人間は頭がいいのだろうか【ダニエル書12章】【やさしい聖書のお話】
「頭がいい」とは?
ある「頭がいい生き物ランキング」では、上位は次のようになっています。
1位、チンパンジー
2位、カラス
3位、イルカ
4位、ブタ
5位、ゾウ
6位、犬
まあ、この「1位」のさらに上に、人間がいることになるのだろうけど。
じゃあ、人間はどれくらい頭がいいんだろうね。中には超天才という人もいるけど、人間という生き物全体として、どれくらい頭がいい生き物なんだろう。
「頭がいい生き物ランキング」というのは実は何種類かあって、ブタはもう少し下だったり、オウムが上位に入ったりするものもある。ランキングの種類がいろいろあるのは、「頭がいいとはどういうことか」ということが何種類もあるんだろうね。
で、じゃあ人間が頭がいいとはどういうことなんだろう。
パスカルという学者は、「人間は生き物としてはとても弱いけれど、でも考えるということができるというところが他の生き物よりすぐれているんだ」と考えた。
もっと大昔のソクラテスという人は、「無知の知」という考え方をした。
「何でも知ってるという人」よりも、「自分は知らないことがある、ということを知っている人」のほうがすぐれているということだ。
では聖書は、人間のことをどう書いているだろう。
神様が人間を創造したときは、「神は御自分にかたどって人を創造された」て書いてある(創世記1:27新共同訳)
神様は目にはみえないけれど、でも神様をモデルとして、神様のかたちに作ったということだ。ということは、人間は神様と同じくらい頭がいいんだろうか。
もし人間が神様と同じくらい頭がいいなら、神様からの言葉である聖書を人間は全部わかるはず?
でも聖書には、人が神のようになることはできないということ、人が神のようになろうとするなら裁かれるということが書いてある。
人は神よりわずかに劣る者とも書かれているけれど、でもその「わずかに」というのが実際にはとんでもなくかけ離れてるんだ(詩編8編)。
聖書をわかったつもりになる人たち
今日はダニエル書を読んできた最終回で第12章なのだけど、昔ある人たちが「ダニエル書12章をちゃんと読んだら、キリストがもう一度来るのは1914年だとわかった」と教会で教えました。
ダニエル書12:7に「一時期、二時期、そして半時期」経つとすべてが実現すると書いてある。3年半というのは1260日だ(一応ツッコミ入れておくと、1年を365日で考えれば3年半なら1277日くらい。まあ当時はうるう月というのがあったけど)
ダニエル書4:20には「七つの時」と出てくるから、「一時期、二時期、半時期」あわせて三時期半の1260日を倍にして2520日だ(これもうるう月を考えなければ、7年なら2556日)
民数記14:34で40日を40年としているから、2520日は2520年だ。
バビロンに捕囚にされた紀元前607年から2520年後は、西暦1914年だ(バビロン捕囚は紀元前597年に始まって、最終回は578年とされる。紀元前607年に捕囚って、どの世界線?)
かなりむちゃくちゃだ。
そして実際に1914年にイエス様は来なかった。
すると彼らは「キリストは1914年に、見えない姿で来たんだ」と言い出した(聖書にははっきりと「イエス様が天に昇っていくのを弟子たちが見たのと同じようにまた来る」って書いてあるんだから(使徒1:11)、見えない姿で来るというのは間違ってるのだけど)
こんなふうに、この人たちは自分たちの教えを微妙に修正しながら、今も「聖書にこう書いてある」「聖書の神様がこう約束している」「私たちにだけ真理が明かされている」と言い続けている。
さっき「教会」といったけれど、実はこれ、キリスト教をもとに作ったべつの宗教の人たちが教えていることです。本人たちは「私たちこそ本物のキリスト教。ほかのキリスト教を名乗っている教会は全部間違ってる」と言ってるのだけどね。
それにしてもどうしてこんなめちゃくちゃな間違いをしたのだろうか。
イエス様がはっきり「その日がいつなのかは、神様であるイエス様自身も知らなくて、父である神様だけが知っている」と言ってるのだから、「その日がいつなのかわかった」と言った瞬間にもう間違ってるのにね。
たぶん「本物の信仰があって賢い私たちにはわかる」と思ってしまったんだろうと思う。そして、自分たちの考えにあわないことが書いてある箇所は、無視するか、「それは別の話で」という説明をでっち上げる。
┐(´д`)┌ヤレヤレ
聖書には、時が来るまでわからないことも書かれている
