知者たちの長官になったダニエルとクリスマスの関係【ダニエル書2章】【やさしい聖書のお話】
この「やさしい聖書のお話」シリーズ、毎回やさしくなくて長いですよね。
教会学校の「聖書のお話動画」の原稿を加筆訂正しているのだけど、動画ではカットした部分を全部こちらで公開しているので、正しくは「やさしい聖書のお話」の動画のために準備した「個人的聖書研究とその脱線的周辺」というべきかも。
では本題。
王からの難題
今日のお話は「ネブカドネツァル王が即位して二年目」のできごと。新バビロニアのネブカドネザル2世(在位:紀元前605~562年)の第2年なら紀元前604年です。
ただそうすると、紀元前597年に始まったネブカドネツァル王によるバビロン捕囚よりも昔になってしまう。「二年目」の意味はいろいろな説があって、学者たちにとっても難しいナゾであるようです。
とにかく、このときバビロンの社会をゆるがしかねない大事件が起きようとしていました。ネブカドネツァル王は、占い師、祈祷師、まじない師、賢者を呼び出して、こう命じたのです。
夢には「お告げ」的な意味があると考えられていました。創世記ではヨセフがファラオの夢の意味を解いているし、メソポタミアでは神官によって夢の意味を読むということが行われていたようです。
ただネブカドネツァル王は、
「こんな夢を見たのだが、どういう意味があるのか」じゃなくて、
「どんな夢だったかを当ててから、それがどういう意味か説明しろ」というのだから、無茶な話。算数のテストで「第1問。どんな問題かを当てて、その答えを書きなさい」なんてありえないよね。
賢者たちも「夢の内容を聞かせてください」「聞かずに意味を答えるなんて、人間にはムリです。神々でもなければ」と言ったのだけど、そうしたら、
バビロン崩壊の危機
古代エジプトでは時代によってはファラオでさえ神官たちに手こずったようだし、バビロンでも王にとって知者たちが邪魔になってきたので、一掃しようとしているのだろうか。
ただ、占いやまじないと科学が近かった時代のことだから、知者たちを皆殺しにするというのは、現代でいえば科学者や研究者、有識者や教職経験者を皆殺しにするようなもの。
突然だけど「学校なんかなくなればいい」と思ったことはあるかな。カンボジアを支配したポル・ポトは、学校をなくし、教師を殺し、本も捨てた。国から知識人をなくそうとしたのだ。字を書ける人、本を読める人は、知識人だからという理由で処刑。眼鏡をかけてるというだけで知識人だから処刑なんてこともした。結果、カンボジア人は教育を受けたことがなく文字も読めない人ばかりになっていった。知識がないから、肉体労働しかできない。農業をやってみても、農業だっていろいろな知識が必要だ。収穫量はどんどん減って、国中が飢えに苦しむようになった。
こうしてカンボジアは平等な国になった。みんなが平等に貧しく、平等に苦しむ国というのが、知者を失った国の末路だった。ポル・ポトの支配が終わって40年ほどになるけど、今もカンボジアはポル・ポト時代の影響が残っている。
バビロンのような超大国で知者が皆殺しになったら、この巨大な国はもたないだろう。その時、国民はどれほど苦しむことになるだろうか。
その頃のダニエル
ダニエルたちユダヤから来た少年たちも、王の宮廷に仕えたというのは、知者として訓練されていたということだ。それでダニエルと同僚たちも殺されることになった。
事情を知ったダニエルはどうしたかというと。
ちょ待っ!王に会って話してくるって、ダニエルめちゃ出世してる!
日本だって、ちょっと総理大臣に会いに行くなんてできるのは、あの人くらいでしょう。
まして超大国バビロンの専制君主にダニエルが会いに行けるというのがとんでもない話。しかもダニエル「時間をくれれれば、王様の夢を言い当てて、意味も説明する」って言っちゃったよ!
バビロンの王、イスラエルの神をたたえる
ダニエルは3人の仲間と合流、そしてこう祈った。
「他のバビロンの賢者と共に殺されることのないように、私たちをあわれんでください。王の夢の秘密を私たちに教えてください。」
すると主は、王の夢の秘密をダニエルにばらしたんだ。
それでダニエルは天の神をほめたたえた。
そしてダニエルは王のところに戻って言った。
そしてダニエルは、王が見た夢を言い当てて、そして夢の意味を教えた。
その内容は王とバビロンにとってけしてうれしいことではなかったけど、でも王は「あなたがこの秘密を明かすことができたからには、あなたたちの神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない」と言った。
「神々の神」ってのがすごい表現だよ。
「神々の主」なら、天照大神は日本の神々の主神とされるし、ゼウスはギリシャ神話の神々の主神、オーディンは北欧神話の神々の主神だ。でもこれは「神々の中で格上」でしかない。
「神々の神」ということは、「人間にとっての神」と同じ意味で「神々にとっての神」だよ。
ネブカドネツァルという名前には、バビロンの神「ナブー」が入っている。ナブーはバビロンの主神マルドゥクの息子だ。そんなネブカドネツァルが、ダニエルの神を「神々の神」と読んだ。「敗戦国ユダの神を、バビロンの2100柱の神々が礼拝する」だなんて、どれほど驚き感動したのだろうか。
ダニエル、バビロンの知者の長官に
バビロンの知者たちは王によって皆殺しにされるところだった。だからダニエルは「他のバビロンの賢者と共に殺されることのないように、私たちをあわれんでください」と祈った。言葉どおりなら「他のバビロンの賢者たちが皆殺しにされるとき、私たちだけは助けてください」という祈りだ。
でも主は「バビロンの賢者たちの命も救うし、ダニエルたちの命も救う」という応え方をしたんだ。
確かに私たちの神は「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」だ(エフェソ3:20)。今回はダニエルのうちに神の力が働いて、ダニエルが求めることをはるかに超えて祈りをかなえた。
ネブカドネツァル王はダニエルを、バビロン全州を治める地位につけたのとと同時に、バビロンの知者すべての上に立つ長官にした。占い師、祈祷師、まじない師、賢者など、バビロンの知識層や宗教者はすべてダニエルの部下になったんだ。
彼らも、王によって皆殺しにされるところをダニエルの神のおかげで助かったわけで。彼らは神々についての専門家でもあるからこそ、「ダニエルの神、ユダ王国の神は、とんでもない神だぞ」ということを事実として知ったんだ。
東の国の知者といえば!
