日記:終わらない積み石
西瓜を食べた。
食に関しての日常の範疇における好き嫌いはあまりないのだけれど、苦手な食べ物というものはある。「食べづらいもの」である。理由は不器用だからというのと、面倒だから。焼き魚は骨を外すのが困難だし、蟹は殻から身を摘出するのが面倒だ。そして西瓜は、種を躱したりあとから吐き出すひと手間が煩わしく思えてしまう。そういうことを思ってしまうので、自分には季節の食べ物を楽しもうという風情が欠けている気がする。
西瓜を食べた。おいしかった。塩をかけるとさらに。
夏の味がした。といっても、自分は上述の理由で昔は西瓜を避けていたので、自分の記憶の中にある夏ではない。なんとなく、大衆的な夏の表象としての西瓜を食べたことで、人々の間で抽象的に共有されているであろう夏のイメージが味蕾からエミュレートされた。誰かの夏を味わっていた。
『月姫 -A piece of blue glass moon-』が届いたので始めました。ネタバレはしないけど、しないと言え何らかの所感を述べることには違いないのでそこに気を使う方はご注意いただけると幸いです。
写真はあまり関係ないですけど以前TYPE-MOON展に行った際のきのこ像と、再訪した際の不在の掲示(撮影OKゾーン)。
自分が原作の同人版をプレイしたのはそれなりに最近で(といっても2,3年前だけれど)、リアルタイムでその熱狂の渦中にあった人々と比べると熱量としてはそこまで高くないのだと思う。昨年末にリメイクの発売が発表された際も、TYPE-MOON作品のファンとして嬉しくはあったものの、飛び上がるほどの衝撃があったわけではない。しかし全くの新規プレイヤーでもない。
そんなどちらつかずの状態で進めている。めちゃめちゃ楽しい。しばらくはこの作品にかかりきりになってしまいそうである。
問題は、ニンテンドースイッチでプレイしているので、日課のリングフィットアドベンチャーと競合が発生するという点である。どちらもダウンロード版ではなく物理媒体で購入したため、ゲームを切り替えるたびにカードを差し替える必要がある。面倒と言えば面倒であるが仕方ない。流石にその手間を惜しんでダウンロード版を別途購入するほど懐に余裕があるわけでもない。
しかし思えば、ゲームソフトを一つ購入するのに熟慮と選択を重ねていた子供の頃と比べると、買ったものの遊ばないまま積んでしまっているゲームが多数あるような今の状態は相当の贅沢に映る。積んでいるゲームは「セールしていたので購入した」「ほしいと思ったときには手が購入ボタンを押していた」などの理由でダウンロード版が多く、物理媒体と違ってその蓄積が目に見えないというのも数多く積んでしまう理由かもしれない。そういいながら、紙の本だって大量に積んでしまってはいるけれど。
ゲームも本もアニメも映画も他のなんだってそうだけれど、触れたいと思っている作品のリストは膨大に存在しているのだが、それに加えて次から次に新しい作品も生まれているため、恐らくこの積み作品を崩しきる日は永遠に来ない。それはそれで幸福な悩みとも言えるが、しかし望むものすべてを手にすることができないというのは自己の中に欠落を許容することであり、それが我慢できないと言えば我慢できない。欲望が湧いてくるのは否定することができない。よりよい場所を望むのは、人間の本性であるからだ。
人生とは、決して終わりにたどり着くことなくたくさんのものを積み上げ続けていくものなのかもしれない。新しく積まれ続けるその塔を崩し切ることはできない。そんな人生は悲劇だろうか。
それはそれとして、賽の河原で積むのが石ではなくゲームだったらいいのに、と思った。ゲームを積んでは崩す。崩したら、また新たなゲームを積んで崩す。ただ繰り返すだけの幸福。
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