日記:独り善がりの善行
すみません、バタバタしているので短め……
電車で帰宅するとき、隣に座った男性が眠いのか頭を凭れかけてきていて、そのまま肩を貸すことにした。そうやって善行を積んだ気になっていた。そうすることで相手がどう思うのか、助かるのかそうでもないのか、その答えを知る由はなかったけれど、自分の中のメサイアコンプレックスじみた欲望を満たしてやろうと思った。
しかし知らない人に肩を貸し続けるというのは存外大変なものである。重いというわけではないのだが、それよりも違和感が時を経るごとに大きくなっていく。赤の他人と触れ合うほどに接近しているわけだから、心理的な負担はそれなりに大きいのだと思う。自分のパーソナルスペースがどれだけの範囲なのか正確にはわからないけれど、少なくとも自認としては広いほうではないと思っていて、それならば知らない人が近くにいるということにストレスを覚えても、それはそうなのかもしれない。
「他人にくすぐられて笑ってしまうのは、本来ならば誰かに曝すことのない足の裏や脇腹といった敏感な部分への接触を許すほどに相手に心を開いていて、人間の弱点ともいうべきそれらの部位を曝しても自らにダメージがないことへの違和感から来るものである」という話を思い出していた。真偽のほどは定かではない。というか、心を許していない知らない相手にくすぐられる機会などほとんどありもしないので、自らの経験からは対照実験の結果が得られない。それでも、知らない相手に接近を許すことはあまり尋常な状態ではないように思えて、なればこそ実際の重さ以上に貸した肩が強張ってしまうのも道理であるのだと、そういうことを考えた帰路だった。
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