ところで、ダニエルがバビロンの知者たちの皆殺しを防いで命を救ったことは、それから約600年後にひとつの意味を持った。
みんなは、ダニエルより後の時代に、バビロンがあった東の地方から、知者たちがユダヤにやってきたことを知っているよね。博士とか学者とか賢者とか呼ばれる人たちが、東から来たよね。
聖書の中で「東」と言ったら、それはメソポタミア地方だ。
「占星術の学者」はメソポタミアでは知者だ。だから日本では博士とか学者とか賢者などと訳される。
もしバビロンの「占い師、祈祷師、まじない師、賢者」が皆殺しから救われていなかったら、東の占星術の学者たちが赤ちゃんイエス様を訪ねることはなかった。
それでも救い主イエス様は生まれたし、救い主のおとずれをつげるあの星はイエス様がいるところで輝いただろう。けどもし東の知者たちが来なかったら、あかちゃんイエス様が「ひとつの星」と関係あるということが知られることはなかったことになる。ひとつの星が進み出るという預言が外れたことになってしまう。
「ヤコブ(イスラエル)からひとつの星が進み出る」といって、新しい王様の登場を預言されたのは、旧約聖書の民数記のできごとだけど、告げたのはイスラエルの預言者ではなく、メソポタミア人バラムというまじない師だった。
もしダニエルが王の夢を解かなかったら、知者たちは皆殺しにされ、イスラエルの王様の星のことも失伝(伝承などが伝えられなくなること)してしまって、イエス様のところへ東方から知者たちがやってくることはなかった。
民数記と、ダニエル書と、マタイによる福音書は、全然違う時代に書かれた。でも主が計画したことが、民数記で預言され、ダニエル書で守り伝えられて、マタイによる福音書で実現したんだ。
壮大だよね。
何度か言ってるけれど、聖書で預言されたことで「まだ実現していないこと」はあっても「間違っていたこと」というのは一つもないんだ。「ひとつの星」のことも、民数記→ダニエル書→マタイ福音書という長い長い時代のはてに実現した。
だから、「救い主イエス様が再び来る」という預言、主の計画も、実現しないわけがないって信じられるんだ。
8月にクリスマスの話をするとは思ってなかったけど、たぶんあとで、ダニエル書の9章を読むときにまたクリスマスの話をすると思うので、お楽しみに。
地上の権威は主による
話をちょっと戻すけど、ダニエルが主に祈り、主がダニエルに王の夢の秘密を知らせた時、ダニエルは賛美の祈りをささげた。
偉大なる新バビロニア帝国の王といえども、王というものは神が立て、また退けると聖書は言っている。
ネブカドネザル2世が王に即位したのは父のナボポラッサル王から王位をゆずられたからだ(ナボポラッサルはその後ほどなくして死去)。そしてナボポラッサルが新バビロニアを建国して王となったのは、戦争しまくったからだ。でもそれも神が王にしたんだって聖書は言ってるわけだ。(戦争で王になったのも神の計画だったということではないよ)
同じことは新約聖書にも書かれている。
「神に従う王や支配者なら」という条件はついてないよ。主を愛したダビデ王だって主に従わなかったことはあるし、そして彼が治めたイスラエルは主への罪のために分裂し消滅していった。
国のリーダーが神に従うかどうかに関係なく「神に由来しない権威はない」と聖書は言っているんだ。
ところで、日本のような民主主義国では、一番の権威は国民だ。政治家というのは、国民から「私たちの代表として政治をやってくれ」と頼まれているだけだ。これは日本国憲法で決めていることでもある。
だから、日本の政府や政治家が間違ったことをするならそれは彼らを選んでまかせた国民の責任だ。
ぼくたちが政治家を選ぶ時には、自分が「神に由来する権威」なんだということを、つまり神に対しても責任があるということを忘れちゃいけない。まだ18歳になっていない人も、選挙に参加する時が来た時にはこのことを思い出してほしい。
動画版はこちら
この内容は、2022年8月28日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、このページと動画の内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。
動画版は↓のリンクからごらんいただくことができます。