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感謝することは楽しい!【詩編92】【やさしい聖書のお話】

〔この内容は、布忠が教会学校リーダーとして作成している動画の原稿を再構成したものです。教会に来ている子供たちを対象にしているため、キリスト教の信仰に不案内な方には説明不足なところが多々あるかと思います。動画は以下のリンクからご覧いただけます。〕

安息日の礼拝で

今日(2021年10月31日)は、詩編92編です。
題名に「賛歌。歌。安息日に。」と書いてありますが、実際に安息日に神殿で主に向かってささげられていた歌です。朝のささげものの時に歌われたらしい。
ミシュナーという、これは聖書ではないけれど、聖書についての解説として古くから受け継がれているものの中に、神殿につかえるレビ族(祭司)が歌う詩編の記録があります。その中で、週の最後の日(土曜日の安息日礼拝)ではこの「安息日のための歌-詩編92編-」が歌われたことがわかります。

Mishnah Tamidの7章第4段落
The following is a list of each daily psalm that the Levites would recite in the Temple.
…On Shabbat they would recite the psalm beginning: “A psalm, a song for Shabbat day” (Psalms, chapter 92). This is interpreted as a psalm, a song for the future, for the day that will be entirely Shabbat and rest for everlasting life.

https://www.sefaria.org/Mishnah_Tamid.7?lang=bi

一週間の七日目、土曜日を、主は「聖なる日」と定めました。これが安息日で、イエス様もパウロたちも、安息日に会堂にいって教えたことが聖書に書いてあるよね。
今でもユダヤの人たちは、主が安息日だと決めた土曜日を大切にして主を礼拝しています。使徒たちなど最初のころのクリスチャンたちも、土曜日の安息日に主を礼拝して、それから日曜日にイエス様の復活を記念していました。

(「キリスト教の安息日は日曜日」という言い方をする人もいるけど、それは間違い。安息日は神様が定めたとおり土曜日のまま、イエス様が「安息日の次の日=日曜日」に復活したことを記念するのが日曜礼拝です。キリスト教でも、日曜日ではなく土曜日に礼拝をおこなっている教会もあります。)

ただ、"主を礼拝するときにささげる歌"ということでは、ぼくたちが日曜日の礼拝でささげる讃美歌と、安息日に神殿で主にささげられた詩編72編は、歌にこめられる気持ちは共通する部分があるのだろうと思う。

で、じゃあ、みんなはどの讃美歌を賛美するのが好きですか?

主に賛美の歌をささげるときの気持ち

日本バプテスト連盟の『新生讃美歌』や『バプテストユースソングブック』、新しいものではミクタムやノアの賛美歌集、最近だとヒルソングチャーチとか、長澤崇さんや中山有太さんの曲も人気ありますね。
新生讃美歌で682番まである曲のうち、千葉バプテスト教会の礼拝で2019年度からの2年半のあいだに礼拝で1回以上使われたのは約140曲。
2回使われたのは#176「主は豊かであったのに」や、#214「喜べや、たたえよや」など26曲。
一番多いのは3回で、#221「血しをしたたる主のみかしら」など、6曲でした。
このへんが、新生讃美歌の中で千葉バプテスト教会で人気のある曲ということになるのかな。
(のぶおリーダー調べ。「今月の賛美」で使われた曲は、4週でもちいても1回と数えています。毎週のように礼拝の最後に歌う頌栄は除いています)

では、礼拝で讃美歌を歌うとき、どんな気持ちですか?
音楽には力があるから、歌を歌うだけでも気持ちが盛り上がるということはあるよね。
でも讃美歌は主にささげるもの。「音楽として歌として歌うのが楽しい」というだけじゃなくて、「主にむかって歌うことを、喜び楽しむ」というものなんだ。

プレゼントって、もらうのもうれしいけど、あげるのも楽しいよね。
家族や友達へ。恋人がいる人は恋人へ。誕生日のプレゼントでも、何かのお土産でもいいけど、誰かにあげるものを選ぶのって楽しいよね。「これをあげたら、喜んでくれるかな」「面白がってくれるかな」って。

だれかに何かをプレゼントするのって、とても楽しい。
主に賛美をささげるとき、それくらい楽しめてる?

