トイストーリー4、おもちゃが納得して死ぬとき
トイストーリー4、賛否両論なのはわかる。
『ボニーがアンディとの約束を忘れてウッディを大事にしていない』
でもいくら「アンディと私たち」にとってはウッディが特別でも、何の事情も知らないボニー(5歳)に思い入れが薄く自分が作った先割れスプーンの方を可愛がってしまうのは仕方がないこと。
(アンディが、ではなく脚本が)ウッディをボニーにあげたのは、捨て猫を拾ってきて自分で飼えないからって他人に押し付けそれで“いいことをした”気分になっているのと本質は一緒だ。
ボニーがウッディに飽きるのが早すぎだとしても、他のおもちゃは大事にしているし、フォーキーが彼女にとって特別だ。アンディだってボー・ピープは妹に譲っているしラジコンカーやお絵描きボードは成長の過程で処分している。ボニーにとってのお絵描きボードはウッディなのかもしれない。
アンディは登場しないから彼の意見はわからないけど、健気で報われないウッディのために、この脚本に私たちは腹を立てている。
ボニーがずっとウッディや他のおもちゃを大事にしたとして、その先は?いつかボニーも大人になっておもちゃを卒業する。ウッディやおもちゃたちは他の誰かに譲られ…その次は?いつまで?どんどんぼろぼろになっていくおもちゃを何も事情を知らない子供に継承させ続けるのがトイストーリーのゴールなのか?
みんな、古着やハリーの毛布は被災者やアルバス側に立ってそりゃないでしょって非難するのにウッディには継承させる側の感情で考えてしまう。
ウッディたちはおもちゃだけど、これが擬人化された服だったら?古着を継承?貰った時は本人を目の前が、「大事にする」っていうだろうけど、思い入れはないし着ないものは着ないよね。ボニーの態度に(ボニーの脚本に)怒って、嫌いって言ってる人だって思い入れのないものは飽きたり捨てたりしているでしょう。
そもそも積み木とかほとんど壊れないおもちゃを継承するのはまだいいけど、ボロボロになって壊れていくおもちゃを継承するのはよくないよ。
だから3でゴミにされたおもちゃが焼却炉で恐怖と絶望の中で焼かれるんだというトラウマを子供たち(観客)に見せて、その罪悪感から「捨てられない」「誰かに寄付」が物を大事にすることみたいに解釈されて欲しくない。
アンディの思い出はアンディだけが背負うべきで、そのアンディとおもちゃがさよならする時が来たら、おもちゃたちは悲しんだり恐怖や絶望を感じたりするんじゃなく、納得し晴れやかな気持ちで天に召されてほしい。納得は何より優先する。
ぼろぼろになって荒野を彷徨っても、体が半分にちぎれてワタが出ても意識がある、生きてるなんて可哀想じゃないか。
だからトイストーリーのラストはウッディたちの心が天に召されて、地上に残った身体は動かないおもちゃになる魔女宅のジジとの別れみたいであって欲しかった。
おもちゃたちが「これで充分、ああ楽しかった」って納得した時にお迎えが来るの。納得せずまだ遊びたいおもちゃはそのまま続投するとして…間違っても意識があるまま焼却炉で焼かれたりカッターで粉砕されたりして、その直前の恐怖や絶望を感じることはあってはならないんだ。
別れや終わりは悲しいけどやさしい。
愛する人との別れは万人につらいけど、永遠に生きる方がずっと残酷だ。