日記:好きだったもの

しばらく忙しそう(最近は割とずっとそうだが)なのでやりたいことが積み重なっていく。ゲームはアーマードコア6の2周目を進めたいしポケモンのDLCもやりたいしFateの新作ももう出る。勧められて買ったFF6もやりたいし、評判を耳にして買ったパラノマサイトもやりたいし、そういえばずっと積んでいる十三機兵防衛圏とかNEEDY GIRL OVERDOSEとかもやりたいし、未知のゲームにも触れたい。スマホゲームもストーリーを進めなければ。

映画は、『アリスとテレスのまぼろし工場』が評判を聞く限りなんとなくよさそうなので観に行きたいし、『君たちはどう生きるか』ももう1回くらい観たい感じがある。他にも観たい映画があったはずなのだが忘れてしまった。最近は休日も何かと用事があるのであまり映画館に足が向いていない気がする。休日は長く寝ていたいし……。

本は……最近は本を全然読めていない。読みたい本がすぐには思いつかないくらいには読んでいない。Audibleで小説の朗読を聞いてはいるが(西尾維新『怪盗フラヌールの巡回』を聴いている。面白い)、しかし「本」という存在から徐々に自分の感覚が離れていっているのではないかという危懼がある。別に悪いことではないのかもしれないけれど、しかしかつて自分が好きだったし「救われた」と思ってすらいた存在から、いまの自分が乖離しているという事実は、なかなか受け止めづらいものがある。

昔好きだったものをずっと好きでい続けることなんてないのかもしれない。でもそんな現実が過去の自分を、ひいては自分の根源を否定しているような気がして恐ろしく思える。人は変わるものだし、変化を受け入れなければそれは停滞であり老いであり、緩やかに死んでいくだけなのだと言われたら、それはそうなのかもしれない。ただ自分は恐怖から消極的に停止しているだけなのだから、それが正しいはずもない。

思い出をすべて抱えて生きてはいけない。それでも、何かを失ってしまうことが怖くて、けれど昔のような純粋さなどとうに忘れて、何色でもない曖昧な存在がいまの自分なのかもしれない。過去にも未来にも進めず、さりとて現在に居場所もない。私の心はどこにある?

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