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東方三賢者【クリスチャンは聖書をこう読んでいる #5】テキスト版

「でもクリ×聖書」、第5回です。
この企画は、「聖書にはこんなことが書いてあって、それをクリスチャンはこういうふうに読んでるんだよ」ということを、聖書にあまりなじみがない方むけに語っています。

気楽にやってることなので、気楽に聴いていただければと思います。
動画版もあります↓

今回は、マタイによる福音書2章1節-12節から。
「東方の三賢者」、「東の博士たち」などといわれるエピソードになります。
前回までに、処女降誕によってメシア、キリストが生まれて、イエスと名付けられた、という箇所を読みました。つまり、最初のクリスマスのできごとですね。
で、クリスマスに欠かせないキャラクターが東方の三賢者です。

イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東の方から博士たちがエルサレムにやってきて、
(マタイ2章1節)

ローマ帝国ユダヤ属州、現在のイスラエルがあるあたりから東の方というと、歴史上メソポタミア地方と呼ばれる地域から来たと考えられます。
この博士たちはエルサレムに来ると、ヘロデ王の宮殿を訪ねて、こんな物騒なことを言ったというのです。

ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。

ヘロデについては次回少し詳しく紹介しますが。
現在の王様のところに行って「新しい王様はどこにいますか」なんて言ったわけです。
『これを聞いてヘロデ王は動揺した。エルサレム中の人々も王と同じであった』
と書かれているけれど、ものすごい空気になったでしょうね。

そこでヘロデが宗教家たちをあつめて「キリストはどこで生まれるのか」と問いただすと、彼らは預言書を引用してベツレヘムだと答えます。

ユダの地、ベツレヘムよ、
あなたはユダを治める者たちの中で
決して一番小さくはない。
あなたから治める者が出て、
わたしの民イスラエルを牧するからである。
(マタイによる福音書2章6節)

これはミカという預言者によってヤハウェが告げていたことなのだけど、おもしろいのは、ミカ書ではこうなってるんですね。

エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
(ミカ書5章1節)

「ユダ」と「エフラタ」の違いは気にしなくていいです。ベツレヘムの位置の説明なので。
問題はベツレヘムのことを、ミカ書では「いと小さき者」と言ってるのに、それを引用している宗教家たちは「決して一番小さくはない」って逆になっちゃってるんですね。
これが、マタイによる福音書はユダヤ人むけに書かれていると考えられる例の一つなんですが、マタイは、「読者はミカ書の預言は知ってるよね」という前提で、「あの預言は実はこういう意味だったんだ」と告げているのだと思います。

ミカ書の預言で「治める者」つまり王の出生が永遠の昔にさかのぼるというのだから、これはもう普通の人間の王ではない。神が王としてこの世に来るという預言です。
なのに「ベツレヘムはいと小さき存在」だと。
で、ユダヤの宗教家たちはこれを「決して一番小さくはない」と言ってるというのは、「ベツレヘムは今はいと小さき者だが、お前から神である王が現れるのだから決して一番小さくはない」というふうに理解されていたんじゃないかなと。で、マタイは、その解釈は正しかったんだと伝えてるんじゃないかなと。

どっちにしろヘロデ王としては手を打たないわけにいかない。博士たちに「ベツレヘムだ」と伝えて、さらに、戻ってきて報告してくれ、私も行って拝むから、というんですね。あとでわかるのだけど、これはヘロデの謀略で、博士たちの報告をもとに、新しく生まれた王とやらを殺してしまおうというたくらみです。

そうとは知らない博士たちがベツレヘムを目指すと、東から彼らを導いてきた「その方の星」ですね。

かつて昇るのを見たあの星が、彼らの先に立って進み、ついに幼子のいるところまで来て、その上にとどまった。(マタイによる福音書2章9節)

この星が「ベツレヘムの星」と呼ばれます。クリスマスツリーの上に星を飾るのは、この星を記念してるんです。
17世紀の天文学者ケプラーは、紀元前7年に木星と土星が地球から見て合体して見えるほど接近した現象が「ベツレヘムの星」の正体だとしています。昨年2020年に木星と土星が約400年ぶりの接近したときも「ベツレヘムの星」の再現だと話題になったのですが。

ただ、この星はおかしい。
東から西へと博士たちを導いてきたと思ったら、エルサレムからベツレヘムへ南下してるし。
明らかに地上の一点、幼子のいるところをピンポイントで示すし。
しかもそこで静止するし。
こんなおかしな運動をする星を、この東の博士たち以外は気付いていないし。なにより「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」の星を、ユダヤ人の宗教家たちも気付いていない。

これは明らかに、空の星ではない!

