好きを思い出す
前職の携帯屋をうつで退職に追い込まれてから(これ今思えば労災だったな)、得意だったPCのことを職業訓練で学び直して、今はネットショップの中の人をやっている。
携帯屋はとにかくお客さんと喋って口説き落として売りたいものを買ってもらう仕事である。お客さんと話すのは好きだったし、よく売れた。毎日違う人といろんな話をした。スタッフも多かった。メンタル面が基本的にブラックで、数字には厳しかった。労働時間が長いからなのか、対人ストレスなのかわからないけど、当時の自分の記録を遡るとしょっちゅう蕁麻疹で眠れなくなっていた。
今では定時に帰れるし、ほとんど一人で仕事をしている。拘束時間は決められており、対人ストレスはゼロに等しい。PCの画面を見つめる時間が増えたので違った疲労感はあるが、定時にきっかり終わるので家でご飯を食べられるし休日は遊びに行く元気がある。収入は半分くらいになったけど、今の方が幸せである。今の方が貯金もできている。お金はあるに越したことはないが、収入が多ければいいというわけではないということを知った。
しかしまぁ、とにかく人と話す機会が少ない。夫とは趣味嗜好が全くと言っていいほど違うので何かを語り合うことはほとんどない。イベントに行っても、誰かの話を一方的に聞かされていることが多い。ある時から人と話すとき、相手が自分の話に関心を持たなくなった瞬間や、自分の意図した通りに言葉が伝わっていないことがなんとなくわかるようになり、人と話すのが苦手になった。普通、人は和集合の図みたいに重なり合うところでなんとなく共感し合って会話を成立させるものだと思うのだけど、私の話したいことが相手の理解の範疇にないと感じることが増えた。昔の私はどうやって人と会話していたのだろうか。たぶん、話したいことを一方的に話して満足していたのだろうな。最近はそれがうまく出来なくなった。
仕方がないので、喋りたいことがあるときは実家に行って両親と話してストレス解消している。親ともわかり合えないことは多々あるが、感性が似ているのでわちゃわちゃっと話したいときにはちょうど良いのである。
他人の聞き役に回るとき、大抵相手は自分の好きなものについて語っている。それを聞き流しながら、自分が同じ熱量で相手に語れるものが何なのだろうかと考える。私は一体これまでの人生、何に時間を費やしてきたのだろうかと。
私の好きはどちらかというと狭い。似たような作品をあれもこれもとはならない。同じものを何回も繰り返し見たり聞いたりする。飽きるまで。繰り返しすぎて覚える頃になるとやっと飽きる。飽きるというより、記憶に焼きついたので見る必要がなくなったという方が正しいんだろうか。少し忘れた頃に見るとまた面白い。
最近だと、昔大好きだったテニミュを見たらまた楽しくなってDVDの数が増えた。新しい公演もドンドコやっているので、もうリアルタイムでついていける気はしないけど、テニミュは面白い。新テニミュもまだ一本しか見ていないけど、謎にクオリティが高くて感動した。
テニスの王子様は夫と二人で楽しめる数少ない作品の一つである。私の体感であるが、ピンポイントでテニプリが好きという男の人はめちゃくちゃ少ない。夫は希少種である。しかし夫はどちらかというとアニメ派なので、原作から離れていったアニメの設定を受け入れていない派の私とはたまにすれ違うこともある。まぁでも夫と親しくなったきっかけの一つではあるので、今までもこれからも私にとっては好きな作品であり続けるだろう。これからはさておき、これまではかなり課金した作品であることには違いない。テニプリは人を狂わせる。
昔よく見たといえば、ラーメンズである。私の人生には、何もかもつらすぎてずっと病んでいたけど、ラーメンズを見ているときだけ笑っていられたみたいな時期がある。ラーメンズの笑いに若き日の不安定な心を支えてもらった。今はYouTubeで無料公開されているので、ときどき思い出して見に行ったりする。どれが好きと言えないくらいどれも好きである。先日、久し振りにラーメンズがわかる人と話す機会があってとても嬉しかった。インターネット老人会が全盛期だった頃はラーメンズを履修している人が多いイメージだったが、今はちょっとしたネタも伝わらない人が増えた気がする。小林賢太郎も表に出るのを辞めてしまったので、時の流れを感じる。寂しいものだ。私は彼らのコントは隅々まで見たと言っても過言ではないはずなので、五輪で炎上したときは悲しかった。ピクトグラムはどう見ても小林賢太郎の作品だった。
前々回くらいの記事で倉橋ヨエコの復活にも触れたが、彼女の音楽もとても好きだった。これも私の暗黒時代にお世話になった。生きているのがつらいとき、ヨエコの歌声に救われた。今思えば、どれをとっても自分より不幸で自分の生きてる場所よりグロテスクな世界がそこにあるというのがよかったのかもしれない。あの頃の夜は自己嫌悪で忙しかった。今はあの頃ほど自分のことが嫌いではないけど、復活によりまた彼女の新しい音楽が聴けるのがめちゃくちゃ楽しみだ。
昔は映画館にもよく通った。映画館という場所は魔法のようである。どんなにつまらない作品でも映画館で見ると面白く感じる。また、予告編で新しい作品に出会う時間も好きである。歳を重ねて色々なことに寛容になったが、いまだに映画館でガチャガチャうるさくされるのだけはどうしても苦手である。サブスクで多様な作品に触れられる機会が増えた時代ではあるが、映画館という空間で見ることに価値がある。席に着いたらもうトイレにも行けない。鑑賞中は水分の取り過ぎに気をつけて集中する。それがいいのだ。
思えば、私には何かを消費して吸収した時期というのが10代から20代前半に集中していた。あの頃が最もアニメや映画や音楽を見たり聴いたりしていた。いつしか自分の作品を作ることに熱中して、何かを見たり聴いたりする時間がぱったりとなくなった。その時期からアニメも音楽も全然わからなくなるのだ。それで30代後半となった今、なんとなく枯渇している。あの頃は自分の中に溢れ出ていたアイデアや創作意欲がスカスカになってしまった。
アウトプットの限界が来たのだ。人は自分の食べたもので出来ている。出し切ってしまえば何も出なくなるのは当たり前のことだ。何かしたい気持ちだけうずうずして、でも何もない自分がいる。
好きを思い出して、新しい好きを食べたい。
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