見出し画像

信教の自由について聖書から考えてみた【ルカ19:41-44】【やさしい聖書のお話】

2023年2月5日の聖書のお話です。日本バプテスト連盟の『聖書教育』では建国記念の日を信教の自由を守る日と呼んでこのことを考えるようにうながしています。
なので今回の前半は建国記念の日について考えてみました。

先に言っておくけど、これはのぶおリーダーの意見だからね。意見には個人差があるからね。

2月11日は「建国記念の日」

2023年2月のカレンダーを見てがっかりした人もいるんじゃないかな。
2月11日は建国記念の日だけど土曜日。祝日が日曜日なら月曜日が振替休日になるけど、土曜日が祝日だと振替休日がないんだよね。

ところで、大人でも間違える人がいるけど「建国記念日」ではなくて「建国記念日」です。
日本の国は歴史が古すぎて、いつどうやってできたかわからないので「この日に国ができた記念日」といえないんだ。

国民が求めた「建国記念の日」

それでも日本人は、この国ができたことを記念する日がほしいと思った。
戦後、法律で祝日を決めるにあたって「どんな祝日があったらいいか」のアンケートが行われたのだけど。

政府広報オンラインより、「祝祭日に関する世論調査」の調査方法

結果、1位が新年、2位が天皇誕生日と続いて、5位が建国記念の日だった。

政府広報オンラインより、「祝祭日に関する世論調査」の調査結果の一部

10位に「国際親善の日(クリスマス)」が選ばれてるのに、祝日にならなかったのは残念だね。
4位の「平和を祈念する日」というのは、これはまだサンフランシスコ平和条約が結ばれる前、日本がまだ占領されていたときの調査で、「将来、平和条約が結ばれたら、その日を祝日に」という選択肢だったらしい。
9位の「国の為になくなった人を追憶する日」は、今だったら「戦死者をたたえるのは軍国主義だ!平和の敵だ!」て騒ぐ人もいるだろうけど、でも誰に強制されたのでもないこの調査で、新憲法で主権者とされた日本国民が、そういう祝日がほしいと願ったんだね。

私たち日本バプテスト連盟は「建国記念の日」という祝日に反対する立場です。
でも「建国記念の日がほしい」というのは、この国の主権者である国民の意見としてあらわされていたんだ。

それでも「建国記念の日」に反対するのには、大きく二つの理由があると思う。
ひとつは、建国を記念する日をつくること自体が問題だという意見。
ふたつめは、2月11日という日付けが問題だという意見だ。

天皇と皇室に由来するから問題?

建国記念の日が2月11日なのは、この日が「初代の天皇である神武天皇が即位した日」とされていて、その日を日本という国が建国された日として記念しようというものなんだ。
だから「神武天皇が即位したとされる日を建国記念の日とするのは、内心の自由の侵害だ、強制だ」というクリスチャンもいる。

でもそのわりには、ほかの祝日には反対しないんだ?
天皇誕生日はいいの?
「春分の日」は皇室の「春季皇霊祭」に由来するし、「秋分の日」は「秋季皇霊祭」が由来だ(でも春季皇霊祭、秋季皇霊祭は民間の「お彼岸」が皇室に入ったものだけど)
「海の日」は、明治天皇が軍艦に乗った日を記念している。
4月29日の「昭和の日」は昭和時代の天皇誕生日だし、
11月3日の「文化の日」は明治時代の天皇誕生日だ。
「元旦」だって、宮中行事の「四方拝」が由来なんだ。

こうしたことすべてに反対しているクリスチャンなら筋はとおってるけど、「建国記念の日だけ反対」というのはどういうことなのかなぁって、正直なところは思ってしまいます(個人の感想です)。

伝説にもとづくから問題?

