こんなところに居たのに
サブスク全盛期のこの世の中で、久しぶりに音楽アルバムを買った。クリープハイプ、「こんなところに居たのか、やっと見つけたよ」。
私自身はずっと昔からクリープハイプのファンだ。でも、クリープハイプは人気だ。悔しいくらいに。「私だけが知っている」なんてのはとっくに何十歩も飛び越えている。いつもファンが多すぎると感じて鬱陶しくなる。好きすぎて面倒くさいファンに自分がなっているなんてことは百も承知だ。
そんな中、クリープが出るからと取った夏フェス、雷で中止になった。その次の対バンライブも、中止になった。2回もおあずけを食わされて絶望した。尾崎世界観のサイン会、ウキウキで応募した。外れた。ふざけるな、と思った。Twitterで流れてきたサイン会レポートに絶望した。絶望して、死にたくなった。
もう、クリープハイプから私は見えていない。あんなに大きなステージで、米粒のような私の顔は、見えていない。こちらからステージに立つ彼ら4人の表情さえよく見えないというのに、同じ距離でかつ無数に並ぶ顔のうちのひとつの私の顔なんて、より見えるわけがないと思った。
そのとき、クリープハイプが披露したのは、「天の声」だった。こんなところに居たのか、やっと見つけたよ。
その言葉は、私の気持ち悪い捻じ曲がったもはや愛ともわからなくなったような好きの気持ちを突如スッと肯定してくれた。あの会場には何万人もいたのに、この曲は私に向けて歌っていると感じられた。事実そんなことはなくても、絶対にあれは私に向かって歌われていた。きっと、そう思った人は何万人もいたのだろうけど。クリープハイプは、私を見ていた。
そんな「天の声」が収録されたアルバム「こんなところに居たのか、やっと見つけたよ」。
1曲め、「ままごと」。
曲の入りを聴いたとき、ふと「2LDK」がよぎった。
「それともわたし?っていうかたわし」とか「かわいいままごと ごとまるごと」とか、相変わらず日本語が絡まりあって耳を気持ちよく弄んでくれる感じに、やっぱり尾崎世界観の書く歌詞の面白さを感じる。
2曲め、「人と人と人と人」。
サビの「暑い寒いぬるい涼しい」の部分で階段をあがっていくように感じるところが好きだ。あ、階段じゃなくてエスカレーターか。
3曲め、「青梅」。
クリープハイプは、「エロ」「ラブホテル」と、夏がテーマの人気曲が多く、夏になるとなぜか無性に聴きたくなるバンドである。全然さわやかじゃないけど。「青梅」もその一つである。「酸っぱい顔」ってどんな顔?
4曲め、「生レバ」。
こーれは衝撃的だった。カッコ良すぎる。この一言に尽きる。ただでさえ乏しい語彙力も飛ぶ。
まず、歌詞の意味が分からない。なんでそんなずっと生レバ食べたいんかもわからんし、「サッと炙って焼いた」のはもはや「生」レバではない。
クリープハイプの曲は「歌詞の良さ」を語られることが多く(もちろんそれ以外も最高だが)、尾崎世界観の書く「歌詞の良さ」を武器として戦ってきたイメージがある。しかし、この「生レバ」ではそれを捨てひたすらに音楽でぶん殴ってきた。クリープハイプは音だけでも十分戦えるのだ。
サビの部分をなんと歌っているのか、ファンの間では議論がなされたが、公開された歌詞には文字がなく、より謎が深まった。「ダ」6割、「バ」2割、「ガ」1割で、あと1割はその時の気分で歌っている、というのが真相だそうだが、私には「ダレダレダレダレダレ」にしか聞こえない。人によって聞こえ方も違うのだろうか。とても変で、面白い楽曲だと思う。
また、長谷川カオナシの奏でるベースの重厚感がすごい。ドロドロと渦巻いているような不安感を煽るような音で中毒性があり、歌詞にも音にもクセになる一曲である。
5曲め、「I」。
2020年にリリースした「どうせ、愛だ」を元に新たに解釈してリリースした曲である。「好きで好きで好きで好きで一秒でいいから会いたい」の歌詞に切実さが溢れている。私は尾崎世界観の、語彙を操って描く細やかな歌詞も好きだが、想いを表現するときの不器用なほどにド直球な歌詞が好きだ。この歌詞の他にも「百八円の恋」の「居たい居たい居たい居たい」や「君の部屋」の「僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上はやっぱりあなたで出来てた」のように、何度も何度も繰り返して相手に気持ちをぶつけるところが人間味に溢れていて好きだ。巧みな歌詞表現が出来る尾崎世界観があえてド直球でストレートな愛をぶつけてきたとき、あっさり私の胸は打たれてしまう。私は馬鹿だ。でも、クリープを聴けるなら、私は馬鹿でいい。
6曲め、「インタビュー」。
初めて聴いたときのイントロ、本当にクリープか疑った。いやイントロの時点で尾崎さんの声が入っているからクリープに間違いないけど、今までのクリープとは何か違うものを感じた。尾崎さんの歌声が優しくて、寄り添ってくれている気がする暖かい曲だ。
