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神にかたどってつくられた、最新バージョンのあなた | 創世記1:26-2:4 | やさしい聖書の話

2023年7月9日(日)の教会学校でのお話をもとに。


創世記のナゾ?

「大事なことだから1回しか言わないぞ」
ていう人がいるけど、おかしいよね。
大事なことなら、何度でも言わないとでしょ。

先週から創世記の、天地創造のところを読んでいます。
第6日には、神は、陸上の生き物をつくり、そして人間をつくりました。
で、創世記には、神が人間を作ったということが、4回も書かれてるのね。1章27だけで3回、2章7にも1回。

創世記1章27
神は御自分にかたどって人を創造された。
同1章27
神にかたどって創造された。
同1章27
男と女に創造された。
同2章7
主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』

上記のとおり1章27に「男と女に創造された」と書いてあるのに、2章22でまた「女を造り上げられた」って出てくる。
女は2回も創造されたのか?

創造した人間を神がどうしたかについても、次のとおり。

創世記2章8
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。
創世記2章15
主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』

いったい神様は人を何回創造したのか?
女を何回創造したのか?
エデンに人を住ませたのは何回なんだ?

「神は2章3までで創造した世界をいちど滅ぼして、2章4から今の世界を創造しなおしたんだ」という読み方をする人もいます。
「2章3までの天地創造と、2章4からの天地創造は、同じ出来事だ。口伝えで伝えられた創世記を文書にする際に同じできごとを二重に収録してしまった、コピペミスみたいなものだ」という読み方をする人もいます。
「ここに限らず聖書には、同じことを繰り返したり、繰り返すときに表現を変えたりしてる個所がある。それがヘブライ文学、つまり古代イスラエル人が文書を記すときの普通のやり方だ」という人もいます。

どれが正しいのだろう。どの説も想像でしかないし、前半(2章3まで)の中だけでも人の創造が3回書かれたり、後半(2章4から)の中だけでも神が人をエデンに住ませたことが2回書かれたりしてるんですけど。

ぼくは、個人の感想としては、大事なことだから繰り返してるんじゃないかなって。「大事なことだから1回しか言わないぞ」のほうが意味わからないよね。
その「大事なこと」とは何かというと、

  • 人間は神様に由来するということ

  • 人間はエデンという「神様とともにいる世界」で生きていたということ

この二つだと思う。

人の創造だけ特別すぎた

ところで神が人を創造したとき、ほかの生き物の創造とはまったく違うことが3つありました。

  • 人をつくるときだけ、何のために作るのか目的があった。

  • 人をつくるときだけ、モデルがあった。

  • 人をつくるときだけ、材料が使われた。

人をつくった目的

人を創造する目的を、神はこう言っている。

創世記2章6
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

日本聖書協会『聖書 新共同訳』

『広辞苑』という辞典では、ひとつの言葉の意味を古い順に並べています。この『広辞苑』で「支配」は次のように説明されている。

③統治すること。
④ある者が自分の意志・命令で他の人の思考・行為に規定・束縛を加えること。そのものの在り方を左右するほどの、強い影響力を持つこと。

広辞苑第六版

古い順なので(「支配」の①と②は、今では使われて無さそうな意味なので省略)、④がいちばん最近の釈義(語句の解釈・説明)ということ。
で、キリスト教の「神の支配」という言葉に反発する人というのは、この④の意味で考えるんじゃないかな。
でも聖書で神が支配するというのは③の「統治する」なんだ。神が創造した世界を神が治めるということ。神が王であるということ。それが「支配する」ということなんだ。

統治するというのは、相手に何をしてもいいということではないよね。
国の統治者が、統治される者たちのことを好き勝手に扱うなら、そんな国は滅びてしまう。
だから、支配を④の意味で考えても同じ。支配する相手に何をしてもいいどころか、支配する相手を保護し、その生命財産を守ることが、統治者、支配者の最大の責任でしょう。

で、神である主が統治者で支配者なのに、その主が「人を造ろう。創造された生き物たちを支配させよう」という目的で人を創造したということは、人を神と共に統治する者にするということになるよね。

人をつくったときのモデル

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」
つまり、神自身をモデルとして人は、男と女は、創造されたということです。
「神にかたどって」ということが繰り返されています。それだけ大事なことです。

じゃあ人間に手足があるように神にも手足があるのか?
人間に男と女があるのは、神にも性別があるから?
違います。聖書は、神は霊だ、神はさわったり見たりできない相手なんだ、と繰り返しています。

人が「神のかたちに」「男と女とに」創造されたというのは、体のことではないんです。
神様の心をモデルとして男の心と女の心をつくったということです。

人をつくったときの材料の話は次回

第三、人間だけ、アダムは土のちりを材料として体をつくられましたが、それについては来週読む予定です。

神の心に無くて、人の心にあるもの

ところで、私たちの心が神様の心の形にかたどってつくられたのに、私たちの心は、神様の心のかたちどおりではなくなっています。神様の心にはない「罪」が、私たちの心にはあるんです。
それで聖書にはこう書いてあります。

…滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。

エフェソの信徒への手紙4:22-24『聖書 新共同訳』

ここでも、体のことではなくすべて心の話です。
罪が入ってしまった心を脱ぎ捨て、心の底から新しくされて、もういちど「神にかたどって造られなおしなさい」と奨めているのです。

神にかたどって創造されたままの心が古くなって、罪が入った新しい心になってしまった。
でもその「罪が入った心」も、もう古いぞ。神にかたどってつくられた新品の心、新品のあなたになれよ、ということです。

どうやって新品になれるかは聖書にヒントがたくさんありますが、たとえば次のように書いてあります。

キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。

エフェソの信徒への手紙4:21『聖書 新共同訳』

イエス様を信じたあなたは、もうキリストであるイエス様に結ばれているんだよ、真理についてもう知っているんだよ、だからそのとおりに生きればいいだけだよ。

難しくないです。
もうあなたはイエス様を知ってるんだし、たいへんなところはもうイエス様が十字架でやっちゃったので、あとは「どうしたらイエス様に喜ばれるかな、よくやったってほめてもらえるかな」「どうしたらイエス様をがっかりさせてしまうかな」ということを考えればいいんです。

神様の心にかたどった新しい心になってるので、安心して。
でも油断すると、罪が入った古い心に戻ろうとしてしまうので、そこは油断しないで。
イエス様と一緒に進みましょう。

動画版のご案内

このnoteの内容は、2023年7月9日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
キリスト教の信仰に不案内な方、聖書にあまりなじみがない方には、説明不足なところが多々あるかと思いますが、ご了承ください。
動画は千葉バプテスト教会の活動の一環として作成していますが、内容は担当者個人の責任によるもので、どんな意味でも千葉バプテスト教会、日本バプテスト連盟、キリスト教を代表したり代弁したりするものではありません。このnoteの内容は完全に個人のものです。


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