繰り返しになるけど、2月11日という日付は、初代の天皇とされる神武天皇が、天皇に即位したとされる日だ。
これは「とされる」としかいいようがない。
歴史上、実在したのは第10代崇神(すじん)天皇からだろうとか、第15代応神(おうじん)天皇からだろうとか、いや実在したと確実にいえるのはもっとあとだろうなど諸説あるのだけど、神武天皇は実在しなかっただろうということは歴史学では定説になっている。
そして神武天皇が即位した日というのも、記録が残っているのではなくて、あとから「この日に即位したことにしよう」で決められた日なんだ。

つまり「現在の暦で2月11日にあたる日に、初代の神武天皇が即位した」というのはすべて伝説にもとづいているわけ。
だから問題だ、というクリスチャンたちがいるわけだけど(クリスチャンでない人でも問題視してる人はいるけど今はそっちの話じゃない)

それで何が問題なんだっけ?

クリスチャンは「キリストが生まれたとされる年」を元年とするキリスト紀元(西暦)を使ってるよね。実は計算が間違ってて、キリストが生まれたのはそれより数年昔だったというのが定説になってるのに。つまり西暦(キリスト紀元)は、歴史的にも、そしてキリスト教の宗教的にも、根拠がないんだ。A.D.というのももともとは「主の受肉(霊である神が肉体を持った)」紀元という意味だったのを、降誕年がずれてることがわかったので「主の年」紀元ということにしてごまかしたもの。だから「キリスト紀元の元年は何があった年ですか?」と聞かれたら「何もありません。何の根拠もありません」としか言いようがない。
そして言うまでもなく12月25日にキリストの降誕を祝う事にも、歴史的にもキリスト教の教え的にも何の根拠もない。

「神武天皇即位年」なんか伝説じゃないかというなら、キリスト教は伝説さえない無根拠なことをやってるわけ。

ところで、世界には「戦争して国を作った日」を建国の記念日にしている国がとても多い。
外国から平和的に独立した国もあるけど、アメリカのように、戦争して勝って独立したことを記念している国が多いんだ。キリスト教徒の国を含めてね。
イランのように、前の政府を倒した革命記念日を建国の日としている国もある。
そうした、武器を使って国を作ったという記念日のほうがいいというのだろうか。「建国記念の日に反対」と言っている人で「アメリカのクリスチャンは独立記念日に反対するべきだ」と言ってる人なんて、聞いたことないよね。

まあ、「神武天皇の東征」といって、神武天皇も戦争で九州から本州へ征服していったんだけどね。でも「神武天皇なんていうのは伝説上の人物だ」というなら、神武天皇の戦争も伝説上のできごとだよね。

戦争を予言するイエス様

ルカ19章でイエス様は、エルサレムが戦争になることをあらかじめ告げています。ロバに乗ってエルサレムの都に近づいたとき、泣きながらこう言いました。

「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

ルカによる福音書19:42-44(新共同訳)

敵の軍隊がエルサレムを取り巻いて攻め込んで、エルサレムの子ら(そこに住む人々)を殺し、都を破壊するというんだ。

世界の終わりの時にもう一度イエス様が来る前にも戦争があるから、その時にはエルサレムにいる人は都を出ろとも言っている(ルカによる福音書21: 21)。
でも今日の個所では、世界の終わりの時の戦争とは別のことを言ってるんだ。そしてそれは、この数十年後に実現する。ユダヤはローマから独立しようとして戦争を始めて、でも勝って独立して建国記念ということはできず、負けて滅ぼされたんだ。

  • 西暦66年、エルサレムで暴動。ローマ軍が出動しユダヤ軍を破ってエルサレムを攻囲。

  • 70年、エルサレムの都が陥落。神殿も炎上。

  • 73年、ユダヤ側のマサダ砦が陥落、終戦(ここまで第一次ユダヤ戦争)。

  • 132年、シメオンをメシアとしてローマに反乱(「バル・コクバの乱」または「第二次ユダヤ戦争」の始まり)。

  • 135年、ローマ軍がエルサレムを陥落。エルサレムは完全に廃墟に。皇帝ハドリアヌスが「属州ユダヤ」を「属州シリア・パレスチナ」に変更。ユダヤ人は世界中に散らされる。

