散歩の足元には
久しぶりにnoteを開いています。上の写真は、今朝、散歩している時に、撮りました。苦手な方、ごめんなさい。
うっかりしていたら、踏んでしまったかもしれません。くたばっているのかな、と見ていたら、右側にスイスイとすすんでいました。こんな整備されてしまった場所でも、獲物があるのでしょうね。
ずいぶん涼しくなりました。セミの声も虫の音にかわり、夕方が早く来るようになりました。みなさまはお元気ですか?以前は「お変わり無くお過ごしのことと思います」なんて、気軽に手紙に書きましたが、この頃は思いがけない事情で、人と人との関係が壊されていきます。
一日一食で済ませるしか無いシングルマザーの記事を読みました。家で誰に看取られることもなく、苦しんで亡くなっていく方が、毎日ひとクラス分、ふたクラス分と積み重なっています。自分の番が来るまで、じっと待つしか無いのかと、無念な気持ちになります。
考えていてもどうする方法も思いつかないので、一か八かツイッターをはじめました。機械音痴でマゴマゴしながら、恐る恐る知らない海に航海に出るような気持ちでした。
noteでは、自分の手作り作品の記録と文章修行という目的で、やってきましたが、ツイッターでは、その性質上、自分の言葉をどう発信するか、実験しようと思いました。
毎日読んでいるニュース記事があるので、それを他の人にもシェアするような感じで、少しずつ発信しました。誰も知り合いがいない中で始めたので、とりあえず興味のある人をフォローして、物を言っても良さそうな界隈を見つけながら、発言しました。
理路整然とした正しい意見を、物申したとしても、ツイッターの流れて行く方向は制御できないので、学者でもない私に言えることは、自分の感じ方くらいかな、と思いました。
ツイッターで「荒れた」問題がちょっと気になったので、夜道で人に物を尋ねるようなツイッターでは、言葉は誤解されないように発信したいと思いました。
それから文字数が限られているので、挨拶や敬語はある程度省くことができ、簡潔な文にするほうがいいと思いました。しかし、中には礼節を求めてくる人もいるらしいので、様子を見るだけにしてトラブルの元にならないようにしようと思いました。
自己紹介について、どうしようかな、と何回か書き直しました。自分が誰かのツイッターを読んで、返信しようかな、と思った時に、相手のプロフィールを開けてみて、どういう人なのかを判断しているからです。
その人にとっては、伝えたい情報だから載せているのだと思いますが、私のような遅れてきた人間には、意味不明な言葉が多くて、「どういうひと?」と警戒してしまいます。単純に「こわい」場合もあるかもと。
書き込んだり、削除したり、書き直したりと、試行錯誤が続いています。仮に、どういうわけか目を止めた人がいたとして、その人がどう感じるか、自分が不安な場合は削除します。書いてみて、それで気が済む場合は、読者は自分だけで良かったりしますから。
最近、遠くまで届く言葉を探しています。というのは、自分でも忘れていたようなツイートだったり、リツイートが、思いがけずコメント付きで返ってきて、どこへ流れて行ったのか、想定していない人に読まれていたりしたからです。
川の流れのようなツイッターの上を、様々な言葉や映像が流れて行きます。私には難しすぎるもの、知らないもの、あと圧倒的に多いのが猫の動画です。みんな、心が疲れているのでしょうか?
時にはヒヤッとする言葉にも出くわしますが、それはそれ、自分は自分と分けて考えるようにしました。
私がツイッターを始めて約三ヶ月たちました。今の所は、これを知って良かったと思いました。それは圧倒的な情報量の多さと速さです。
親切な投稿をしている方との「いいね」のやり取りから、ある質問を投げかけてみると、すぐに返事が返ってきます。日本はもちろんですが、コロナ禍のウィーンからも、教えてもらうことが出来ます。
私と似たようなツイッター初心者のデジタルオンチ世代の方とは、仲良くなれそうです。情報を多角的につかむこと、自分の頭で咀嚼すること、自分なりの意見を考えること、適切な言葉で発信すること。
なかなか難問ですが、目の前の現実世界を逃げないで生きるには、これもいい修行かもしれませんね。
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