キリストの弟子たち/癒しの奇跡【クリスチャンは聖書をこう読んでいる #14】テキスト版
布忠がお届けする「でもクリ×聖書」です。
このラジオでは「聖書にはこんなことが書いてあって、それをクリスチャンはこういうふうに読んでるんだよ」ということを語っています。
専門家でもないふつうのクリスチャンの読み方なので、「こういうクリスチャンもいるんだな」くらいに、気楽に聴いてください。
今回はマタイの福音書4章18節からです。
Youtubeに動画版もあげています。"ながら聞き"できるように語ってるつもりなので、ご多用の方はこちらをどうぞ。
ペトロとアンデレ
前回の最後が、イエスが宣教を開始したというところでしたが、キリスト教ではこれを、キリストの公生涯、おおやけの生涯の始まりというふうに呼んでます。
赤ちゃんイエスさまが生まれたクリスマスのできごととか、ルカの福音書が伝えているイエス少年時代のエピソード、ヨハネからバプテスマを受けた件や悪魔とのバトルなどは、公の活動開始前というふうに整理してるわけです。
で、ヨハネが捕らえられたのちイエスはガリラヤに引っ込んでるわけですが、ガリラヤ地方というのは、ガリラヤ湖という湖の西側ですね、大雑把にいって。
ガリラヤ湖は南北21km、東西13km、水面は海抜マイナス212m。死海の上流にある湖です。
ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスが湖岸に建設した都市ティベリアにちなんで、ティベリアス湖とも呼ばれます。この都市の名前は皇帝ティベリウスに献げられたものです。
イエスの父ヨセフが大工というのは知られていると思いますが、ヨセフが跡取りのイエスを連れてナザレからティベリアに出稼ぎに行っていた可能性もあるのではと考える人もいます。
で、イエスがこのガリラヤの湖畔を歩いているときのことなんですが。
二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは猟師であった。
イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。(4章18-20節)
"シモン"が本名で、"ペテロ"というのはのちにイエスが名付けたあだ名です。ヘブライ語で「岩」を意味するケファと名付けて、ギリシャ語で「岩」を意味するペテロで定着しています。
なぜイエスが岩と名付けたかは聖書に説明はありません。のちにイエスが、ペテロという岩を土台として教会を建てる、ということを言っているので、肯定的な意味のあだ名なのでしょう。
ただ、聖書では彼は考えなしに瞬間的に行動することがけっこうあるので、人の話を聞かないという意味で「岩」なのかも。
ちなみにですね、ペトロは英語ではピーターになります。ピーター・アーツのピーターですね。
で、アンデレは英語ではアンドリュー、省略形はアンディなど。アンディ・フグのアンディです。
だからですね、K-1ヘビー級の華やかなりし1998年、ピーター・アーツとアンディ・フグが対決したときは、ぼくは「ペテロ対アンデレだ!兄弟対決だ!」と勝手に盛り上がってたんですよ。
英語圏の人も、ニヤリとしたかもしれないですね。それとも、聖書のキャラにちなんだ人名なんてありふれてるから、スルーしたでしょうか。
日本の報道ではそういうギャグは見当たらなかった気がします。残念。
ヤコブとヨハネ
イエスはさらに湖畔を進んでスカウトしていきます。
イエスは…別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網をつくろっているのを見ると、二人をお呼びになった。
彼らはすぐに、舟と父親を残してイエスに従った。(4章21-22節)
ヤコブもヨハネも、聖書で同名異人がいるので「ゼベダイの子のほうだよ」と説明されています。"ヤコブ"は12弟子の中にもう一人ヤコブがいるので、ゼベダイの子のほうは「大ヤコブ」と呼ばれることもあります。
ほかの福音書だと雇われ漁師も一緒にいたようなので、ゼベダイというのはそこそこの網元だったようです。
こちらの二人はイエスから、ボアネルゲ、「雷の子」というあだ名を頂戴しています。これも由来は書いていませんが、そうとうカッとなりやすいところがあったようです。
スカウト
以上の四人は、のちに12弟子とか12使徒と呼ばれるイエスの直弟子に加わることになります。イエスの周りにはおおくの群衆がいて、その中にはイエスに従ってきた弟子たちがいて、弟子たちの中から12人が選ばれるんですね。
で、今日のこの4人のうち、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人は、12人の中でも側近中の側近ですね。イエスがこの3人だけを連れて行動した場面が何度かあります。
カトリックでは、ペテロが12使徒の首位であり、初代ローマ教皇だとされています。ちなみにカトリックでは「法王」と言わないんですね。現在は「教皇」で統一しているそうです。
