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イザヤ書40:4と天地創造
イザヤの預言
イザヤ書40章というと、3節の、キリストの先駆者として現れた洗礼者ヨハネについての預言が有名です。
呼びかける声がある。
主のために、荒れ野に道を備え
わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
ただ今回は、この続きの4節が気になりました。
谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。
けわしい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。
ヨルダン渓谷
洗礼者ヨハネが活動したのは、地理的にはヨルダン渓谷になります。
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ヨルダン渓谷はヨルダン地溝帯の一部で、北はガリラヤ湖から南は死海に達する約120㎞、幅15㎞である。さらに南はアラバの谷として、さらにアカバまで続く。
上記に引用したウィキペディアの記事のとおり、ヨルダン渓谷というのはヨルダン地溝帯の一部。
で、ヨルダン地溝帯というのはアフリカの大地溝帯の一部なわけです。
大地溝帯(だいちこうたい、グレート・リフト・バレー、Great Rift Valley)は、主にアフリカ大陸を南北に縦断する巨大な谷で、プレート境界の一つである。大地溝帯の谷は、幅35–100キロメートル、総延長は7000キロメートルにのぼる。正断層で地面が割れ、落差100メートルを超える急な崖が随所にある。
狭義の大地溝帯は、エチオピアを南北に走る高原地帯から、ズワイ湖、シャーラ湖、チャモ湖、トゥルカナ湖から、タンザニアへと至る。これは東リフト・バレーとも、発見者の英人探検家ジョン・ウォルター・グレゴリーにちなんで、グレゴリー・リフト・バレーとも呼ばれる。
東リフト・バレーは、エチオピアから北に続き、ジブチで紅海(紅海地溝帯)とアデン湾に分かれる、アファール三重点を形成し、紅海からシナイ半島、アカバ湾、ヨルダン渓谷を通り、陸上の最低点である死海(死海トランスフォーム断層)やガリラヤ湖(ヨルダン地溝帯)へと連なっている。
大地溝帯
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大地溝帯というのは、地下からマントルが上昇してきて、西のアフリカプレート、東のアラビアプレートとして広がっていく地帯です。
日本海溝などに太平洋プレートが沈み込んでいくのが日本付近の地震の一因ですが、この太平洋プレートは東太平洋海嶺から生まれてくる。
それと同じように、大地溝帯は地球の大地が創造される地点。
いわば大地溝帯は、天地創造の三日目でいう「地」が創造され続けている現地。
その北端がヨルダン渓谷であり、そこで洗礼者ヨハネが「主のために荒れ野に道をそなえよ」と呼ばわっていたわけです。
イザヤ40:4の成就とは
イザヤ40:3に出てくる谷、山、丘は、ヨルダン渓谷を含む大地溝帯で創造され続けている。
それが平らになる、平地になるということは?
天地創造の完成!ということじゃないかと。
仮に人類が何らかの方法でヨルダン渓谷を平らにしたとします。
でも地球がマントル対流を続ける限り、大地溝帯は年間2cmの速さ(遅さ)で広がり続けます。ヨルダン渓谷もやがては谷、山、丘の姿に戻ってしまうでしょう。
でも「水が一つ所に集まり、乾いたところが現れよ」と命じて地を創造した神が「谷、山、丘は平らになれ」と命じるなら、その平らな状態が最終形態となるでしょう(神が地に向かってあらたな形を命じない限り)。つまりは創世記で始まった天地創造の完成!
この、神の言葉によって平らにされた姿が、ヨハネの黙示録21:1-2の「新しい地」なのかなあ、とも思います。
その箇所には、新しい天と新しい地をヨハネが(啓示として)見たということ、創世記で創造された最初の天と地は去ったということが書かれています。
ただし、新しい天と新しい地の創造については書かれていなくて、(新しい)天から新しい都エルサレムが(新しい地へ)くだってくるのを見たということだけです。
天から下ってきた新しい都エルサレムというのが「新しい地」のこと?でもそれでは、新しい地である新しい都エルサレムがどこに「くだって来る」のをヨハネは見たのかということになりますよね。
イザヤ40:4の成就としての「新しい地」に、新しい都エルサレムが新しい天からくだって来る、というのはそれほど無茶な解釈ではないだろうと思うですが。
「学校の勉強なんて、大人になったら役に立たない」なんていう人もいます。「アフリカの大地溝帯が」なんていうのはその最たるものかもしれませんが、でも地学が聖書理解を助けるということもある、のかも?
パウロが難破したのも、地中海性気候について学んだ地理が聖書理解を助けるし。
しかし聖書は壮大すぎる。