神殿をささげる【エズラ記4-6章】【やさしい聖書のお話】
神殿工事は止まっていた
ペルシア帝国からエルサレムに帰ってきたユダヤ人たちが、主が命じた新年の礼拝をおこない、神殿の基礎工事を行ったことまで見てきました。
ところがその後、工事は止まってしまいました。妨害する人たちがいたのです。ユダ王国の人々がバビロンに強制移住させられたあと、ユダヤにやってきて住み着いた人たちのようです。
彼らはまず神殿工事に協力しようとしました。何かたくらんでいたのでしょうか。ところがユダヤ人たちが「わたしたちの神のための神殿はわたしたちが建てるのがキュロス王の命令です」と断った。
すると彼らは、具体的なことは書いてないけれどいろいろ嫌がらせをしたらしい。ユダの人々は、元気がくじかれてしまった。
さらに彼らは、ペルシア帝国のこの地方の責任者にお金を渡して味方につけ、神殿建築を中止させようとした。
さらには、キュロス2世のあと新しい王様の時代になると「ユダヤ人がエルサレムに城壁を作っている。完成したらペルシア帝国にさからって戦争を始めるぞ」と訴えたるほどになった。
それで新しい王はユダの地方の責任者に「工事を中止させろ。私が新しい命令を出すまで、エルサレムの都を再建させてはならない」と命令を送ったので、彼らは軍隊を使って神殿工事を中断させてしまった。
ユダヤ人はどうしただろう。
工事を止めに来た軍隊を相手に、武器で戦った?
王様のところにいって「信教の自由を守れ」と裁判を起こした?
どれも違う。なんか、ただあきらめていたらしい。というのは、主が預言者ハガイをとおして民にこう言ったんだ。
「板ではった家」というのは、現代の感覚では「貧しい家」と感じるかもしれません。でも板を切り出すことができるほどの大木が普通にあって、しかもそれを薄く加工する技術が必要。そしてイスラエルはあまり大きな木はそんなんになくて、神殿の建設でも木材はレバノンから杉を輸入していたくらいです。「自分たちは板ではった家」というのは、主の神殿を廃墟にしたまま自分たちの家だけ立派なものを建ててる、ということなのでしょう。
預言者ハガイは主の言葉を続けます。
働いても収穫が少ないのは、主の神殿を廃墟のままにしておいて、自分の家のことばかりがんばってるからだ、と。
主は必要を満たす
ところで主は、わたしたちができないことを無理やりやらせるようなブラックな神ではありません。
マタイ25章の有名な「タラントンのたとえ」で言えば、1タラントンもの大金をまかされたしもべがサボったことは裁かれましたが、2タラントンをまかせたしもべが5タラントンの働きをしなかったからといって裁くような神ではない。5タラントンの働きができる人に5タラントンをまかせ、2タラントンの働きができる人に2タラントンをまかせます。1タラントンをまかされた人は、1タラントンの働きができるのにサボったのが問題だっただけです。
モーセも、主から「エジプトに戻ってイスラエルを導き出せ」と命じられたときは、何の力もない逃亡中の老人でしかなかった。でも主が命じた働きのために必要なことは主がすべて与えました(奇跡をおこなう力を与えられ、しゃべりが苦手なモーセの代わりの交渉役として兄アロンがつかわされる等)
そして、神殿工事を軍隊に邪魔されたまま16年間も「主の神殿を再建するぞ」という心がくじかれた状態だったユダヤ人にも、主はただ「がんばれ」といっただけではありませんでした。
民が自分で自分を立ち上がらせることができないので、主が彼らの霊を奮い立たせたのです。それで彼らは、主の神殿を建てる作業を再開することができました。
人を創造して自由な意思を与えた主は、人を無理に動かすことはしませんから、「主の神殿を建てたい。でも立ち上がれない」という気持ちがあったからこそでしょう。私たちが「がんばりたいけどダメだ」というとき、主は私たちを助けてくれるのです。
記録
この地方の責任者たちはまた、ペルシアの王ダレイオスに「ユダのやつらが、勝手に工事を始めて、もうすぐ完成しそうです」と訴えた。
ただ、ユダの人々は責任者にこう言ったんだ。
「昔、私たちの先祖が天の神を怒らせたので、神はバビロンの王によってここにあった神殿を破壊させた。しかしキュロス王が神殿の再建を命じたのだ」と。
それでペルシア帝国に、キュロス2世が本当にそのように命令した記録があるか調べられた。
もちろん記録はあった。王の命令というのは法律と同じなので、記録がないほうがおかしい。映画「十戒」でも、ユル・ブリンナー演じるエジプトのファラオは何か命令を出すたびに「かくのごとく記録し、実行せよ」と宣言しています。
ダレイオス王は命令を出しました。
「工事の邪魔をするな、工事をさせろ、そのために必要なお金や材料を与えろ、キュロス王の命令にさからってエルサレムの神殿を破壊しようとする王や国がいるなら、エルサレムにご自分の名前を置いた神に滅ぼされるように」
神殿奉献
こうして神殿の工事は進められ、完成しました。
イスラエルの人々は、神殿を神様にささげる礼拝をおこなった。今でいう献堂式です。
そして、イスラエル12部族の罪がゆるされるために、12匹のヤギが祭壇で主にささげられました。前回、祭司が祭服を着たのは「ユダヤ人(ユダ族/ベニヤミン族)」だけでなく離れていった10部族を含めた全イスラエルのためだったという話をしましたが、ここでも12部族そろってこその「神の民イスラエル」であることが意識され、今はここにいない10部族のためにも罪のゆるしのためのささげものがささげられたのです。
そしてイスラエルで一番大事なお祭り、主がイスラエルをエジプトから救い出したことを記念する「過ぎ越しの祭り」も再開されました。
あのときは、主がファラオの心を頑固にして、イスラエルがエジプトを出ていくのを許可しなかった。ファラオが許可したからではなく、主が連れ出すからイスラエルはエジプトを出て行ったんだ。
今回も同じです。この時代のペルシア(アケメネス朝)は他の宗教を信じることにも心が広かったけれど、ユダヤ人が神殿の工事を始めたのはペルシア人やキュロス王の心が広かったからじゃないんです。
中断した工事を再開したのも、地方の責任者や軍隊がゆるしてくれたからではない。
ユダヤ人がペルシアの軍隊と戦って追い返したんじゃないし、ペルシアの裁判所にいって「信教の自由を守れ」と裁判したのでもない。
主がキュロス王の心を動かして神殿再建を命令させた。
そのあとでダレイオス王が、主がキュロス王の心を動かした記録に従って、「エルサレムに名前を置く神」の神殿を完成させろと命令した。
主が民の霊を奮い立たせて建設工事を進めさせた。
常に、主の主権が実現させるのです。
私たちがじゃない。王様や国や政府がじゃない。主が成し遂げる、主が実現するということを、おぼえておいてください。聖書には、主が成し遂げるとか、主が成し遂げたということが何十回も出て来ます。
ぼくたちは、主がやってくれるということを信じて進むだけでいいんです。
《動画版》
このnoteの内容は、2022年10月16日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。
また、このnoteの内容は完全に個人のものです。