プロテスタントでは、12人に上下関係はなかったと考えるので、ペテロが首位だったとは考えないですが。でもプロテスタントでも、ペテロは人気キャラなんですよね。12人の中で、イエスに叱られてる場面が一番多いんじゃないかな。ダメキャラだからこその愛されキャラというか、ペテロが失敗しているのを読むと「私も同じだよなぁ」と感情移入しやすいというか。
興味深いのは、12人の中でイエスの弟子になったいきさつが聖書に記録されている人は、イエスからスカウトされてるんです(名前しか出てこない12弟子もいるので、全員がスカウト組かはわかりません)。
イエスに自分から「弟子にしてください」と言ってきて、でも去っていた人もいます。
イエスから「従ってきなさい」と言われて、でも断ってしまった人もいる。
そして、「従ってきなさい」と言われて、従った人もいる。
クリスチャンたちは、自分の心で「イエスが主だ」と信じるわけです。
でも聖書は、聖霊によらなければ誰も「イエスが主だ」と言えないというんですね。
キリスト教の信仰は、相思相愛と言ったらいいでしょうか、「人から神へ」だけでも「神から人へ」だけでもないんです。
そのあたりが浄土宗や浄土真宗の他力本願に似ているところですよね。
自力で修業して救いに至る人もいるかもいるのだろうけど、私たちはあみだ様の本願という他力で救っていただくのだと。
でも人のほうにも、お念仏するということ、あみだ様におすがりしますというのが大事だと。
似ているということは、似て非なるものということでもあるのだけど、キリスト教も、イエスのほうで「あなたを救いたいんだ。だからあなたの身代わりになって十字架で父に捨てられたんだ」があって、でも人のほうも自分の意思でイエスを受け入れなきゃいけない。
よく「神はなぜ、エデンの園に"禁断の木の実"や蛇を置いたんだ。その時点で神は失敗してるじゃないか」なんていうことも聞くのだけど、それじゃ意味がなかったのだと思う。ヤハウェは人に、自由な選択の中でヤハウェを選ぶということをしてほしかったんですよ。誘惑も危険もない、安全であるけれど他に選択肢もない箱庭で飼うために人を創造したわけじゃなかったんですね。ヤハウェの思うとおりにしか行動しないロボットではなく、自由な意思でヤハウェに応える存在として私たちは創造されているのだと思うのです。
いやし
さてマタイの福音書の続きですが、
イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆるやまい、あらゆるわずらいを癒された。(4章23節)
というわけで、イエスの評判が、ガリラヤ地方を含めてローマ帝国のシリア属州の全域に広まったというんです。そして人々は、当時の医学ではどうしようもなかった病人や障碍者、そして悪霊に憑かれた人などをみんなイエスのところに連れてきたと。
ユダヤ人だけじゃなんです。デカポリスや、ヨルダン川の東側など、ギリシャ系の異邦人が住む土地からも来たというんですね。
そして、イエスに癒された人たちは、「ご利益があった。よかったよかった」と帰っていた人も多かったでしょうけれど、これを機に多くの群衆がイエスに従ったと書いてあります。
癒しの奇跡について、読み方は4つあると思います。
①イエスは実は医学の心得があったというだけ。
②イエスは何からの方法で人々をだましただけ。
③イエスは、神の力によって奇跡をおこなった。
④イエスは、悪魔の力で奇跡をおこなった。
聖書の記述を前提に考えた場合、①のイエスが医学で治したということだけはありえないですね。ほかの医者が持っていない知識や技術をイエスだけが持っていたという設定はムリすぎです。「実はイエスは宇宙人で、人類が道の医学的知識と技術を持っていた」というなら別ですが。
②は、可能性はなくもないけれど、可能性は限りなく低い。
聖書には、イエスが治そうとしたが治せなかったという例は一つしかありません。それはイエスの故郷ナザレで、人々がイエスを信じなかったので、癒しを行うことができなかったというできごとです。
もしそういう例がもっとあるなら②もありえます。群衆の中にサクラを仕込んでおいて「治った!」と喧伝させる。治らない人には「あなたが治らないのは信心が弱いからだ」で片付ける。
でも「イエスなら治せる、と信じてやって来た人」をイエスが癒せなかったことは1回もない。だから②はありえないでしょう。
さてそうすると、イエスは②神の力で奇跡をおこなったのか、③悪魔の力で奇跡をおこなったのか、この二択になってしまいそうです。
当時の宗教家たちは③だと考えてイエスに論破されてしまいましたが。
次回は
イエスの奇跡を経験するなどして集まった群衆に、イエスは教えを語りますが、それはまた次回に。5章から8章まで、「山上の説教」「山上の垂訓」と呼ばれる、イエスの説法が続きます。
では。
あなたと、あなたの大切な人たちに、神様のご加護がありますように。
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