見で楽しむもので(面白ければ何度も見たりすると思うけれど)、そこに音楽との差がある、という話だった。
音楽は繰り返し聞かれることを前提としていて、だからこそ歌詞も初見で入ってくることを想定されていないのではないかと思ったりもする。その楽曲が血肉に馴染むまで聞き返すことで、歌われている言葉が体得されていく。歌における言葉とは、そういうものだったりするのだろうか。
まあ、そんなことはないのだと思う。フェスみたいな場所では、知らなかったバンドの知らない曲を聞いて感動することもあるだろうし。自分が楽曲の言葉を意味に変換するのに時間が掛かるだけの話なのだろう。
自分は単語や短文が聞こえてきたりして、それら単体で想起されるイメージはあるのだけれど、それが楽曲全体を通して一つの物語になるということを聞きながら理解することができない。どうしても断片的になってしまう。でも歌詞とはそういうものなのかもしれない。そうじゃないのかもしれない。何もわからない……。
知らないことだらけだ……。この世のすべてのことに詳しくなりたいよ~~~~!!(傲慢で恥知らずな強欲)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?