7曲め、「べつに有名人でもないのに」。
ゆっくりと流れていく川の流れのような雰囲気の曲だが、歌詞の意味が難しく、理解しようと思って繰り返し聴いているうちに、するっと心の寂しい隙間を埋めてくれている曲だ。
8曲め、「星にでも願ってろ」。
重い。軽快な曲のスピードに対して、歌詞が重い。愛が重すぎる。さすが長谷川カオナシ曲、といった独特のオーラを感じる曲だ。
愛と憎は表裏一体だということを「あの娘が幸せで居ますように でも孤独に寝てますように」という一言でサビで疾走するように歌い切ってしまうところに痺れた。
9曲め、「dmrks」。
このアルバムでの一番の個人的お気に入り曲だ。
ギターの音色がユニークでとにかく耳に残る。2番に入るとき、シャーンという鈴みたいな音が入っていたり、音がポヨンポヨンと跳ね回っていたり、聴いていて楽しい気分になる。相変わらず歌詞は暗くて、そこも抜け目なくクリープハイプである。
10曲め、「喉仏」。
歌詞の意味は分からないが、「グダグダになるようにブッダブッダ祈る」の部分が異様に好き。ブッダもこんな風に歌詞に登場するとは思ってないやろ。
11曲め、「本屋の」。
「ぶら下げた一冊は夜道を照らして光る」という歌詞、このアルバムの中で一番良い歌詞だと思う。
本屋で本を物色して、選んだ一冊を読むことを楽しみに家へ持って帰る。そのときの感情を表現しているのか。まるで小説の一節みたいだ。「こんなに明るいのにまた明日ホタル流れる」。「蛍の光」が流れて本屋は営業終了。早く、お店閉まっちゃうよ。店内を舞う蛍は、ぶら下げた一冊の紙袋の中に迷い込み、本ごと光って夜道を照らす。素敵。
12曲め、「センチメンタルママ」。
サビでのやさぐれ具合が最高。失恋直後に聴きたい。「手と手」で「君の他にはなんにも要らないよ」と歌っていたのに、この曲では「サケタバコオトコ全部いらないよ」と歌っている。その感じもおもしろいし、「ほっといて」じゃなくて「しばらくほっといて」なところもかわいい。
13曲め、「もうおしまいだよさようなら」。
「大丈夫」を彷彿とさせる前向きなメロディー。「泣かないで笑ってくれ 会いたくなったらまたおいで」から滲む優しさに安心する。
14曲め、「あと5秒」。5秒で飛ばせるとしても広告ってうざったくて、本編の邪魔でしかない。早く終われ、と思う。でも、自分が広告で、相手にとってそんな存在だったとしたら。考えたくない。
15曲め、「天の声」。
アルバムの最後を締めくくるにふさわしい、名曲。「カスみたいな朝」「バカみたいな曲で踊ってるしょうもない奴」「曲の中でぶっ殺すから」「いいからもう黙ってろよ」と、攻撃的で噛みつくような歌詞。私の好きなクリープハイプだ!これこれ!という感じでニヤニヤする。でも、その一方で「君は一人だけど 俺も一人だよって」「そのうち止むから ずっとずっと」と、聴いている人にはやっぱり優しくて、初めてこの曲を聴いたとき涙が出た。
「それなりに売れようとして「連れて行ってあげる」とか言ってたな」は「憂、燦々」、「それなりに売れようとして「桜散る」とか歌ってみる」は「栞」。「愛の標識」「ラブホテル」の歌詞を「一生に一度愛してるよ」に入れ込んだように、他の曲のフレーズを入れ込んでいるとファン的にはアツくなる。しかし、今回の入れ込みには、より覚悟が感じられるというか、今までの全ての曲を背負った15年目のクリープハイプの覚悟、これからも音楽でもっともっと売れてもっともっと食っていくんだという、売れたら忘れてしまうハングリー精神を抱え続けるクリープハイプの姿が見える気がする。
このアルバムの15曲たちから、新しいクリープハイプを見つけることができる。「クリープハイプ、こんな曲もできるのか、ちょっと見つけたよ」という感じである。でも多分ぜんぜん見つけきれてはいないからちょっと、である。悔しい。もっともっとクリープハイプを見つけたい。次のアルバムまで待てない。
歌詞を、音を、ひとつひとつ大事に受け止めて、ひたすらに聴く。気持ち悪い愛でも許してほしい。迷惑だったとしても、これは、私のクリープハイプに対する「濁りのない剥き出しの好き」だ。
きっと、クリープハイプは「私の方がクリープを分かってる」「俺よりクリープを好きなやつ見たことない」って、何万人、何十万人、何百万人、いずれは何億人もの人に思わせるのだろう。
ファンの一人一人は、生きている。それぞれの人生があって、クリープに支えられている。でも、どうしてもファンとしてまとめて、束ねて見られているのではと感じることもある。
でも、そんな気持ちも見つけてくれるのが、クリープなんだ。このアルバムを聴いて、私はそう思えた。そう思わせたのは、クリープハイプの曲の持つ力強さと、優しさのおかげだ。
ありがとう、クリープハイプ。
私はクリープハイプに出会えて、クリープハイプのファンで良かった。ここにきて、また思えるようになったよ。
こんなところに居たのに、見つけてくれてありがとう。