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なぜロバで?~イエス様のエルサレム入城~【ルカ19:28-38】【やさしい聖書のお話】

2023年3月12日の聖書のお話です。

ロバに乗ってエルサレム入城

今日のお話は「エルサレム入城」の場面です。

「にゅうじょう」は、運動会の入場・退場の「入場」ではありません。
王様である救い主が聖なる都エルサレムに入るということ、エルサレムは町全体が城壁で囲まれていたことから、お城に入るという意味の「入城」という言葉が使われます。

このときイエス様がロバに乗っていたというのは有名ですね。ルカによる福音書ではイエス様は子ロバに乗ったと書かれています。

(弟子たちは)子ろばをイエスのところに引いて来て、その上に自分の服をかけ、イエスをお乗せした。

ルカによる福音書19:35(新共同訳)

ただ、マタイによる福音書では、弟子たちは親ろばと子ろばをイエス様のところにひいてきてイエス様を乗せたと書いてあります。たくさんのアーティストがこの場面を絵にしているのだけど、ドゥッチョのようにイエス様が親ロバの方に乗った絵にしているものも多いです。

ドゥッチョ・ディ・ブオンセーニャ「キリストのエルサレム入城」シエナ大聖堂美術館

ところで、なぜイエス様はロバに乗ったのだろう?

なぜ馬でなくロバ?

王様が乗るといえば、普通は馬ですよね。たとえば皇帝ナポレオンが白馬にのってアルプスを越える絵が有名。

ジャック=ルイ・ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』フランス・マルメゾン城

王様が乗るなら、やっぱり馬です。

アニメ『Fate/Zero』より英霊イスカンダル(アレクサンドロス大王)

ロバより馬の方が強い、でかい。速い。賢い。かっこいい!
ロバは力持ちだけど馬よりは弱い。小さい。遅い。賢くない。かっこ悪い!

「やさしい王様であるイエス様は、やさしいロバに乗って」と解釈する人もいるけど、やさしいというなら馬のほうなんだ。ロバのほうが気性が荒いんだよ。
馬はやさしいから、人間と心をあわせる馬術もできるし、軍用にも使えるし、二頭立てとか四頭立て働くこともできる。ロバの二頭立てなんて聞いたことないし(まったくないわけではないようだけど)、馬術みたいなことや戦場で命を預けたりというのも聞かない話だと思う。

でもイエス様はロバに乗った。
そしてエルサレムの人たちも「なんで馬じゃないんだ?」なんて言わなかった。エルサレムの人たちは、ロバに乗ってエルサレムに入るイエス様を見て「これは預言されていたことだ!」って思ったんだよ。預言者ゼカリヤによって主はこう告げていたんだ。

娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。

ゼカリヤ書9:9(新共同訳)

「娘シオン」「娘エルサレム」は、エルサレムの都や、その都があるシオンの山を擬人化することで「エルサレムの人々」の意味です。あなたの王が神からつかわされてロバに乗ってやってくることが予告されていたわけです。王様は油をそそがれて即位するので、これは「神から来るメシア(救い主)」のことでもある。

だったらなぜ神様は、救い主がロバに乗ってやってくると告げていたのだろう。
ロバは馬より弱いし小さいし賢くないしかっこようない。一方でロバが馬よりいいところがある。飼うのにお金がかからないことだ。安い餌でも頑張って働ける。馬はお金がかかるから普通の人が買うことはできないけど、ロバなら飼える。

イエス様は普通の王様じゃない。
神様なのに人間になって、
宮殿ではなく馬小屋で生まれたとされて、
罪がないのに罪を背負って、
神様で不死身だったのに十字架で死んで、
父と一つだったのに父に捨てられ、
天にいたのによみ(あの世)にまで落とされる。

救い主はそういう王様だから、馬よりロバなんだよ。

イエフとイエス

こうしてイエス様は、自分が預言されていた王様だということを示した。
そこで人々は、イエス様を王様として歓迎した。

ずっと昔、イスラエルにはヨラムという悪い王様がいた。その時代に主は、イエフ将軍、カタカナで書くとイエス様に似てるけどイエスじゃなくてイエフね、この将軍を神様は選んで、主の預言者がイエフの頭に油をそそいだ。
これは主が新しい王様に選んだということなので、悪王ヨラムの家来たちもイエフのところにいって、上着を脱いでイエフの足元に敷いて「イエフが王になった」と言ったんだ。

すると彼らはおのおの急いで自分の上着を脱ぎ、階段の上にいたイエフの足元に敷いた。そして角笛を吹き鳴らし、「イエフが王となった」と宣言した。

列王記下9:9(新共同訳)

エルサレムの人々は、ゼカリヤの預言とイエフの物語を思い出したから、服をイエス様が乗ったロバの足元に敷いたんだ。

ただここで、不思議な記録がある。

天には平和

イエス様を王様として迎えた人々のことばがこう記録されている。

「主の名によって来られる方王に、
祝福があるように。
天には平和
いと高きところには栄光。」

ルカによる福音書19:38(新共同訳)

どこかで聞いたことあるよね?そう、クリスマスのできごとで、羊飼いにお告げした天の軍勢がこう賛美した。

「いと高きところには栄光、神にあれ。
地には平和、御心にかなう人にあれ。」

ルカによる福音書2:14(新共同訳)

 イエス様が生まれた時、天使は「地には平和、御心にかなう人にあれ」と言った。
でもこの日、人々は「天には平和」といったと記録されてる。
なぜだろう。

地に平和をもたらすはずだったイエス様が、このあと十字架で命を絶たれるからじゃないかと思う。
平和の君、平和の王であるイエス様が十字架で死んでしまう。
三日目に復活するけれど、それから40日して天に帰ってしまう。

弟子たちの見ている前でイエス様が天に昇って行って、「いと高きところに栄光」は続いている。
でも平和の王イエス様が天に帰ってしまった。だから「地に平和」じゃなくて「天に平和」になってるんだと思う。

じゃあ、平和の王であるイエス様が次に来るまで、「地に平和」は止まったままなんだろうか。
だから地上から戦争はなくならないんだろうか。ウクライナでは戦争がもう1年を超えて続いている。イエス様が来るまでどうしようもないんだろうか。

そうじゃないよね。ぼくたちがイエス様から「平和を実現する人たちは幸いだ」って言われてるんだから。

この前、日本バプテスト連盟の全体の会議があって、そこでいろいろなことを決めました。その中で2023年度の計画の中にこういうことを書いています。

ミャンマー、ウクライナ、香港などにおける戦争や人権侵害、世界的な自然災害の発生などすべての被造物との共なる礼拝が妨げられ、分団が進む世界の中で「和解のつとめに仕え」る者として、ともにキリストを証ししていきたい。

私たちバプテスト連盟は、ミャンマーやウクライナや香港などに行って、和解のつとめのために、つまり仲直りさせる者としてキリストを伝えていくことを、2023年度の活動方針、計画にしています、ということです。

具体的にどうやって?
ぼくには今はわかりません。ぼくたちの中の誰が、行ってロシア軍とウクライナ軍を和解(仲直り)させるのか、ぼくには今はわからないけれど、でもぼくたちバプテスト連盟の教会は、2023年度にこれをやると計画しました。

どうやるのかはぼくにはわからないけれど、ただ、神にはなんでもできないことはないってぼくたちは知ってるよね。
平和のために何ができるのか、ミャンマー、ウクライナ、香港などの和解のために自分が何をできるのか、祈りながら考えていきましょう。

動画版のご案内

このnoteの内容は、2023年3月12日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


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