ここで「星」と訳されているギリシャ語は、元の意味は「光」とか「輝き」という意味なのだそうです。
そうするとこの「光」「輝き」というのは、旧約聖書でよく「神が確かに今この場所にいる」という場合に起きる現象、稲光、雷鳴、炎、煙、地震などと同じものでしょう。そう考えないとマタイの記述が理解できない。

東の博士たちも「空の星とは明らかに違う、星のような光」だからこそ、「もしや、あの星は」となったんじゃないでしょうか。
で、ユダヤからひとつの星が現れるということは預言されていたんです。

私には彼が見える。しかし今のことではない。
私は彼を見つめる。しかし近くのことではない。
ヤコブから一つの星が進み出る。
イスラエルから一本の杖が起こり、
(民数記24章17節)

これはヘロデの時代より千数百年前の預言なのだけど、面白いのはこれを預言したのがイスラエル人ではなくメソポタミア人なんです。
『あの大河(他の訳では「ユーフラテス」)のほとりのペトルにいるベオルの子バラム』(民数記22章5節)
に、ヤハウェが啓示したことなんです。

これがメソポタミアのそうした学会というか業界に受け継がれていた、それで東の博士たちが奇妙な光を見たときに、「これは、バラムが預言していた『星』ではないか」と考えた、と想像することは、それほど突飛なことではないだろうなと。
というか、そうでも考えないと、なぜ東の博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」の星を知って、しかも礼拝しに来たのか、説明がつかないと思うんです。

これは別にぼくが発見したことではなくて。
ユダヤ人でイエスを信じた聖書学者が著書で説明しているのだけど、納得しかないなと。
クリスチャンで興味のある方は、アーノルド・フルクテンバウム博士の「メシア的キリスト論 旧約聖書のメシア預言で読み解くイエスの生涯」をどうぞ。邦訳はハーベストタイムミニストリーズから出てます。
(この本は、約2千年新約聖書に取り組んできたキリスト教に、その間もずっと旧約聖書に取り組んできたユダヤ人が合流したら、どんだけすごいことになるかという感じですね。クリスチャンの方にはとてもおススメです)

まあこうして、東の博士たちが、イエスを訪問して礼拝したわけですが。
この訪問は、メシアがユダヤ人だけの救い主ではない、ユダヤ人からけがれているとされていた異邦人をも救うんだということの先駆けなんですね。で、実はそれも旧約聖書に預言されているわけです。選民思想というものに関わってきますが、神ヤハウェを知らない異邦人(非ユダヤ人)はけがれた民と考えられていた一方で、こんな預言がある。

主に連なる異国の民は言ってはならない。
「主はきっと、私をその民から切り離される」と。
(イザヤ書56章3)

宗教美術では東の博士たちは、イエスにささげた贈り物が3種類だったことから3人で描かれることが多いのですが。
アルブレヒト・デューラーの「東方三博士の礼拝」でも、年老いた白人、中年のアジア人(中近東人)、若年の黒人として三博士を表現したように、あらゆる人種のあらゆる年代を代表する3人が、メシア(キリスト)であるイエスを礼拝した、というエピソードだと解釈されてています。
現代だったら、男性、女性、セクシャルマイノリティで表現されてもいいかもしれません。

こうしてイエスを礼拝した博士たちは、『ヘロデのところへ戻らないようにと警告されたので、別の道から自分の国に帰って行った』と書かれています(マタイによる福音書2章12)。

じゃあ、博士たちがエルサレムに戻ってくると思っているヘロデ王はというと、それは次回にします。

「でもクリ×聖書」はあくまで、布忠という一人のキリスト信者が聖書をこう読んでいるというものです。浅いやつが浅いこと語ってるのであって、キリスト教を代表するものではないし、これが正統的というつもりもないことをご理解ください。

では。
あなたと、あなたの大切な人たちに、神様のご加護がありますように。

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