イエス様が泣いているのは、「今日この日にエルサレムの人々が、平和への道をわかっていたなら避けられる戦争なのに。でもお前たちはわかっていなかったから、戦争を避けられず、たいへんなことになってしまう」という悲しみだった。
私がお前たちの王、お前たちのメシア、お前たちの救い主、お前たちの神なのに、それをお前たちはこれから十字架で殺すのだ。
王様を殺した国が、敵に勝てるわけがない。自分たちの神を殺した国が、自分たちの神々の加護を信じて戦う国に勝てるわけがない。

じゃあ、もしも人々がイエス様を殺さずに、「イエス様は自分たちユダヤ人の王様だ」と信じて従っていたら、ローマに滅ぼされてエルサレムが壊されるということはなかったんだろうか?
残念だけど、その「もしも」はありえない。神様はぼくたち人間に自由な心を与えていて、ぼくたちの心を無理やり変更するようなことはしないから。そして人々はイエスを殺すことを決めていた。その結果、戦争でエルサレムは破壊される。
「神様なんていうものが本当にいるなら、なぜ戦争が無くならないんだ」という人もいるけれど、その答えははっきりしてる。戦争が無くならないのは、人間が戦争をするからだ。神様のせいじゃなくて人間のせいなんだ。
終わりの時にイエス様が平和の王としてもう一度来る時まで、この世から戦争は無くならない。人間が戦争をやめないから。

それでもぼくたちは、平和を実現する人が幸いだと言われているし、平和を求め続けろと命じられている。イエス様が来るまで人間が戦争をやめられないからといって、ぼくたちは平和をあきらめてはいけないんだ。

平和と信教の自由がある日本

日本は70年以上も戦争をしていない平和な国です。
日本バプテスト連盟などでは建国記念の日を「信教の自由を守る日」と呼ぶけど、日本は信教の自由が守られている国だ(ぼくは子供の頃に、キリスト教だから、家が教会だからってからかわれたりイジメりしたけど、こんなのは迫害なんていえない)。

先週、「クリスチャンに対する迫害が最悪な国ランキング」が報道されたけど、去年は1位だったアフガニスタンが今年は9位になりました。
でも、アフガニスタンの状況がよくなってきたわけじゃないんだ。
クリスチャンたちはみんな、外国に逃げるか、隠れるか、クリスチャンであることを秘密にするか、あるいはすでに殺されてしまったからなんだ。迫害が収まってきたんじゃなくて、迫害される人がいなくなってきたんだよ。
そんなこともあって、この調査をしている団体は、この一年は過去30年間で最悪の迫害の年だったと言ってる。

クリスチャントゥデイの2023年2月17日の記事より

でも日本では、クリスチャンだからって殺されたり、外国に逃げなければならなくなった人はいない。
欧米先進国では「私たちはキリスト教の国だ」といってイスラム教やユダヤ教を迫害する人が多い国もあるけど、日本では(社会的に問題になってる宗教を別にすれば)あの宗教の信者は迫害してよいなんていうことにはなっていない。

ただ、今は日本は大丈夫だとしても、イエス様は「わたしを信じることであなたたちは迫害される」と予告している。
だから、迫害が始まってもイエス様を信じ続けられるように、聖書をしっかり読んで準備しなきゃいけない。まだ迫害されてもいないうちから「迫害しないで!迫害されたらイエス様を信じ続けられなくなる!」なんて言ってる余裕はないと思うんだ。

でも大丈夫。イエス様のために迫害されるときあなたたちは幸せだってイエス様がいってるし、イエス様のために命を捨てるなら逆に命を得ることになるってはっきり約束されてるから。
だから、もし聖書と違うことを言われても、ぼくたちは聖書の言葉を手放さないようにしよう。

動画版のご案内

このnoteの内容は、2023年2月5日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


いいなと思ったら応援しよう!