新年!
この世を生き抜くためのものを私は持っていない。
死を躊躇うものがないことは、悔しい、
死を躊躇うためにあってほしいものがないと再認識させられて、苦しい。
こういうのも、フラッシュバックというのだろうか。
母と2人なら、うまくやれた。幸せになれたんじゃないか。
こんなことを今更思ったってもう、もうあの頃の自分も、母を大切に思っていた自分も、母が大切にしようとしていたはずの自分も何もないのに。
私は逃げた。
これは、懺悔だ。
だから酒にも何にも逃げずただ苦しさと向き合わなくてはならない。ただ申し訳ないと、どうすることもできなくてごめんねと。意味のない涙をこぼしながら、小学生の自分にできることなんてなにもないと、こんなことを考えるのは無意味だと、無意味な苦しさと向き合わなければならない、定期的に襲ってくる苦しみと向き合っている自分の律儀さがまた苦しい
どうしようもない。
こういうのを、心がもっていかれるという。
私が名付けた。
苦しみは大抵、息を止めるような形でというかなんというか呼吸をしてただ時間がさるのを待つのが1番いい。
呼吸が大事。考えずに去るのをまつ。
無理な時がある。それがいま。
苦しくてたまらない。
持つべきではない罪悪感に押し潰されて、申し訳ない申し訳ないと泣く。
何をしたって幸せになる方法なんてないのに。
わたしは虐待されていたのに。そうだと認められない。つらい。
何も無くなってしまうじゃないか!と怒り出しそうになる。誰に?誰にも怒りなんてぶつけられないけど。
中学のとき、友達の家の玄関でおにぎりを食べた。友達のお母さんが握ってくれた梅おにぎり。ありがたかったなあとか。
そういう人の優しさで生きているので、
なんか間違ってそうな、心配されそうなことはなるべくしたくないし、いまだに病んでいるとか過去に囚われているとか申し訳なくて泣いているとか、常に死にたいとか、バレたくない。
苦しくて苦しくてたまらない。
お酒に逃げれるほどの肝臓がない。
寂しい。この底抜けの穴のような孤独感。
誰にも見せられない。
死ねないから生きているだけで生きたいとは思っていない。
楽になりたいけど誰かに迷惑をかけたくもない。
生まれてきたくなかった。間違っている、なにもかもがまちがっている。
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