日記:暖かい年末

今日は起きてから昨日のぶんの日記を書き(疲れた)、昼食を食べたら眠くなってしまい再び目覚めたらもう日が落ちていて、風呂に入り夕食を食べ約束していた通話をつなぎ、それが終わったら「クイズ⭐︎正解は一年後」を見てこんな時間です。

大掃除は?(進捗ゼロ)

明日はどうにか部屋を片付けたいが……終わるだろうか……。


思えばここまで慌てている年末は初めてかもしれない……と思ったが、学生の頃はスキーで年越しをしていたりしたので、よく考えればそちらの方が慌ただしい。31日に塾講師のアルバイトを終えて、そのまま長野県に赴いて年を越すということもあった。知人と年越しを過ごすことができるのは楽しい。

日本人は、クリスマスを恋人や友人と、年越しを家族で過ごすことが多いのだという。しかし海外では逆であるのだとか。海外の年越しというと、ニューヨークのタイムズスクエアでのカウントダウンが思い浮かぶが、確かにあれは家族で来ているといった風ではない気がする。『ARIA』2巻では、ネオ・ヴェネツィアにおける年越しをみんなで集って迎えている(ここでも日本との年越しの対比が語られている)。

自分は実家に暮らしているので、帰省しなければ家族と会えないというわけではないが、それでも普段はあまり会話をすることがない。別段仲が悪いというわけではないのだが、ずっと同じ場所にいると特筆すべき話題もなかったりするので、特に平日はほとんど離さずに1日を終えてしまうことも多い。

それでも年末年始はなんとなく一緒の時間を過ごそうという気になる。普段はテレビを見ることも少ないが、今日は番組に興味があったこともつながりリビングで炬燵を囲んでいた。そこで何か特別な会話があるわけではない。同じテレビを見て、一緒になって笑っているだけだ。笑いのポイントはそれぞれで異なっていたり、元ネタがわからないボケがあると尋ねたり逆に説明したりもする。そんな時間が楽しくて、「ああ、年末だなあ」と思う。日常の喧騒から離れ、ただ安らかに過ごす時間。それはこの数日間でしかあり得ない。慌ただしい師走を駆け抜けて、少しの間だけ息をつく間隙が、年末年始であるように思う。

自分は大掃除終わっていないんですが……。


「クイズ⭐︎正解は一年後」、かなり攻めているというか、危ないところを突いてくるなあと感嘆する。プロデューサーが「水曜日のダウンタウン」と同じ方であるらしく、確かに通ずるものがあるなあと思う。こういう笑いはかなり好きなのだけれど、同時に「大丈夫かな……」と心配になる自分もいる。そのとき、自分は心からそのユーモアを楽しむことができているのだろうか?本当はもっと心をアナーキーに染めた方がよいのではないだろうか?そんなことを考えつつも、実際に精神をそちらへ倒そうという気はない。自分の精神のあり方は切り替え式ではないので、たぶん変質してしまえば簡単には戻すことができないし、そうすると日常の生活に支障が出そうな気がする(別に芸人の方々を貶しているわけではなくて、というかそういう精神でいなければあのような笑いは生み出せないと思う。自分は不器用なので、状況に応じてそれを使い分けることができないというだけの話だ)。だから、まあ、今のままでいいかなと思う。


家族でテレビを見ているとき、アダルトなネタは普通に笑えるのだけれど、アニメ的なCMが流れると気まずくなってしまう。自分がアニメやゲームが好きであることを家族は知っているのだが、だからといってお茶の間で流れるソーシャルゲームのCMに対して何の感情も抱かないというわけではないのだ。僕はウマ娘のCMをどのような表情で見ていればいいのでしょうか?「最近よく競馬見てるけど、このゲームの影響?」という問いに対して、どのような答えを用意しておけばよいのだろうか?

  1. 正直に答える
    「そうそう、実はアニメから嵌っちゃってさ〜」と聞かれていないことまで答えれば、まったく気にしていないといった様子を装うことができるのではないだろうか?中途半端に「ああ……うん」と答えると気恥ずかしさが伝わってしまう気がする(そしてなんとなくマジっぽさがある)。

  2. 誤魔化す
    これは、自分の嘘が下手なこともあり多分バレる。というかこういうコンテンツが好きであることは知られているので隠しても意味がない。

  3. 少しだけ肯定する
    「ああうん、これがきっかけで知ったんだけど、今は競馬の方に嵌っちゃってて。先週の有馬記念がさ〜」と受け流しつつ話題を逸らす。これにより「こういうゲームが好きなんだ」という印象を残すことを避けることができる(と、自分は思っている)。

要するに、オタクであることを知られているのは構わないが、「オタクだからこういうのも好きなんでしょ」と軽んじられ決めつけられるのが嫌なのだ。好きなんだけど……。でもそこには相手に対するステレオタイプなレッテルを押し付けているだけの勝手な感情があり、対話を放棄しているように思える。もしそこに理解しようとする意思があるのなら対話から入ってほしい。その気がなければ放っておいてほしい。その質問をする意図が別にあるのなら余計なクッションを挟んで誤魔化そうとせずに本題から入ってほしい。

別に聞かれてもいない質問に対してなぜ自分はここまで攻撃的になっているのだろうか?多分今日も散々CM流れてたのに聞かれなかったということは、もう聞かれないと思いますよ。

とはいえ自分も初対面の相手に「〇〇出身なんですか?あそこって〜」と勝手なイメージを入り口にして会話を引き出そうとしてしまう。それが相手の気分を害する恐れがあるということを忘れず、相手への尊重を欠かすことなく振る舞うようにしたい。


明日の日記はおそらく年が明けてから書いていると思うので、これが年内最後の日記になるだろうか。今年は日記を書き始めて、おそらく色々な人に読んでいただけて、非常に楽しい年になりました。来年も、時間等の都合よろしければで構わないので、読んでいただけるととても嬉しいです。

大変お世話になりました。よいお年をお迎えください!!

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