プーリーとわたし
1 出会い
わたしが「あいつ」に初めて出会ったのは、3ヶ月ほど前のことだった。
仕事に疲れて帰りついた深夜、酒でも飲みながら通販サイトを覗き見るのが、ここしばらくの習慣となっていた。
特に文房具などの、デスク周りに置くことのできる小物については、ちょっとでも気にいると衝動買いしてしまうこともしばしば。
そんなあるとき、「あいつ」に出会ってしまったのだ。
Q:これは何ですか?
A:はい、これはペン立てです。
中におまえが立っていることによって、3本ぶんくらいペンを立てられる実用的なスペースがつぶされてしまっているじゃないか!!!
まったくけしからん!!!買うからな!!!!
……と、衝動にまかせて買ってしまった。
届いて実物を見てもその出来は素晴らしく、なんなら中に立っている「あいつ」がずいぶんと幅を利かせているために、後列にさしたペンを取る際にも、「あいつ」のおけつにひっかかってしまって、たじろいでしまうことも多々あるという、なんともまあていたらくなこと!
しかしそのだめだめさこそが愛おしく、わたしはたちまち虜になってしまった。
この檻の中にとらわれている「あいつ」のなんとも言えない表情がまた、にくめなくて愛おしいのだ。
このペン立てを職場のデスクに置いてからというもの、日常がすこし楽しくなった。
2 再会
日課の通販サイト巡りはとどまるところを知らなかった。
それからまた2ヶ月ほど経ったある日、またもやわたしは運命の出会いを遂げることとなる。
「おまえ!!!!」と思った。
「おまえ、脱獄したかと思いきや、今度はそんな危ないバイトまでして!!」とも思った。
そう。またしてもわたしは「あいつ」と再会したのだ。
言わずもがな、これはセロハンテープを取り付けて、カットするための台である。
テープを引き出そうとすると、輪の中に掴まっている「あいつ」がくるりと回転する仕組みになっており、当然ながら、まったく、機能性には一切の関係がない。
ペーパーレスが謳われる今日この頃。
こんなでっけ〜〜〜〜セロハンテープの台なんて使用することもなくなってしまった。
そうだよ。いくらかわいくても使わなきゃ意味がないもの。
きょうびこんなでっかい台なんか使わないって〜の。
たまに使うにしても、ちっちぇえサイズのテープで充分だし。
カッターなんかなくても、ハサミで切りゃいいし。
業者じゃあるまいし。
業者じゃあるまいし〜〜〜〜〜!!!!!!
うっひょ〜〜〜〜!!!!
HAPPY〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
買った買った買った〜〜〜〜〜〜!!!!!!
3 気づき
待つこと数日、ついに「あいつ」が手元に届いた。
パッケージをひらくと、そこにはたしかに「あいつ」の姿があった。
嬉しすぎて写真まで撮ってやがんの。
「テープディスペンサー(クマ)」という表記が愛おしいわよね。
さて、中身はどんなもんかいね、と取り出してみる。
はい、文句なし。優勝。
なんならテープを引き出さずして、こいつをぐるぐる、ぐるぐる、無意味に回し続けたい衝動にかられるくらいの愛おしさである。
なんとなく、雰囲気でテープを取り付けてみたものの、一応パッケージを見て取り付け方が正しいか確かめてみることにした。
するとパッケージには、驚きの事実が記されていた。
「テープをプーリーに押し込みセットしてください。」
と並ぶ文字。そして図示されている箇所を見る限り、
「プーリー」というのは、くまの姿をしている「あいつ」のことを示しているように見えた。
「そうか……!おまえ、プーリーっていう名前だったのか!!!」
わたしは一抹の感動をおぼえた。
たとえるならば、草原で見つけた名も知らぬうつくしい花の名を、あらたに本で見つけたときのように。
今まで「あいつ」と呼んでいたくまが、「プーリー」という名を持っていることを知り、妙な愛着がわいてきた。
以前買ってデスクに置いていたペン立てに立っていたおまえのことも、勝手に「555番」と看守の目線で呼んでいたのだけれど(なんとなく555番っぽいのでそう名付けた)、これからは愛を持って「プーリー」と、そう呼んでやろうと心に決めた。
4 真実
あれからテープの輪の中に入った「プーリー」を回すことはなかった。
というのも、日常の中でセロハンテープを使う機会は、想像していた以上にまったくなかったのだ。業者じゃあるまいし。
しかしながら、こうして執筆をするPCのかたわらに置いてみては、たまにころころ転がしてみるなどして愛でるほどに、わたしは「プーリー」の使えなさを愛していた。
やはり名前がつくと愛着が違う。
こうなったら、ペン立てとセロハンテープ台だけでは気が収まらなくなるのが人間の欲というものである。
あるときふと、思い立ってしまったのだ。
「もしかして、このプーリーシリーズって、他の種類もあったりして…?」
そう思ったわたしは、インターネットで「プーリー」と何の気なしに検索してみた。
すると、こんな画像が出てきた。
検索結果に出てきたのは、「プーリー犬」という種のいぬの画像と、このように円型の部品のようなものばかりだった。
そう。賢明なあなたのことなら、どういうカラクリか既に気づいたはず。
「プーリー」とは、すなわち、このように滑車型の、回転式のパーツのことだったのだ。
つまり、私がパッケージで見た「プーリー」というのは、中に掴まり立ちをしている「あいつ」のことそのものを指すのではなく、その周りにある円形のパーツのことを示していたのである。
……今になって冷静に考えてみれば、「テープをプーリーに押し込みセットしてください。」という文言を正しく読み取ると、テープを押し込む円形のパーツ自体が「プーリー」という名でなければ成り立たない説明文であることは明らかである。
しかしあのときのわたしは喜びのあまり、冷静さを欠いていた。
それゆえに、あの、中に立っているくまのことを「プーリー」と呼んでいるのだと誤解してしまったのだ。
5 プーリーとわたし
真実を知ったわたしは、「こいつプーリーっていうんですよ」などと誰かに大嘘を吹聴する前に気づいてよかった、と胸を撫で下ろすばかりだった。
あれからペン立てを使うたびに、そしてPCの横に置いたテープ台を目にするたびに、ちらりと横目で「あいつ」を見ることがたびたびある。
今や、何者でもなくなった、単なるくま然とした「あいつ」。
そうだよな。おまえ、名前、なくちゃっちゃったんだもんな。
初めからなかったものだというのに、なんだか、一度与えたものを奪ってしまったようなものがなしさが漂うように感じられた。
ただ、いくらおまえがプーリーでないという事実を知ったとしても、
わたしにとっておまえは、いつまで経っても「プーリー」なのだ。
たとえその名が本来は、円型のパーツを表すものなのだとしても。
それでもわたしにとっておまえは、「プーリー」に他ならないのだ。
仕事で疲れてきた時、檻の中に立つおまえは、何度もわたしを癒してくれたね。
まったく使うことのないオブジェと成り果てた台の中でも、おまえは変わらず、いつもしゃんと胸を張って、回し車にぎゅっとつかまっているのだね。
ねえプーリー。
たとえにせものだとしても、わたしにとってこれからもきみはね、いつまでも変わらずに、立派にプーリーだよ。
そう心の中で呼びかけながら、真実の方のプーリーを指先でくるりと回す。
回転する輪の中で、にせもののプーリーが少し恥ずかしげに傾いたような、そんな気がした。
(プーリーとわたし・完)