孫氏とネヘミヤ【ネヘミヤ記2-6章】【やさしい聖書のお話】
この前エズラの話に鑑真をこじつけたと思ったら、今度はネヘミヤに孫氏ですか、と思われると思いますがお付き合いください。
ネヘミヤ、エルサレムに到着
エルサレムの神殿の工事が終わってから70年も経っているのに、エルサレムの都は城壁も戦争で壊されたままになっていると知ったネヘミヤは、ペルシアの王様にお願いして、エルサレムの城壁を造り直すことを許可されました。
ネヘミヤはエルサレムに着いて三日間を過ごしてから、夜中にわずかな人数を連れて城壁の様子を見に行きました。ただ、この時はネヘミヤは、自分が何をしようとしているのか仲間にも内緒にしていました。夜のうちに城壁を見て回りましたが、城壁は破壊され、城門は焼け落ちていて、馬でも通れないほどの状態でした。
実はホロニ人やアンモン人が「イスラエルのためになることをしようとする人が来た」と聞いて怒っていたのです。彼らは「ペルシア帝国の中で、このユダ地方は自分たちに権利がある土地だ」と考えていました。それでネヘミヤは見つからないように夜中に行動していたのです。
でも朝になってネヘミヤはユダヤ人たちに言いました。
ネヘミヤが「不幸」と言っているのは、自分たちユダヤ人が敵に囲まれた中にいることです。そんな敵から身を守る城壁がないことです。「ボロボロの廃墟に住んでる」とバカにされて恥ずかしい思いをしていることです。
何よりも、主が名前を置いたエルサレムの都が荒れ果てていて、ばかにされていることです。「あいつらの神は何の力もない」と言われる恥ずかしさのことです。
それでいいのか!
「建て直そう」と訳されているところは、「立ち上がって建てる」とも訳せます。
主の民よ、立ち上がれ!城壁を建てよう!そうすれば、もうバカにされることはない!
ネヘミヤはさらに、神が恵み深く自分を守ってくれたので、王様がエルサレムの城壁を建てることを許可してくれているということも伝えました。
すると話を聞いていたユダヤ人たちは。
後半は直訳すると「その良いことのために、彼らは彼らの手を強くした」となります。
力もなくしょんぼりしていた人々 (´・ω・`)は、
その手に力をみなぎらせました ٩( 'ω' )و
権利
彼らが工事を始めると、敵がやってきて言いました。「お前たち、いったい何をしようっていうんだ?ペルシア王アルタクセルクセス陛下に反逆する気か?」
でもエレミヤは答えましす。「天にいます神が、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。あなたたちには、エルサレムに何の権利もないし、あなたたちの権利を証明する記録も存在しない」
これはホロニ人などとユダヤ人の対決ではなく、彼らと「天にいます神」の対決なのです。
しかも、ユダヤ人がバビロンに連れていかれてる間に移住してきて「ここは俺たちの土地だ」と権利を主張していた人々は、ただそう言っているだけなのでもとからなんの記録もないのです。一方、ここがもともとユダ王国の末裔の土地であることは、キュロス王の命令の記録があります。
実は現代の中東問題もこれに似たところがあります。
現在パレスチナと呼ばれている地域は、第二次世界大戦よりも前はオスマン帝国やその後継にあたるトルコの土地でした。ただし、土地の持ち主たちは実際にはここに住まないで、オスマン帝国やトルコの本国に住んでいた不在地主でした。そこへ、移住してきたアラブ人が勝手に住み着いたのが、のちにパレスチナ人を名乗っている人たちです。一方、ユダヤ人たちは不在地主から土地を買ってからパレスチナに入ってきました。
