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浴衣だけは縫えた

 今から4年前、就活で面接したときの話。
 とある観光着物レンタル店の店長(当時60代位)の一言「あ、着物たためるのね」。
 それに対し私は「着付師をなめんじゃねーよ。てかあたしゃ中学生の頃からできるんでい!」と心の中で言い返し、そこから採用通知が来ても辞退しようと決めた。
 結果は「やっぱり(コロナ禍の)今はいい」と不採用だった。まったく、何のために求人してたんだか…。

 なぜ私がその頃から着物をたためたかというと、家庭科の授業で浴衣を縫って、そのときに覚えたから。ヘッダー写真中央のアヤメ柄の物がそれである。
 高校でも浴衣を縫わされた。「縫わされた」とは、家政科だったので和裁が必修だから。そのとき縫ったのが、写真右から2番目のアサガオ柄だった。
 また、今もやっているようだが「家庭科技術検定」という高校生向けの検定があり、和裁2級(私が受検した当時は浴衣を規定時間内で縫う)は卒業までに全員取得しなければならず、その練習用に1着、本番用にもう1着と縫った(写真左側の2枚)。

 ちなみに、上のファイルは現在の検定内容。浴衣は1級に変わっていることを、この記事を書くにあたり調べて知った。私の時代の1級は単の羽織だった。

 写真いちばん右の不思議な染めの浴衣は、20代の頃、フィジーで買った「スル」という、身に纏う長方形の布を反物の幅に裁ち、帯で隠れる所で接いで仕立てた物。目を凝らすと「FIJI」と染め抜かれている部分が左袖にある。

 浴衣一枚縫うだけでも、基本的な部位名や縫い方など覚えるわけで、その甲斐あって着付教室で最初に着物の部位名とたたみ方を覚える講義は何の苦労もなかった。
 それに私の母と祖母は当たり前に和裁していた世代。くけ台とか折りたたみ式のヘラ台がごく普通にあった家で育ったことも、今の私にいくらかは影響していると思う。

 さて、私には二十歳の娘がいるが、娘は裁縫がほとんどできない。
 娘の家庭科の授業は、中学では家庭科教諭の病気休職と産休が重なり、満足な実習ができなかった。高校は進学コースなうえにコロナ禍で、やはり授業時間はなきに等しかった。
 私が覚えてきたことを、次世代に伝えていきたい、教えておきたい気持はあるが、そもそも娘は違うことに興味を持っている。また、「服といえば既製服(この単語が通じるのも昭和生まれまでか?)」の現代には必要スキルではないので、母の価値観を押しつけるのもどうかなと。
 それより何より、私自身、今、浴衣を縫えと言われてももう忘れている。だからタイトルが過去形。
 少し悲しいけど、これも時代かな。

 …なんて思っていたら今年の夏、娘が着付をやってみたいと言い出し、かなり驚いた。それもいきなり他装である。理由はここでは割愛するが、娘の友人をモデルにし、このうちの一着で教えてみた。
 ちょっとした着付教室兼着物レンタル店(それも無料の!)のようで、私も楽しめた。
 この日以降、娘はやりたいと言ってこないが、30年以上積み重ねてきたことが報われた気がした。

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