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名探偵コナンを評論したい

 題名の通りです。
 以前ネットの記事で名探偵コナンは定番化されたアニメとしてまともに評論・批評されることが少ないと見ました。毎年かなりの興行を出しており、国民的アニメとしての地位も確立しているのにも関わらず、です。確かにジブリや新海誠監督作品はもちろん、最近だと「鬼滅の刃」も「エヴァンゲリオン」もその公開の前後には内容はともかく、たくさんの評論の記事が見られました。しかし、名探偵コナンはその限りではないと。まったくその通りで私もコナンの評論はほとんど見たことありません。
 という訳でそれならば私が書こうと思ったという単純なものです。コナンに関しては並みのファンよりかは知識があると自負していますし、映画や漫画、アニメの評論を読むのも好きな方です。
 評論といってもこの記事はそこまで大それたものではありません。「私のコナンの好きなところ」と題する方が良いのかもしれませんが、できるだけ論理的には綴っていくつもりです。(今回は劇場版について語っていきます。)

それでは本題に入ります。

「評論したい」といっても言いたいことはたくさんあるので今回はズバリ

なぜ名探偵コナンは評論されないのか?

という逆転の発想をしたテーマで述べていきます。

 結論から言うとそれは単純にコナンという作品が評論しづらい内容だからだと私は考えます。ではどうして評論しづらい内容なのかというと江戸川コナンという主人公が限りなく完璧な”ヒーロー”として描かれている勧善懲悪の物語だからです。
 ネット上なんかで溢れている映画やアニメの評論はどういった部分が観客の共感を呼び動員、売上に繋がったかについて綴られていることが多いと感じます。鬼滅の刃における家族愛や死生観、エヴァンゲリオンにおける思春期や親子の描写はよく触れられえています。その他にもジブリ作品など設定やストーリーに大きく置かれたメタファーについて述べられているものもよく見ます。
 端的に言うと評論家たちはその映画が観客に訴えていることを探し続けているのです。


 ではコナンの場合はどうでしょうか。私は名探偵コナンはメッセージ性をほとんど持たない作品だと思っています。確かにベイカー街の亡霊や緋色の弾丸など脚本家によってメッセージ性が強調されているものもあります。しかしそれ以外の作品では驚くほどメッセージ性が薄いのです。もちろん、「殺人はしてはならない」ということと「諦めないこと」は強く描かれていますが本当にそれだけなのです。(原作者の青山先生も読者に伝えたいことは何かを聞かれるとこの二つを答えていることが多い気がします。)

 そしてそのメッセージ性の薄さは上で述べた江戸川コナンという完璧な主人公と密接に関わっています。一般的に視聴者・読者は作品をみるとき無意識に登場人物に感情移入します。(その人物は主人公であることが多いです。) そしてその人物に共感することで物語からメッセージを受け取り、理解し楽しむのです。しかしコナンくんは完璧すぎて共感しにくいキャラクターなのです。コナンは悩んだり諦めたりしません。苦悩や葛藤も大きく描かれることはありません。事件に行き詰まったり絶体絶命の場面に陥っても、頭を働かせ論理的に考え続けるのです。(まあ例外をあげるなら毛利蘭ちゃんです。。これがコナンという作品がラブコメである所以でもあります。) そんなコナンを見て観客は「コナンかっこいい!」と思うわけです。
 言うなれば「コナンはかっこいい」が観客に伝えたいメッセージなのかもしれません。登場人物達がいかに魅力的かに重きを置いているのがこの作品なのです。ゼロの執行人が良い例でしょう。この作品はの予告編を見るとあたかも(今流行りの?)正義とは何かについて観客に語りかける物語のように見えます。しかし本編を見てみると全く違います。この物語ではコナンの(正義と言うよりも)信念、安室透の(正義と言うよりも)信念がどのようなものであるかが描かれているのです。そして彼らの信念が良いものか悪いものかを観客に問ていません。彼らには彼らなりの信念がある、ただその事実だけなのです。

 個人的にはそのメッセージ性の薄さこそが名探偵コナンを面白くし、魅力的にさせていると思います。制作陣が作品にメッセージ性を持たせようとするとキャラクターの行動に反映させることになります。そしてそういった行動はどうしてもキャラクターの意思とは離れてしまいがちです。このことに関して、コナンには膨大な量の原作があり、今でも続いています。そのためにキャラクターの信念や像はかなり確立しています。そのため制作陣からの意図を感じるキャラクターの行動にファンはかなり敏感なのです。(ベイカー街の亡霊でコナンがあきらめるシーンが賛否両論なのは有名です。)なんなら原作者の完全監修もあります。そのため作品としてのメッセージ性よりもキャラクター像の確立を重視しているのです。そのことで一層キャラが立ち、物語、作品が魅力的になるのです。


 という訳で「名探偵コナンはなぜ評論されないのか?」という題で述べてきましたが、その答えとしては

キャラクターたちを理想的に描き、いかに彼らが魅力的かに重点を置いてストーリー、作品が作られているためにメッセージ性をあまり持たないから。

と私は結論付けます。

 

 とはいっても評論というものは論ずることですからどんな切り口からでもできるもののはずです。にも関わらずコナンの評論が少ないのは評論する価値のない作品だとみなされているからか、”評論家さん”たちのコナンの知識がまだ乏しいからかはわかりませんが、せっかく日本屈指の映画シリーズなので色んな評論が増えることを私は望みます。

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