20241011_人との距離
最近、引越しをした。これまではずっと実家で暮らしていたものだから、はじめての一人暮らしになる。生活の裁量をこれまでよりも大きく明け渡されることについては、不慣れな部分が多いものの、それなりに楽しくは過ごせている気がする。
最初の数日は、旅行に来たときのように浮き足だっていたけれど、そんな感情も仕事と生活の波に飲まれていたらいつしか淡く薄らいでいった。非日常が日常に変わるまでの僅かな時間は、あれはあれで貴重だったなと思う。またしばらくは(ともすると二度と)味わうことはないのかもしれない。
いまのところ、私の部屋には洗濯機がない。そのうち選びに行こうと思っているのだが、あまり時間に余裕がなくて後回しになっている。それまでの間は近くのコインランドリーへと通う日々だ。洗濯物が溜まってきたら、仕事が終わって帰宅してから回しにいく。私の生活リズム的にはほとんどが深夜になるのだが、いまだに深夜の外出には心が弾んでしまうのを抑えられない。これにもいつかは慣れていくのだろうか。
最近はキャッシュレス決済に対応しているものもあるようだけれど、近所のコインランドリーはその名の通りコインのみに対応している。日常の経済活動をほとんどスマートフォンですませてしまう私にとっては、滅多にない現金の出番なのだが、普段はなかなか財布の中身を意識しない。それでも紙幣は何枚か入っていた記憶があったし、コインランドリーには両替機も設置されているので、問題はなかろうと洗濯物を担いで出かけた。
しかし到着してみると、両替機が故障していたようで、そして財布の中には料金ぶんの硬貨も入っていない。さてはてどうしたものかと数瞬のあいだ思考し、近くのコンビニで何かを購入して、そのお釣りで用立てようと思いついた。ちょうど、明日の朝に食べるパンも買っておきたかったところだし。
だが問題がひとつあった。私は洗濯と乾燥をまとめて実施してくれる機械を利用しようと思っていたのだけれど、それはそれなりに料金がかかり、1000円ぶんをコインで投入する必要があるのだった。お釣りで硬貨をもらうとすると、どうしたって900円ぶんまでしか手に入らない。そこで私がどうしたのかというと、パンと水を手に取り、店員の方にお願いして支払いを2回に分けてもらうことにした。店員の方は快く応じてくださり、まとまった硬貨を手に入れることに成功した私は、無事にコインランドリーを回すことができたのだった。
なんだそれは、わざわざ太字を使ってまで書くことか、と思うかもしれない。しかしこれが私にとっては大きな一歩であるように感じられた。
私は人見知りである。コンビニもほとんどセルフレジを利用するし、外食の際も機械で食券を購入できるチェーン店を好む。お店で欲しい商品があったとしても自力で探すし、店員さんに訊く前に諦める。人との会話がわずかでも発生すると思うと、とても怖くなってしまう。気の置けない友人であれば別だけれど、そこまでの距離がとても長く、だからほとんどの相手に対してはコミュニケーションが発生するたびに緊張している。
だから、硬貨が必要になる状況下で、私は普通ならコンビニではなく自販機を探したのだと思う。それなら支払いが何度行われようが、気にする人はいないのだから。しかしその選択肢に思い至ったのはコンビニを出た後だった。なんとなく、自分の心の中で、人と関わることへのコストが下がってきているのかもしれない、と思った。だから、店員の方にお願いしよう、という発想に最初に辿り着いたのかもしれない。
私は人を頼るのが苦手だ。だから、人とコミュニケーションをとればすぐに解決する問題でも、しばらく先延ばしにしてしまうことが多かった。流石に仕事ではそうも言っていられなかったので、社会人生活の中で人を頼らなければならなかったわけだけれど、その順応の中で私はようやく人を頼ることを少しずつ行えるようになってきたのかもしれない。それは嬉しい変化のようにも思えるし、同時に少し恐ろしくも感じる。
人は一人では生きていけない。でも、できるだけ、他の人の邪魔にならないように生きていきたいと思う。誰かの場所を奪ってまで存在していたくはない。
それでもやはり、生きることは他の誰かから何かを奪っていくことであるのだと思う。一人で暮らしていたとしても、いや一人で暮らしているからこそ、何かの力を得なくては生活が成り立たない。もちろん、負担に対して対価が発生し、価値を交換していくことで社会は成り立っているのだと思うけれど、しかし私は誰かの負担の上に生かされているのだということを忘れたくはない。奪う、というのはいささか露悪的であるけれど、しかしそのことに無自覚でいたくはない。
自分は恵まれていて、助けてくれる人が周りにたくさんいて、だからこれまでなんとか生きてこれたような気がする。その中できっと無自覚に踏みつけにしてきたものがたくさんあるのだと思う。たくさんのものをもらってきたから、いつか何かを返せる人になりたいと思っているのだけれど、いまは自分一人の生活を支えるのも覚束ない状態なので、改めて自分は周囲の人の支えられて生きているのだなと思う。
コインランドリーから取り出した衣料が暖かい。少し涼しくなってきた季節だから、その温もりを一層ありがたく思った。冬が来る頃には、洗濯機も買えているだろうか。ちなみに我が家には冷蔵庫もない。頑張って生きていきます。
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