ちょっパウロ、裁判でそんな話してる場合か!【使徒言行録26章】【やさしい聖書のお話】
前回は、パウロがエルサレムで逮捕され、ユダヤ人の議会で裁判を受けたお話でした。
このエルサレムでの裁判は、議論でグダグダになってしまいました(それはパウロの作戦だったのだけど)。さらにパウロ暗殺計画が進んでいるという情報があったので、パウロを逮捕していたローマ軍の隊長はパウロをカイサリアという町に送りました。
で、カイサリアでもいろいろあったのだけど、全部だとたぶん今回のお話がすっごく長くなってしまうので要点だけ。
カイサリアでの裁判
パウロは裁判で「わたしは、ユダヤ人の律法にも、ローマの皇帝に対しても、何も悪いことをしていない。だから皇帝による裁判を受けることを求めます」と言ったんです。(25:8,11)
そして、ローマ帝国のユダヤ総督フェストゥスとか、総督のもとでユダヤを治めていたアグリッパ王(アグリッパ2世。ヘロデ大王の孫)などの前で、自分はイエスの証人として、あなたたちが悪魔から解放されて罪を赦されるために送られてきたと証言したんです(26:1-18)
裁判というのは、法律を破った人を国が訴える刑事裁判と、人と人がもめたときに「どっちが正しいか裁判で決めてもらおう」っていう民事裁判があります。どちらであっても、裁判では「自分が正しい!」ということを言わないといけない。
自分を守るために、たとえばやってないことを「やっただろ」と言われたらそれは違うとかね。
自分が奪われたものを回復するため、たとえば自分はあいつからこんなに被害を受けたのだからなんとかしてくれとかね。
なのにパウロは、救い主の話を話して聞かせたんです。
自分が正しいという話よりも、神である主の正しさを、
自分が何をしたかよりも、神である主が何をしたかを、
自分が裁判で助かるためよりも、総督や王が罪から助かるためのことを、
パウロは話したんです。
聞いた人たちの反応
そのために、フェストゥス総督からは、「お前は勉強のし過ぎで頭がおかしくなってる」と言われ(26:24)、アグリッパ王からは「こんな短い時間でわたしをキリスト信者にするつもりか」と言われたくらいです。(26:28)
それに対してパウロは、「今ここで自分の話を聞いた人が、自分のようになることが私の祈りなんだ」と答えました。
「ただ、自分のようにといっても、逮捕されて鎖につながれてるということは別ですけどね」なんて冗談を言って終わらせたのだから、もう余裕ですよ。(26:29)
パウロ、無駄だった?
でも、総督フェストゥスやアグリッパ2世がキリスト信者になったとは書かれていません。歴史的にも、この2人がクリスチャンになったという記録は見当たらないようです。
じゃあパウロが、裁判で助かるチャンスを無駄にしてまでキリストを伝えたのは意味がなかったんだろうか?
そんなことはない。
信仰っていうのは、聞くことから始まるんです。キリストを聞いたことがない人がキリストを信じることはない。
で、キリストについて聞くためには、誰かが伝えてくれないといけない。伝える人が来てくれないといけない。
パウロは、つかわされて、裁判で証した。
だからフェストゥス閣下やアグリッパ二世がキリストを聴くことができた。
彼らはこのときキリストを信じることはなかったけど、それは"この日この場所では"信じなかったというだけ。ある人がいつ救われるかは、パウロやぼくたち人間が決めることではなくて、主が計画していること。
だからパウロも手紙の中でこう書いている。
これは、ぼくたちも一緒です。ぼくたちもイエス様から「あの人に救いを伝える証人」に選ばれて、つかわされているんだってことを、知っておいてください。
それがどの人なのか、ぼくたちから聞いてもいつ信じるのかはわからなくても、それは絶対に無駄にならない、ぼくたちがしたこを主が無駄にしないんだってことを、知っておいてください。
パウロ、ネクストステージへ
この裁判は、あとでフェストゥス総督やアグリッパ王が
「パウロは死刑にされたり刑務所に入れられたりするようなことは何もしていなよな」
「皇帝に訴えるなんてことをしていなければ、このまま自由にされただろうに」
と話し合ったくらいでした。パウロの裁判だけを見れば、ここから先ローマ皇帝の裁判を受けに行くというのは無意味どころか危険でしかない。
それでもパウロは、ローマ皇帝の裁判を受けるために、いえ、ローマ皇帝にキリストを証しするために、ローマに向かうのです。それはまた来週に続きますが、パウロがイエス様に出会ってクリスチャンになったのも「異邦人や王たち」にキリストを伝える証人となるためだったと、イエス様自身が言っているのです(9:15)
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この内容は、教会学校動画の原稿に加筆して再構成したものです。
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