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【小説】日雇い稼業

新しいステレオデッキを手に入れた。左右のスピーカーから音が出力される高級品だ。左が山口さん、右が後藤さん。それぞれ日給8,000円。昼食付。交通費全額支給という高待遇。

以前使用していたデッキは、左右ともにそれぞれ日給5,000円で食事なし、交通費は1日500円の定額支給だった。比較してみると、今回の待遇がどれだけ手厚いものかお分かりいただけることだろう。

音さえ出ればいいと割り切ってみれば、安価なものはいくらでも見つかる。しかし安かろうは悪かろうというのは本当で、悪条件のものは音質もそれなりである。

今回は思い切って、『四大卒・30歳以下』という条件付きで募集した。
それなりのコストはかかったものの、なかなかの質のものを手に入れることができたと自負している。

もちろん操作は全自動である。
「オープン」とわたしが声を発せば、体育座りをしている山口さん(左)と後藤さん(右)が、「ハロー」と言いながら目を開ける。
CDを渡し、「再生」と呼びかけると、山口さん(左)がCDのジャケットを開け、後藤さん(右)が歌詞カードを取り出す。
2人で歌詞カードを下読みし、軽く打ち合わせすること数分。支度が整うと、声を合わせて歌い始めてくれるのだ。

以前のデッキはこうスムーズにはいかなかった。打ち合わせには倍以上の時間がかかったし、歌詞カードに印字された文字のサイズが小さいと内容が読み取れず、拡大コピーをしてあげる手間がかかったものだった。難しい漢字は誤読も多く、その都度訂正する必要があった。それに比べれば、かかる時間も労力も微々たるものである。

唯一欠点を挙げるとするなら、左右の音量バランスの調整をしなくてはならない点である。その際、物言いの仕方には注意を要さねばならない。
たとえば、右の音量をもう少し大きくしたいと思ったとき、「右、もう少し大きく」と、決してそのまま注文をつけてはならない。
……ほら見てご覧なさい。ツンとすました顔の後藤さん(右)。そう、彼はすねてしまったのだ。
そうしたときは、すかさずフォローをする必要がある。
「すいません、あの、後藤さん。すごく素敵な歌声なので、もう少し、気持~ち大きめで、お願いすることとかって、できたりしますか…?」
これが正解。後藤さん(右)はえへんと咳払いをひとつし、たちまち笑顔になって、大きな声で歌い始める。
後藤さん(右)をほめたら、すかさず山口さん(左)のこともほめるフォローアップ体制が肝心だ。こちらばかり取り立ててほめていると、今度はあちらがへそを曲げてしまう。
採用条件が高ければ高いほど、高いパフォーマンスを発揮してくれることはたしかなのだが、いかんせんプライドも高く、その分メンテナンス面に手がかかるのがネックである。

さて、左右のバランスが揃った。これで完璧なステレオとなった。
ステレオデッキで再生しているにも関わらず、まるで人が目の前で実際に歌ってくれているかのような、リアルな音響である。
やわらかな歌声に満たされた、あたたかさに満ちた時間がおとずれる。わたしは満ち足りた気分に浸りながら、午後のおやつのバームクーヘンを、左右ぴったり同じ大きさになるように切り分け、ステレオデッキの前にそっと置いた。


気持ちのいい午後の時間はあっという間に過ぎ去る。定時を過ぎたステレオデッキ2人に本日の分の謝礼を払うと、彼らは風のように帰っていった。この後腐れのなさも、わたしが彼らを気に入っている理由のうちの一つである。
ただひとつ、欲を言うならば、たまに音が外れることが惜しいものだ。
もっと頑張って稼いで、いつの日か、音大卒のステレオデッキを手に入れたいとものである。

そのためには、今日も日雇いのアナウンスの仕事を頑張らなければならない。これから出張に赴き、何件かの家を訪問して仕事をする。

喉の調子を整える。まずは隣町の長谷川さん宅。近くの前田さん宅も、川辺さん宅もまとめて回る。あのへんは中学生の息子さんたちが同じ部活に入っているから、帰宅時間が重なり、同じ時間に仕事をこなせるのでありがたい。

ペットボトルの水を口に含み、ごくりと飲み干す。
長谷川さん宅のチャイムを鳴らす。
軽く咳払いをする。わたしはちいさく、確かめるように、このあとアナウンスする台詞を、そっとつぶやいた。

「お風呂が沸きました」