日記:書を得よ、街に出よう
自分の日記を読み返すと、動きのない日々を送っているなあと思う。基本は曖昧な思考のなぞりやアニメ等の感想に終始している。偶に出かけるのは映画くらい。あまり外に出づらいという環境はあるけれど、健康維持のための散歩くらいはしたっていいと思う。
しかしどうにも散歩そのものを目的としてしまうと身体が動かない。何かついでの用事のようなものがあれば良いのだけれど。
こういうのはどうか。最寄りの書店まで歩いていき、一冊の本を買ってくる。それを読み終わったら、また書店へと出かけるのだ。書店はローテーションしても良い。確か、漫画家の今井哲也先生がそのようなことをしていたとツイートしていた覚えがある。
これには一つ問題があって、今の自分の部屋には未読の本が山積みになっているし、kindleの中にも同じくらいの本が未読のままになっている。そんな状況で、何が本を買いに行く、か。本の神に間違いなく天罰を下される。
知らん知らん!!俺は本を買いに行くぞ!ついでに散歩もするぞ!!
そのうちしようかな……。最近暑いけれど……。知らない本屋を開拓するのも面白そうだ。本を買うという目的のために外に出るのはなんだか楽しそうではある。
オモコロに積読の記事が載っていた気がする。みんな積読してるっぽいな……。
じゃあいっか……。
こういう計画ばかり立てている気がする。実行に移さないままペンディングになっているものがいくつもあるような……。リングフィットアドベンチャーしようと言っておきながら結局やっていないし。創作の練習がしたいなあと思って少しだけやった匿名小説トレーニングとかショートショートnoteも結局続いていないし。週に一冊本を読んで感想を書くとか、毎日読書をする、みたいな目標を設定した気がするけれども全然できていない。
嫌だなあ。何もできない自分が。せめて日記は続けようという微かな矜持が辛うじて自分の精神を繋ぎ止めている。それだって結局何のためにやっているのかと聞かれれば、単に自己満足に過ぎないのだけれど。
でもさ、人生ってつまるところ自己満足みたいなところもあるじゃん?
じゃあいっか……。
計画とは目的を達成するためにあるべきで(そうでない計画はえてして形骸化したものになる)、じゃあ自分にとっての目的がなんなのかと言われると、答えに窮してしまう。自分というものがないのだ。何がしたいのか自分でもわからない。
勿論、短期的な欲求を挙げればキリがない。美味しいご飯を食べたいし、1秒でも長く眠っていたいし、ファッションに明るい訳ではないけれど好きな服があれば手に入れたくなるし、新しい本やゲームが発売されればつい買ってしまうし、人に褒められたいし、できるだけ健康でいたい。
でも、それらが満たされ続ける人生が自分の望むものなのかと自らに問うてみると、そこに幸福がないように思えてしまう。上のような欲求が不自由なく叶う人生は素晴らしいものだと思うし、そんな時間を続けていきたいと願っている。それと同時に、そこに人生の目標はあるのだろうかという不安が胸をついて離れない。そうした欲求が、死ぬまで永劫叶え続けられるわけではないという思考によって、不安は生まれるのかもしれない。
上の欲求とは違う位相に、それは存在しているのかもしれない。欲求と連関してはいるが、同一ではない。それがどこにあるのかわからないけれど、それがあると信じて探しながら生きている。そのためにも、自分にない思考の枠組みを得るための手段として本は読まなければならないなと思う。本に限らないけれど、いろんな視点に触れていきたいと思う。
今になって自分探しなんて遅すぎる気はするし、それが見つかったからと言ってどうなるのかという疑問はないではない。それでもまず己を知るということは損になるということはないかなとは思う。
じゃあいっか……。
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