ただ、これは中東問題のひとつの断面です。第二次大戦中、イギリスがアラブ人とユダヤ人の両方に「ドイツに勝つのに協力すれば、大戦が終わったらここに自分たちの国をつくってよい」と約束しました。だからアラブ人とユダヤ人の両方がパレスチナに権利を持ったと言えます。その後にイギリスはこの問題を放り出し、問題は国連の場へ。国連ではパレスチナやエルサレムをアラブ人とユダヤ人で分割することが決められましたが、ユダヤ人がイスラエルの国をつくると周囲のアラブ人国家が大軍で奇襲。しかしイスラエル軍はアラブ軍を押し返し撃退した、というのが今まで何度も繰り返された中東戦争のあらましです。アラブ人が「国連手決めたことには従わない。力づくでイスラエルを滅ぼす」と戦争を始めた結果ということになります(ただしこれもアラブ側の立場に立てばまた違った解釈になるでしょう)
名将ネヘミヤ
ところで、ネヘミヤがペルシアからエルサレムの都にのぼっていったのは、紀元前445年(アルタクセルクセス王の第20年)でした。
それより約50年ほど前、紀元前500年頃の中国で『孫氏』という本が書かれました。兵法つまり戦い方の専門書で、現代でもスポーツマンやビジネスマンが何かの意味で戦う時に参考にされています。
「敵をだますにはまず味方から」という言葉がありますが、これも孫氏の教え「名将(すぐれた将軍)は自分の兵士にも作戦の大事なところは教えない」が元になっています。
ネヘミヤが、何をしようとしているか仲間にも内緒にしていたのは、まさに孫氏が教えている名将と同じ発想ですね。
戦国時代最強と言われる武田信玄は味方の旗印として「風林火山」という言葉を掲げていましたが、これも孫氏の教えです。風林火山とは、
風のように早く、
林のように静かに、
火のように攻めて、
山のように動かない、
という意味です。
孫氏の兵法ではさらに、
陰のように敵に見つからず(難知如陰)、
雷のように動く(動如雷霆)、
と続きます。
ネヘミヤは、エルサレムに到着してあわてて行動を開始しないで、三日間は山のように動かずに敵の様子をうかがいました。
それから夜中に、林のように静かに、陰のように見つからずに城壁の様子を偵察。
それからユダヤ人を一気に立ち上がらせた。攻める時には火のように、動くときには雷のように。
エルサレムの都の城壁を直すことは主の御心だからといって、ノンストップで行動を起こすというような考え方は、ネヘミヤはしなかったわけです。
孫氏で有名な言葉にもうひとつ「戦わずして勝つ」という言葉があります。「百戦百勝が最善ではない。戦わずに敵軍を屈するのが最善なのだ」という教えです。
ネヘミヤは、ホロニ人やアンモン人やアラブ人と戦って勝とうとは思っていません。イスラエルの戦いは、主が戦われるのです。イスラエルが武器を手に敵軍と戦争しているときも、それはイスラエルの戦いではなく主の戦いでした。イスラエルは戦わずして、イスラエルの神である主が勝利するのです。イスラエルが自分たちで、人間の力で戦ったときにはひどい敗戦になりました。
このあとユダヤ人たちは、敵の妨害にさらされながら工事を続けます。片手で武器をかまえながらもう片方の手で工事を進めたりもしました。そんな苦労をしながらも、工事は少しずつ進んでいきます。イスラエルの神である主が守っているところを、敵が攻撃してうちやぶることはできず、困難な状況の中でユダヤ人は戦わずして勝ち、都を囲む城壁は完成したのです。
そもそもユダヤ人はペルシア王の許可を得て城壁を工事しているのだから、敵も手を出すわけにはいきませんでした。それで挑発したり妨害工作しかできなかったのですが、もしユダヤ人がそこでがまんできずに、人間の力で敵に手を出していたら、敵もペルシア帝国からこの地方をまかされている役人ですから今度はユダヤ人が不利になったでしょう。何があっても、何をされても、戦わずして勝ったのです。
もし何かとても難しい状況になったときには、主が戦ってくれるといことを思い出してください。
主が戦い、主が勝利する。ぼくたちは戦わずして、主を信頼することで勝つのです。
《動画版》
このnoteの内容は、2022年11月6日の教会学校動画の原稿を加筆・再構成したものです。
動画版は毎回6分ほどの内容です。下記のリンクからごらんいただくことができます。
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