詩編92は「なんて楽しいことだろう」って始まるんだ。まず前半を読んでみよう。
今回の動画(このページ冒頭のリンク)でも、神様の名前が日本語訳で「主」になっているところは、「ヤハウェ」に直して読んでいます。

詩編92編(前半)

賛歌。歌。安息日に。
いかに楽しいことでしょう
主(ヤハウェ)に感謝をささげることは

いと高き神よ、御名をほめ歌い
朝ごとに、あなたの慈しみを
夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ
琴の調べに合わせて。

主(ヤハウェ)よ、あなたは
御業を喜び祝わせてくださいます。
わたしは御手の業を喜び歌います。
主(ヤハウェ)よ、御業はいかに大きく
御はからいはいかに深いことでしょう。
愚かな者はそれを知ることなく
無知な者はそれを悟ろうとしません。

楽しんでる人が最強

「楽しまなければならない」っていうんじゃないよ。「楽しまなければいけないから、楽しんでいるべきだから、楽しむ」なんていうのは楽しんでないよね。楽しむということは、自分から、心から楽しんでないと。

で、詩編92編は、主に感謝をささげることが楽しくて仕方ないといっている。神様に「ありがとう」を言えるのは、なんて楽しいんだろうって。

ぼくが子供の頃は、今みたいに誰でもいつでもファミレスで気軽に外食できる時代ではなかったけれど、ときどきでもお店屋さんで食事したとき、ぼくのお母さんはお店を出るときにいつも「ありがとう」って言ってたんだ。
ふつうはお店の人がお客さんに「ありがとうございました」っていうだけだよね。でもぼくのお母さんは、お客さんなのにお店に「ありがとう」っていう。
「だって、こんなにおいしかったんだよ」って。

同じお店で同じご飯を食べた時に、お店に「ありがとう」って言いたくなった人と、そうでもない人がいたら、どちらがそのお店での食事を楽しんだ人だろう。
実際に言葉に出して「ありがとう」って言えるかどうかは性格などもあると思うけど、お店へのありがとうの気持ちになる人と、そういう気持ちはなくただお店を出ていく人と、どちらが食事を楽しめただろうか。

子供の頃から勉強が大好きだった人がいました。
その子に友達が「おまえ、勉強ばっかりやってて、つまらないだろ」って言いました。
その子は友達に答えました「お前、勉強がきらいなのに学校に来るのつまらないだろ。ぼくは勉強が好きだから、どの授業もずっと楽しいんだぜ」

なんでもそうだけど、楽しんでる人のほうが幸せだし最強だよね。

神様にありがとうって言える人と、神様にありがとうって言おうとも思わなかったっていう人、神様と一緒にいることを楽しめているのはどちらだろう。
主に感謝することが楽しくて礼拝にいる人と、「楽しいとかそういうことじゃなくて、礼拝っていうのはしなきゃいけないものだから」と思って礼拝に来る人。どちらが幸せだろう。

ぼくたちは「主を礼拝することを喜ぶ礼拝者」だろうか、「礼拝に出席する出席者」だろうか。

ぼくが子供の頃、正直に言ってしまうと、礼拝というのは楽しくはなかった。つまらないとは思ってなかったかもしれないけど、楽しいとは思ってなかった。親が教会に行けっていうし、教会幼稚園のときの友達で別の小学校に行った子と教会で会えるから楽しい。「礼拝が終わったら友達と遊べるから」「夏休みのキャンプが楽しいから」というのはあるけど「礼拝が楽しいから」とは思ってなかったような気がする。

まわりの大人も、礼拝中はぜんぜん楽しそうじゃないように見えてました。
だからぼくは、教会に来てない友達を教会に誘えなかったんだよ。だって「楽しいから来てみて」って思えなかったから。

でも今は、主を礼拝すること、主に感謝することが、楽しいと思えるようになってきました。
「礼拝に行かなきゃいけないから」でもないし、ぼくはもう大人だから「親が行けっていうから」でもない。
「ぼくが主を礼拝したいから」礼拝に行くようになりました。

前半だけで長くなってしまいました。後半では、主への信頼が歌われていますが、これも主を喜び、主への感謝を楽しむ心によるものだと思います。
一週間のなかで一番大切な日の朝にこの歌を主に献げたんだ、ということを思いながら、後半も読んでみてください。

詩編92編(後半)

神に逆らう者が野の草のように茂り
悪を行う者が皆、花を咲かせるように見えても
永遠に滅ぼされてしまいます。
主(ヤハウェ)よ、あなたこそ、永遠に高くいます方。
主(ヤハウェ)よ、あなたに敵対する者は、必ず
あなたに敵対する者は、必ず滅び
悪を行う者は皆、散らされて行きます。
あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ
豊かな油を注ぎかけてくださることでしょう
わたしを陥れようとする者をこの目で見
悪人がわたしに逆らって立つのを
この耳で聞いているときにも。

神に従う人はなつめやしのように茂り
レバノンの杉のようにそびえます。
主(ヤハウェ)の家に植えられ
わたしたちの神の庭に茂ります。
白髪になってもなお実を結び
命に溢れ、いきいきとし
述べ伝えるでしょう
わたしの岩と頼む主(ヤハウェ)は正しい方
御もとには不正がない、と。

※ 本文中、勉強が好きな子のくだりは、芸人のロザン宇治原さんがYoutubeで語っていたエピソードをアレンジしました。

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