聖書は神様からぼくたちへのメッセージだから、「読んだらすぐわかるように書かれていること」もある。けれど、神様が決めたタイミングが来るまでは意味が明かされないことも書いてあるんだ。
預言なんかは特にそう。預言というのは啓示されたこと(神様が示したこと)という意味で、未来のことをあらかじめ知らせる内容のときもあれば、「いい加減に心を入れ替えないと、お前たちをさばかなければならない」という警告もあるし、「こうしなさい」という具体的な指示の場合もある。
神様からの、励ましたり力づけたりする言葉もあって、ぼくが預言者をとおして神様から告げられたときはそういう励ましの言葉だった。
ただ、未来のことが預言された場合というのは、あらかじめ「こういうことが起きるよ」と告げられても、その時には何のことだかわからない、そのできごとが実際に起きた時に「これ、預言されていたことじゃないか」ってわかることのほうが多いんだ。
イエス様の誕生もそうだった。
救い主の誕生はイザヤ書で「まだ結婚していない女の人が、男の子を生みます。その子は、『神がわたしたちと共に』という名で呼ばれます」て預言されている。でも当時の人たちは「はあ?」だっただろうね。科学的にいってそんなことありえなかった。でも実際に、マリアがまだヨセフと結婚する前に、イエス様はマリアから生まれたよね。
子供の頃に読んでもわからなかったことが、大人になったらわかるようになるということもある。
大人が読んでもわからないけど、年を取ったらわかるということもあるかもしれない。
ぼくは、大人になってもわからなかったけれど、結婚して子供ができてから読んだら意味がわかったってこともあったよ。
でも、誰が読んでも、どんなに頭がいい人でも、どんなに聖書を研究している人でも、どれほど信仰深い人でも、「神様が定めている時期」が来るまでは意味がしらされないことというのもあるんだ。
たとえば、「唯一の神様は、キリストであるイエス様と、父なる神様と、聖霊の神様だ」ということ(三位一体)は、旧約時代の人たちには知らされていなかった。イエス様の12弟子たちもわからなかった。
パウロは三位一体をだんだんわかっていった様子が、彼の手紙からはわかる。
そしてぼくたちは今こうして聖書を新約まで見渡して読むことができるから、神様が三位一体であることを聖書が知らせているとわかる。
そのように、今ぼくらの時代にもまだすべてが明かされたわけじゃない。イエス様も「言っておきたいことはまだたくさんあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」と言っている(ヨハネ16:12協会共同訳)。まだ「神様が決めている時期」が来ていないことは残っているんだ。
「わからない」を楽しもう
神様のことをもっと知りたいと思って聖書を一所懸命に読んでも、今はわからないことがあるというのは、がっかりするだろうか。ぼくなんかは「まだナゾが残されている」ということにワクワクしてしまうのだけど。
日本人てね、手品の楽しみ方が下手なんだって。
あるマジシャンがテレビで言ってたのだけど、仕掛けがわかるまで「もう一回!」てやるのは日本人ばかりなんだそうだ。見破れないと、手品師に負けた気分になるのかな。
手品って、手品師と客の知恵比べ勝負じゃなくて、「不思議だねぇ」「びっくりしたなぁ」を楽しむものだと思うんだよ。
聖書もそういうところがあるんだろうなって、思うんだ。「わからない」というのは、「わからないからダメ」ってことじゃないんだ。「今はまだわからない」というだけなんだよ。
わからないところは、「次に読んだらわかるかも」でいい。最後には天国ですべてをぼくたちは知ることになるんだから。
だから、あわてなくていい。わからないところは、わからないままでいい。少なくとも「聖書にこう書いてあることは、実は書いてある通りじゃなくてこういう意味だということにすれば」みたいに聖書の言葉をねじ曲げて受け取るよりは、わかる時が来るまでわからないままにしておいた方がいい。
ただ、神様をもっと知りたい、神様がぼくにどうあって欲しいと思っているのかを知りたい、という気持ちだけは、大事にしてください。
《動画版》
このnoteの内容は、2022年9月25日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。
また、このnoteの内容は完全に個人のものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?